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同情と優越感の狭間で

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他人を思い遣る心なんて、結局は安全地帯に身を置き暇を持て余している間にしか発生しない、そんなものだと思う。

私はイヤラシイ女だ。親切で人の痛みが分かるような繊細さを持っているように見せかけて、実際のところは自分より可哀想な立場の人間を見て安心したい、そんな潜在意識を常日頃持っている。
葉書だけでしか繋がっていない、昔の友人ー、まだ独身の彼女のフェイスブックを覗いた。ふと彼女の名前を検索すると、あっけなく見付かる。彼女の名前は珍しいので、他の誰かと重複することもなかった。
彼女は趣味で、自分が描いたイラストを載せたポストカードを今だ作っているようだ、そしてネット販売もしている。しかし、実際そのサイト中の在庫状況を目にすると、殆ど売れていないようだ。彼女は美大卒、私のバイト時代の同僚だ。
ブログもしており、そこには最近のあれこれが記載されていた。現在、北海道のとある農場で短期住み込みバイトをしながら創作活動をしているとのこと。
旅行好きな彼女は、フットワークが軽い。思い立ったらすぐに行動、私とは正反対だ。すぐに他人と打ち解ける。それなのに、どこか一線を越えさせない何かがある。今だ独り身なのも、そういった性質が関係しているのかもしれない。


ブログ中での彼女は、一見北海道生活を満喫しているように見えた。しかし、いくつかページを遡ると、函館の綺麗な夜景の写真に添えられた文章に、将来への底知れぬ不安感と孤独感がつらつらと綴られていたのだ。
要約すると、こんな風だ。

「40過ぎて、恋愛したくても既婚者ばかり。たまに心惹かれる人と出会っても、相手は子供を望んでいるから恋愛対象は若い女の子達なのは必然。私は子宮の病気で子供はもう望めない。年齢がどうのこうの以前に、スタートラインにも立てない。ここ1年、ストレスからの過食で15キロ太った私は醜い。鏡の中の自分が嫌いだ。バイト暮らしの為、ほぼその日暮らし。欲しい服や化粧品も買えない。フリマやリサイクルショップで数百円の物を買うのでさえ躊躇する。絵の仕事も金にならない。購入してくれるのは、仲良くなった顔なじみだけれど、それだって付き合いで一度買えばそれっきり。1枚数百円の世界ー、才能がないことに薄々気付いていても、今更辞められない。辞めてしまったら私に何が残るんだろう?パートナーもいない、安定した仕事もない、この年までいつかの夢を励みに全てを振り切って生きて来たんだ。でも・・振り切った全て、普通の女の幸せを、私は心の奥底で欲している。あの時の選択を後悔している、口に出しては絶対言えないけれど。」


そんな内容の独り言が綴られていた。コメント欄は閉じられていた。フェイスブックの方では、そんな思いを抱えている彼女はおらず、、むしろ伸び伸びと好き勝手に生きている、そんな印象を受けたので、ブログを読んで一気に共感、そしてその孤独感に寄り添いたい、そんな気持ちが湧いた。
再び、フェイスブックを開く。最近の彼女の顔写真が掲載されていたのだが、ブログでつぶやいていたように、確かに15キロ太った彼女の姿は醜かった。髪も白髪混じりの手入れがあまりされていないようなセミロングで、毛先は思い切り跳ねている。それに、ほぼすっぴんだ。あんなにメイクに感心があった彼女はそこにはおらず(美大卒だし個性的なメイクではあったが)、驚いたことに眉はボサボサで、当時の面影は殆どなかった。40過ぎて既に子供が3人はいそうな、どこにでもいるおばさんに成り果てていたのだ。いや、正直、そのどこにでもいるおばさんの方が、身なりに気を使っているかもしれない。
きちんとメイクをし、もう一度15キロ痩せて、安くてもいいから小奇麗な今時の服を着て、髪もきちんと揃えて染めてー、そうすれば、今からでもパートナーを見つけられる可能性はゼロではないはずだ。しかし、今の彼女にその気力は殆ど残っていないように思えた。そんな金があるのなら、少しでも将来の為に貯金しなくてはー、そんな焦りがそこにある。しかし、だからといって金の為に嫌な仕事をする気はないようで、心で葛藤しながらも行動は伴わず空回り、全ては中途半端な甘えとこだわりにがんじがらめになっているようだった。

まだ私が結婚する前、夫とも出会っていなかった頃、彼女は私を妹のように可愛がってくれて、よく行き着けの飲み屋に連れて行ってくれた。毎回、ジョッキビールの2杯目が空になる頃、ほのかにピンク色になった頬にエクボを作りながら、私に向かってこう言うのだった。


「OOちゃんは、結婚したら仕事なんて辞めて、普通に子供産んで普通の奥さんになったらいいのよ。」


個性的な彼女が放つ「普通」という言葉は、どこか私を見下したような、小馬鹿にしたような意味合いを含んでいるように思えて、正直いい気はしなかった。
しかし、当時から特にこれといった特技も趣味もなかった私には、「夢」を持ち、それに全力で突き進む彼女に憧れとどこか劣等感を感じていたこともあり、痛いところをそれ以上突かれることを恐れ、気にしていない風を装いヘラヘラと笑いながら毎回その場をやり過ごしていたのだ。


今ー、彼女に対して私が「同情心」を持ち、またそれと同時に「優越感」を抱いていると知ったら、あの頃の彼女はどう思うだろう?
彼女とは、ポストカードのやり取りから数年音信不通になっているが、フェイスブックでコメントを残してみようか?意地悪な気持ちが湧く。
それと同時に、弱っている彼女の相談相手になってやりたいような、妙な友情心も芽生えているのだ。今の私の状況ー、結婚生活がうまくいっていないことーを包み隠さず伝えれば、互いに傷を舐め会えるかもしれない・・
互いにこの孤独感から逃れられるかもしれない・・

所詮、女同士の友情なんて、傷の舐め合いでしか成立しないのだということを知っている。だからこそ今ならば、互いに置かれた境遇は違えども解り合えるーそんな錯覚に陥りそうになるのだ。


















































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