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支配ではなく心配

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夫は子に甘い。
小さな頃からそうだった。ガチャガチャをしたいと子が叫べば、すぐにほいほいコインを渡した。
それは、今でも。
子がねだれば、DSでもピアノでもタブレットでもすんなり金を出す。
ちょっと出掛けて来るといい、午前中の家事がまだ終わらない私を残して、夫と子は車でどこかに行ってしまった。本屋か何かだろうと思い、すぐに戻るかと思えばなかなか帰って来ない。 しばらくして夫の携帯からー出ると子の声。


「お昼、要らない。パパと食べて来る。」


そばと素麺を茹でて準備していたのにー、直前での飯キャンセルは仕事の時だけにして欲しい。
二人が帰って来ないと分かると、私の家事スピードは途端に遅くなり、通常の2倍掛かる程。のろのろと掃除機をかけ、トイレ掃除をし、洗面台を拭く。


「ただいまー!」


二人が帰宅したのは、3時を過ぎた頃だった。子の両手には、抱えきれない程の袋。


「パパに服とバッグ、買って貰っちゃったー!」


子は、嬉しいのだろう、袋からそれらを取り出すと私に見せる。しかし、それを見て私は複雑な思いだ。
恐らく、夫は一切子の選ぶ服に口出しをしなかったのだろう。私がいたら選ばないーいや、選ばせない服ばかり。要するに、露出が激しい服ばかりなのだ。
今、流行りのオフショルダーというもの、しかし、なんだか襟ぐりの空きが大き過ぎる気がする。
また、トップスもやけに短く、へそが出るのではないか?と不安になる。


「試着、したの?」


「うん、したのもあるし、しないのもある。」


「パパは、見てくれたの?」


「あんまり。パパはスマホばっか見てて、お金払う時だけいたよ。」


「・・・・・」




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ボトムのショートパンツは、本当にショート過ぎるのと、ペラペラの生地なので肉感を拾い過ぎ、これを着せて外を歩かせるのは勇気がいる。年頃の娘に、こんな服を着せていれば、「親の顔が見てみたい」と言われかねないーそんな服ばかりだった。


「ちょっと、こういうのは外では着ない方がいいと思う。へんなおじさんとかが寄って来ちゃうよ。」


「えー!?折角買って貰ったのに、なんでなんで!?」


「なんなんだよ、一体。」


夫が自室から出て来て、あからさまに不機嫌な表情を見せる。まるで、私が空気を読めていないーそんな風に二人の視線はうんざりしたものだった。


「OOが着たいって言ってるんだろ、いつまで親が服を選ぶんだよ?そういうの、支配的って言うんだよ。」


ーどの口が言う?モラハラのあなたに言われたくない・・


悔しい気持ちをぐっと堪え、しかし母としてここは引くべきところでは無いと思い直す。
なんとか子を説得し、オフショルは、薄手のカーディガンを羽織るならOK、またショートパンツも、ロングジレのようなものを羽織るのならという条件付きでOKすることにした。
これは、支配的だろうか?ただ心配なのだ。体付きが女性のそれに変わりつつある我が子。自覚が無いだけに、親である私が危険から守るしかないのだ。




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今日の料理

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今日の料理




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アラフォーからの新たな趣味

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一人のリビングー、いつの間に、元々そこにあったかのように置かれているピアノが目に入る。
蓋を開け、スイッチを入れて鍵盤を控えめに叩く。

すぐに辞めてしまったけれど、私も子供の頃に少しだけかじったことのあるピアノ。実母に無理矢理習わされたものだったから、ちっとも上達しなければ楽しくも無かった。
ただただ、レッスン前日になると、先生の笑顔が引き攣るのを目にするのが恐怖で、それを回避する為だけに焦って練習するのだった。
あれは、苦痛の時間だった。

あれから何十年経ち、不思議なことに、我が子が私のリタイヤした習い事を始めている。
まだまだ初心者の、子供用のテキストを開く。何か弾けるかもーと期待したのだ。
パラパラ捲るが、恥ずかしいことに、ヘ音記号だとかト音記号がどういう意味だったのかさえ忘れている。ぱっと音符を見て、どの音階なのかも分からない。


私が今でも弾けるのは、題名すら分からない、遠い昔になんとなくスラスラ弾けたお気に入りの練習曲と、猫踏んじゃったくらい。


ー子が始めたのを機に、私もまた再開してみよう。




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急に思い立ち、子が帰宅後、練習を終えた頃を見計らって、子に習うことにした。
習うといっても、出だしのこの音符はどこ?だとか、♮って何だっけ?とか。子は、私に教えることが嬉しいらしく、得意気に隣に立ち手取り足取り教えてくれた。
そして、一人の時間が出来ると、何となく鍵盤を叩く時間が増えている。
まだ誰かに聞かせるなんてもっての外だけれどー(それが家族であれ)、それでも、ただただ楽しい。子供の頃はあんなに大嫌いだったピアノなのに。
驚くことに、昨日は指がツル程に鍵盤を叩いていた。
掃除を終えたらピアノ、洗濯を干し終えたらピアノ、皿洗いを終えたらピアノ。ピアノピアノピアノ。

アラフォーからピアノを始めるだなんて、馬鹿げているだろうか?しかも、レッスンを受けるのではない、自己流で。
それでも、今は楽しい。
指を動かすことー、PCのキーボードを叩くのとは全然違う。
最初は下手くそ過ぎて、つっかえつっかえだったメロディが、練習を重ねるごとに綺麗な音色になって行く。それは、達成感だった。

ただ、私は飽きっぽいので、この楽しみがいつまで続くのか自分でも分からない。




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枯れた笹にお化粧をして

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七夕ということを、すっかり忘れていた。
笹の葉がこの辺りにはなく、だからといって買う程思い入れの強い行事でも無いのが正直な気持ち。
しかし、子がポツリと言い出した。


「短冊に、願いごと書いたら叶うのかな。」


意味深なその台詞に、ドキリとする。


ー何?お願いって?ママに教えて!-


つい、口からそう出そうなのを堪え、


「笹の葉、飾りたい?」


そう聞いた。すると、素直に子が頷く。もう4年生だと思っていたが、まだ4年生なのだ。
なので、七夕前日というギリギリの状況で、子が学校の間にあちこち笹を探し回ったのだ。すると、近所の小さな図書館の入口に笹の葉が置いてあり、段ボールには「ご自由にどうぞ」とぺら紙が貼ってあった。 とても嬉しく、しかし、既にそこにある笹のすべての葉は枯れて丸まっていた。
それでも、やはり本物の笹ー、しかも無料で手に入るそれを受け取らないという選択肢は無かった。
家に持ち帰り、早速小さな花瓶に挿して子の帰りを待った。




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子が帰宅し、笹を見付けると、小さく微笑んだのを見逃さなかった。いつからか、嬉しさなどの感情を露わにすることが減った我が子。年頃女子は難しい。
おやつを食べ宿題も終えた後に、子が折り紙やペンなどをリビングに持って来た。


「ママも、一緒にやってもいい?」


「うん、いいよ!」


私も綺麗に取ってある包装紙などを持ち出し、ネットで「七夕飾り」のレシピを検索し、あれこれ二人で作成した。
そして、肝心のお願いごと。
子は、片手で短冊を隠しながら、何やら書いていた。私は、敢えて何を願うのか聞かないことにした。もう、あれこれ明け透けに話す時期は過ぎたのだろう。「秘密」にすることで、願いは本当のお願い事になる。 私も短冊に、お願い事をいくつか書いた。
王道の、「家族が幸せでありますように。」「OOが楽しく毎日を送れますように。」
本当の願いだ。
そして、「夫が私を愛してくれますように。」「実母と良い関係になれますように。」「子が、勉強もスポーツも出来て、人気者になれますように。」「私に、一人でもいいから心の通う友人が出来ますように。」 短冊には書かないが、心で願い、その想いを笹の葉に乗せた。
あれこれ欲をかいてはいけないと思ったのと、実際、そんなことを書いて夫や子にでも見られたら恥ずかしいからだ。
枯れた笹だが、色とりどりの飾りや短冊をまとうと、なんだか一気に華やいだ。

今夜、天の川を渡り、織姫と彦星が会えるといい。




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小遣い稼ぎ

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普通の主婦が、旅行のついでに金塊を運んで報酬を得ていたというニュース。
エプロン姿の女性達が連行される姿。恐らく、まだ家族に朝ご飯や弁当を作っていた時間帯に、警察が来たのだろう。その映像はやけに生々しかった。


軽はずみー


彼女等を庇う訳ではないけれど、悪気があったように思えない。主婦の小遣い稼ぎという言葉は好きではないが、このニュースを観た時、この言葉がしっくり来た。


主婦は、小遣いを欲している。
自分の自由になる金。
夫の稼ぎは、ローンだったり教育費だったり、また普段の生活費に充てられる。また、自らが仕事をしていたとしても、表立っている分、自分の為だけに好き勝手使えるはずもない。
家族の為にー、誰かに強要されなくても、それが母として妻として与えられた役割ー、すなわち使命なのだ。





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「小遣い稼ぎ」という言葉。
これは、何となくダークなイメージがある。家族に秘密で稼いだ金。言い換えれば、へそくりのようなもの。
しかし、秘密という甘い蜜は私達の心を豊かにするのだ。実際、それを使わなくても、ただ自分の為だけにあれこれ使える金があるという事実は心の余裕を生むし、ウインドーショッピングをしていても常にそれがリアルと隣り合わせであれば、幸福度も増す。
結果、「買わない」と選択したとしても、「買わない(買えるけれど、今回は見送ろう)」という意味合いにおいては、金が無いから諦める「買えない」とは似ているようで全く違う。

スタバのコーヒーを1杯飲む。主婦にとって、500円以上もするそれを飲むのには覚悟が要る。10分足らずで消える500円。駄目出しされながら、パートを時給980円で行っている主婦にとって、ワンコインの価値は尊い。しかし、「小遣い稼ぎ」で得た金で買うフラペチーノを飲むとすれば、妙な罪悪感などまるで無い。ただただそれを100%愉しむことが出来る。そもそも誰にも知られていない金だから、無料で貰ったーそんな感覚なのだ。夫の労働力の対価でも無い、主婦業を犠牲にして得たパート代の対価でも無い。そもそも初めから無かったー、当てにされない稼ぎというものは、俄然フリーダムなのだ。
夫が莫大な金を稼ぎ、湯水のようにあったらあった分使えるセレブ専業主婦であればそんなみみっちい計算などしないだろうけれど、普通の感覚を持った主婦ならば、もっと自由に使える金が欲しいと思うのは至極当然のことなのだ。

すっぽり空いた落とし穴。彼女等はそれにはまってしまったのだ。もしかしたら、それは私だったのかもしれないと思うと、他人事とは思えなかった。
ネットで仕事を探すと、たまに驚く程報酬が高い案件がある。運び屋ではないけれど、それに近い仕事。ちょっと名前を貸しただけで数万円の仕事。
死ぬ程金に困っていたら、つい手を出してしまうような案件だ。風俗と天秤に掛けたら、「ソッチ」の方が割がいいと思ってしまう。何の取柄も無い金に困っている主婦ならすぐ飛び付いてしまうような、高収入の仕事が巷では出回っている。
情報の取捨選択ー、私達に与えられたこれからの課題。適格に自分に必要なそれを選び取れるかどうかが、真の豊かさに繋がるのだと思う。




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