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ハブられランチ会

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敬語ママとランチの日取りを決める為にメールをしていた際、知りたくない情報が入って来た。
来月、元幼稚園メンバーで久しぶりのランチ会をするとのことだった。飲み会などは定期的に行われているらしいが、子供を交えての同窓会的なものは久しぶり。
メール越しだが、彼女の口ぶりから、私も当然誘われていると思っているようだった。
幹事は恐らくスネ夫ママだろう。そして、私のところにはお誘いメール1本すら来ていない。卒園してから、習い事のプールで嫌な思いをし、やっと離れられたかと思えば今度は学校で同じクラス。 接点は多いはずなのに、私のことを相変わらず透明人間のように扱う彼女。相変わらず、嫌な奴。
敬語ママには、実際誘われていない事実を言えるはずもなく、話を合わせるのに気疲れしてしまった。

卒園すれば、切れる縁ーそう思っていたけれど、彼女の息子と子は、このまま受験などしなければ同中だ。性別が違うだけまだましだが、それでも気が重いのは、こうしていまだにハブられているからだ。
それに引き換え、敬語ママは誰とでもある一線を置いているようで、実はそうでもない。丁寧なだけで、間口が広い。だから、顔も広いしこんな私とさえランチをしようと声を掛けてくれるのだ。
有難いーしかし、同時に自分の対人関係スキルの無さが浮き彫りになるようで辛かった。彼女と付き合わなければ、こうした嫌な情報だって入っては来ないのだ。




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「ママ友」から「友達」へ

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また飲み会ー
今度は孤高の人から、一斉メールが届いた。彼女も、敬語ママと同様、誰に対しても平等だ。スネ夫ママのように、特定の誰かを外すような意地悪でめんどくさい真似などしない。
しかし、その平等さが時に私の心を平常心から遠ざける。気分はすっかり暗くなり、しかし、今回は迷わず「欠席」の返信をすぐさま出した。
平日の夜、夫は残業、夜遅くに子を1人残して外出など出来るものか。最もな理由は罪悪感をなくす。
孤高の人は、まだ下に赤ちゃんがいるというのに幹事など引き受けて、すごいなと思う。しかし、確か彼女は親と同居していたはず。自由な身なのだろう。仕事もプライベートも充実ーまさにリア充はいまだ健在。




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一体、何人出席するのだろう?
そして、この催しはいつまで続くのだろう?
そして、なぜこんなにも気になってしまうのだろう?
ビールジョッキ片手に大笑いする、スネ夫ママやボスママの顔が浮かんで反吐が出る。ジャニーズの話、夫や姑の愚痴、ドラマや漫画の話、学校や受験、それにダイエットやアンチエイジングの話。酒の肴になる不毛なネタは盛りだくさん。彼女らを子馬鹿にすることで、自分を保つ。しかしその輪に入れない自分は一体なんだ?人として重大な何かが欠落しているのではないかと落ち込んでしまう。
彼女らは、ママ友から本当の友達になって行くのかもしれない。40になり、50代、そして子ども達が巣立った後も、一番大変だった時代を共有した仲間として関係は続いていくのだろうか。私には、得られなかったもの。せめてー、一人でもそんな気楽な仲間が出来ていたら、こんな僻むような感情は生まれなかったかもしれない。

何も考えず、楽しそう~と出席の返信を送れる人種にこそ、私がなりたい理想像。
ふと、ふわふわママの顔が浮かんだ。




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難しい距離感

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暇な休日、ショッピングモールで餅つきが行われており、買い物ついでに子と寄ってみた。餅つき以外のイベントも行われており、どれも無料で参加出来る。その中に、参加型イベントで、女の子が好きそうなものがあったので子にやらせてみることにした。「デコパッチ」というフランス工芸で、色とりどりの薄い紙を好きなようにコラージュしながら、空き缶や空き箱に貼る、エコでアートなデコレーションツールだ。
元々、子はこういう細かな作業が不器用ながら好きなのだが、私が教えるとセンスもないうえ、思うように子が出来ないことで、お互いイライラして中途半端に終えることが殆どなのだけれど、赤の他人が教えるとなれば、子も多少の緊張感から我儘を言うことも なく、スムーズに事は運ぶような気がした。
子を列に並ばせて、私は少し後ろで見守ろうと下がると、視線の先に見覚えのある後ろ姿。それは園時代、唯一私に対して良くしてくれたふわふわママだった。彼女も子供と来ているのだろう、しかし私と同じく列に並ぶ子供を1人で見守っているようだった。こういう場合、普通ならば笑顔で駆け寄り挨拶ーが正解なのだろう。しかし、私はわざとらしく彼女の視界に入るような位置に移動する。いやらしい話だが、彼女の方から声を掛けて貰う算段だ。
彼女が気が付くように、あえて顔をそちらに向ける。勿論視線は合わさない。あくまでも、「私」と気付いて貰えるような角度、位置をキープする。話し掛けられ易いように、いくらか柔和な表情を浮かべてーすると、


「あれ?OOさん?久しぶり!」


ふわふわママが声を掛けてくれた。私は待ってましたと言わんばかりに、犬がしっぽを振るように笑顔で挨拶をし返した。小学校に上がってから、クラスも別々になり、互いに話す機会もなかった私達。数年前の運動会で、彼女に親切にされたことは、今でも私の中のメモリアルボックスに大事に大事に保管されている。彼女にだからこその回りくどい自己アピールだ。
彼女は、誰に対しても柔らかい雰囲気の癒し系。その場を和ませる天才だ。そんな彼女だが、私に対しては久しぶりの再会ということもあってか、多少のきごちなさを感じるような気がした。それでも当たり障りのない、クラスの担任のことだとか習い事だとか、一通りの近況、そして情報交換ーいや、その殆どは彼女から私に向けられるものであって、私が彼女に与えられるような有益な情報はないに等しいのだが・・・それでも、私にとっては唯一話せるママ知り合いの1人なので、多少ウキウキしながらも、はしゃぎ過ぎないよう、努めて気持ちを落ち着かせながら彼女の話に耳を傾け、極力楽しそうに相槌を打っていた。


「あれ~!来てたの!?」




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背後に、女性の声。振り向くと、私を飛び越えてふわふわママに話し掛けたのは、見覚えのある・・・以前運動会とプールボランティアが一緒だった彼女。Yさんのママ友で、二度目ましての挨拶はスルーされたが、勇気を出して三度目の挨拶は受け入れてくれた彼女。これで四度目ー、しかし、その四度目は半年ぶりだ。そして、彼女はちらっと私に視線を向けると、私を覚えていたからなのか、それともふわふわママの知り合いだということでの礼儀なのか分からないが、私に向かって小さく会釈をしてくれた。
そして、そこから先はいつもの展開だ。ふわふわママも、先程までのぎこちなさから解放されたような、くだけたフレンドリーな口調になる。それまで私との間にあったはずの「壁」のようなものは取り払われ、手を叩いて笑い、 共に好きな俳優が出演しているのだろう、新ドラマの話で盛り上がっていた。実は、私もそのドラマは先日観たばかりで、話に入れば入れる内容。しかし、二人の盛り上がりに気後れし、つまはじきにされた訳でもないのに、なんとなくそんな風な気持ちになり、挨拶もせずすごすごとその場から離れ、デコパッチを待っている子の傍へ行き、


「結構並んでるし、またにする?」


自己中で、最悪な提案をしたのだった。しかし、予想に反して子も、


「うん、今日はいいや。」


待つのが面倒になったのか、本屋に行きたいと言い出した。子の手を取り、列を抜け、二人の方向に視線を向けるとまだ盛り上がっている。さよならの挨拶をする隙さえないのを再度確認しつつ、私はそのままその場を後にした。


「知ってる子がいたよ。」


「え?」


「幼稚園の時、一緒だった子。誰だっけ?」


「・・・・・」


子も気が付いていたのだ。そして、私と同様、自分からアクションを起こすことも出来ず、ただ見てるだけ。親も親なら子も子・・そして勿論それを咎める権利など私にある訳がない。
大人でも、子供でも、「顔見知り程度」、その距離感が一番難しいものなのかもしれないと思った出来事だった。




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割り切れない思い

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どうしたというのだ?それまでスルーされていたランチ会の誘いメールが私の元に来た。差出人は敬語ママだ。いや、敬語ママだからだろう、彼女はいつでも平等の人。
それまでこうした催しは、ボスママやスネオママが取り仕切っていた。私は園にいた頃でさえスルーだったのだから、卒園したら既に、「そんな人いたっけ?」な人なのだ。勿論、スネオママは意識的にそうしている風ではあるけれど。何が辛いって、本当に忘れられていることよりも、意識はあるのに故意的にされる悪質な無視なのだ。こちらの反応を伺うような、スルー。


「お久しぶりです。新年を迎え、いかがお過ごしでしょうか?昨年の忘年会は楽しかったですね。さて、今回は先生を迎えてのランチ会をしたいと思います。来月の○日、A小もB小もC小も、偶然振替休日が同日だということが分かりました。このような機会はなかなかないので、子供達も交えたランチ会を企画いたしました。先生も子供達に会いたがっています。出欠の返信、お待ちしています。」


丁寧に綴られた敬語ママらしい文章、最後に日時と場所、そして参加費用が記載されている。親子で2000円足らずだ。このメールを受け取り、途端に気が重くなる。


ー卒園したっていうのに、一体いつまで仲良しごっこをしてるんだよ!?


心の中で悪態付く。いや、こうして親切に分け隔てなくメールを送ってくる敬語ママに対してではなく、その裏にいるボスママやスネオママー、恐らく今回この会を率先して企画したのだろう彼女達に対して心底ウザったい気持ちが湧く。
しかし、ここまで腹ただしい気持ちになるのは、心のどこかで私のように思い悩まず、二つ返事で楽しくこの会に参加出来る人間がいること、つまり自分がそう出来ないことが欠陥人間のように思えてやりきれないのだ。自分は自分ーそう思い切れたら良いのに、いつまで経っても割り切れない自分。
やりたい人間はやればいい、ただこうしてメールを貰った以上、無視する訳にいかない。出席するのか欠席するのかの決断がまず負担だ。そうして、実際欠席するにしても、なんだか後ろめたい。当日一体どう過ごしたらよいのだ?今回厄介なのは、「親子で参加」ということ。そして「担任が出席」だということ。
この2点に気が滅入る思いだ。そして習い事で一緒のまいこちゃんが、いつ子にその情報を伝えるのかと思うと気が気ではない。卒園し、誰も知らない小学校にでも入学していたのなら、こんなことで悩むこともなかった。さっぱり縁も切れて清々しい気持ちだったろう。
しかし、無駄に仲良くもない知人がいる限り、どうしたってこの手の情報は付いて回る。
子の為に、出席するべきか・・もう子も小学生になったのだし、お役御免かーどちらにも割り切れない自分の優柔不断さに苛立ちを覚える。


ー一体、どうしたいのだ。自分?




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周囲の目ーそれに子の目がなければ迷わず「欠席」にするだろう。しかし、卒園してあの檻からようやく出られたというのに見えないプレッシャーが私を苦しめる。スネオママの顔が脳裏に浮かぶー胸の奥にドロリとした感情、そして恐怖心がじわじわと私を襲う。アイツ一人の存在感に私はもう何年もの間苦しめられている。アイツさえいなければ、アイツさえ引っ越してしまえば、アイツさえ・・・
もし、アイツが欠席ならば勇気を出して「出席」するかもしれない。孤高の人やふわふわママ、敬語ママやまいこちゃんママ、話そうと思えば話せる人はいるのだ。しかし、アイツがいるだけで、常に視界の隅に私の一挙一動捉えられ、あざ笑う顔を目に浮かべれば、私はたちまち金縛りにあったかのように動けなくなる。誰とも交われない、臆病でぶざまな姿をアイツは絶対腹の底で笑うに決まっている。


悶々としたまま時は過ぎ、出欠の返信締切日ー
決断し、返信ボタンを押した。もう後戻りは出来ない。




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ママ友飲み会

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「そういえば、今度の忘年会出席するの?」


突然聞かされた、まいこちゃんママからの話は寝耳に水。どうやら、園時代のママらで飲み会が開催されるとのことだ。まさか、自分のところには誘いのメールなど来ていないとは言えず、適当に相槌を打つ。スネオママが幹事らしく、殆どのママらは出席するとのことだった。やむを得ず欠席なのは、やはり下の子がまだ乳飲み子だったり、またご主人が仕事で、子供たちの預け先がなかったりだとのこと。もし私のところに誘いのメールがあったとしても、夫の仕事柄断ることになるかと思う。それにしても、全くのスルーなのは、正直気分が悪かった。
今朝の新聞に挟まれた広告の中に、最近出来た焼肉屋のチラシが入っていた。オープンだからか、かなりのサービス料金。それから昼ランチのメニューも充実している。また、主婦向けに、ハッピーアワーと称して午後3時からビールがジョッキで1杯100円。習い事の合間に!の見出しに、げんなりする。ママ友ママ友って・・・それしかないのか?




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ーママ友との忘年会に!!ー


でかでかと書かれた広告文句に、ケチをつけたくなった。
忘年会ーか・・ママ友とランチさえハードルが高い自分に、飲み会だなんて一生無理な話だ。Yさんだって引っ越してしまう。引越し前のママ友となら、いつか子供達が大きくなれば飲みに行けるようになるかもしれないが、まだまだだいぶ先の話だ。
旧友とも、結婚してからは酒を酌み交わすこともなくなった。主婦になればこんなもんーそう思っていたのだが、最近の主婦はこうしてママ友らと飲み会をするのだと知ると、一抹の寂しさをおぼえるのだ。




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