逃げてもいい
卒対の打ち合わせがある今日。
本当に、行きたくない。まず、皆に会っての第一声はあった方がいいのか?とか。話に夢中になっている彼女らに向かって挨拶をしても、なんのリアクションも無いことを想像すると、気分は萎える。
まずは、孤高の人に挨拶をしよう。そう切り替える。スネ夫ママやボスママのことは、なるべく意識しないように・・
夏休み明けで、久しぶりに彼女らと会うからだろうか。時間が空くと、憂鬱度は増す気がする。
連日ワイドショーで取り上げられている、休み明けの不登校やSOS。その気持ちが、私は分かる。
もし、我が子が同じように「学校に行きたくない。」と言い出したらー
動揺はするけれど、無理強いはしないと思う。
スポンサーリンク
人生の中の数年間。一番多感な時期。居場所がなければ自信も喪失する。そうして育った子供は、大人になりこじらせる。私のように。
一度キリの人生。我慢は美徳だと限界まで頑張り過ぎて壊れてしまったら勿体無い。逃げる勇気も必要だ。
私はもう大人だから、最終的な逃げ道も知っているし、選択肢だってある。だから本当のギリギリまで頑張ることが出来る。
逃げ方が分からない子ども達に、逃げたとしても今を生きている大人が方向性を指し示すことが、これからの未来に必要なことだと思う。逃げるのは、「悪」ではない。
スポンサーリンク
- category: 未分類
- 2019/08/30