友達近居
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「娘がいれば、将来安泰ね。」
なんて時代は既に終わりを迎えた。逆に、嫁に出すという感覚も薄れているのが今。長男だからだとか、一人っ子だからだとかいう理由で親と同居するなんて風潮は、ギリギリ私達親世代までなのだと思う。
そして、その同居だって双方にメリットがあっての同居だ。親が経済力を持っていたり、また家事労働を手伝ってくれたり。
金も無い、体も動かない親の面倒を見ることは、配偶者の理解を想像以上に得ることが出来なければ不可能に限りなく近い。
自分が寝たきりになった時、娘に介護をして貰おうなどという甘い考えを持つ親が、今の時代どれ程いるのか?
朝の情報番組で、友達同士が近くに住み、互いに良い距離感を保ちながら老後を過ごす「友達近居」が取り上げられていた。
女性は、ライフスタイルによってその交友関係も変化していく。結婚、出産、育児、そして介護。それに仕事も勿論含むのだが、老齢になるとそういったしがらみから一旦開放される。
そこで、過去の交友関係を復活させてみたり、またそうしたライフスタイルの過程で築き上げてきた関係が深まったりするのだが、その繋がりが「友達近居」に発展するケースもあるということだ。
子供に頼りたくない、自立したいーという彼女らは、子供から同居の話が出なかったことを「友達近居」を選択した一つの理由に挙げていたが、どこか寂しさをまとっているように見えた。
向こうから同居をお願いされたら、まあ一緒に住んでも良かったけれどーという心の声は、やはり血の繋がった我が子らと終末を迎えたい、そんな思いが滲んでいるように感じた。
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「友達近居」を成功させる為のルールは、経済的自立と精神的自立が必要、それに社会性。それを知って、愕然とした。そのどれもが今の自分に出来ていないことに。
まだアラフォーで、子育ても真っ只中の自分。老後はずっと先のことに思えるけれど、子が巣立てばそれはもうすぐそこにあるような気がする。
介護付きマンションのラウンジで、楽しそうにお茶を飲んだり趣味の楽器を弾いたりしている彼ら。そこに未来の自分がいるとは到底思えない。
そこにいるのは、私達世代で例えれば、学校関係でもPTA役員を義務ではなく、楽しんでやっている人々だったり、ママ友関係をうまくこなしている人々、それに精力的に仕事をしている人々のような気がする。
もし私が、将来我が子に心配されたうえでそういったマンションに入所させられたとしても、そのコミュニティにうまく溶け込めず、勿論、「友達近居」出来そうな友人もいないのだから、一人自室にこもったきりの今と変わらない日々を過ごしているような気がしてならない。
焦った私は、とにかく寝たきりにならないような努力はしなくてはーそう思い、一人、日中のリビングでヨガの動画を見ながら体を動かすのが精一杯なのだ。
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- category: 暮らし
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- 2017/01/27