買い物から帰宅すると、ドアノブに花が掛かっていた。メモが付いており、針金さんからだ。
ーお留守だったので、こちらに掛けておきます。ー
私は花に詳しくないのでネットで調べてみると、トルコ桔梗という花らしい。それが3本程度とカスミソウが英字新聞にくるまっていた。
何ともお洒落。
ふと、いくらくらいするのだろうと価格を調べると500円くらいする。1本の値段。すぐにラインした。
ーこんなに素敵なお花をいただいてしまって。ありがとうございます!
すぐに既読になった。
ーたくさんお友達から貰って、お裾分け。夏の花だから長持ちしますよ。
鼻歌混じりに花瓶に挿した。普段、花にまったく興味が無かったはずなのに。何だろう。妙に癒される。
車を駐車場に置いてから戻った夫も気付いたようで、
「それも、買ってたの?」
ちょっと嫌そうな顔。買い物ついでの無駄遣いだと思われたようなので、
「お隣さんがくれたの。」
すぐに言い訳のように答える。
「ふーん。梅の次は花か。どうせならもっと実になるようなもん欲しいけどな。」
なんだかんだケチをつけたい夫にイラっとした。
一緒にランチだとか家の行き来はないけれど、こうしてお裾分けをくれる針金さんにぬくもりを貰った気がする。
仕事のことで悩んでいる休日に、思い掛けないプレゼント。
お返しを考えるのはちょっと悩ましいけれど、今は素直に彼女の気持ちを喜んで受け取りたい。
自転車で買い物帰り、ふらっと近道をしたのだけれど、素敵ママの自宅を通った。
何やら立てかけ看板のようなものがあり、ふと立ち止まってしまう。どうやら自宅でサロンを開いているらしい。
チョークアートでメニューが描かれていた。価格が分からないのが何ともおうちサロンっぽいけれども。
彼女のことは、学校行事の時に遠目で見掛けるくらいでもうしばらく会ってもいないけれど、数年前までは色々あったなーと遠くも無い過去を思う。
その間、彼女は自宅で開業し、私は工場パート。元々ライフスタイルでも人間関係でも格差はあったけれど、ここにきてもその差は埋まらないのだなと思った。
工場パートが格下だとかではない。その仕事に適任で、自ら遣り甲斐を見出し楽しめて稼げれば万々歳。
昨日、仕事中も思ったけれど、私には向いていない。何とか同期がいるから頑張ろうと思うけれど、正直いつまで続くか分からない。ここは、自分の居場所じゃないーそんな感覚がこれまでの仕事もそうだったけれど今回も続いているのだ。
元々社交的な彼女は、この地で子どもを介して人脈を広げ、こうして仕事に繋げている。孤高の人もそうだ。それは前から計画的に行っていたのか、結果が後から付いて来たのか分からないけれど、それでも私からしたら人生の成功者に見えた。
「いいなぁ。楽しそうで。」
つい、心の中の声が漏れた。
楽しいこと。やりたいこと。好奇心。そういったものを突き詰めていく努力を怠らなかった者だけが手に入れられる幸福。
私はいったい、何がしたいのだろう。
針金さんに、梨をいただいたお礼をした。
結局、通院ついでに寄ったモールで、全国うまいもの市的展が開催されていたので、そこで購入した特産物を。
負担にならないよう、渡す時も台詞を考えた。
「え!こんなにいただいていいのかしら?」
「実家から大量に送られて来て。うちじゃあ食べきれないから。貰ってくれると嬉しい。」
そんなやりとりをし、渡し終えてほっとしながら玄関ドアを閉めると、何とも言えない充足感。
私はなんだかんだ、こうした繋がりを求めているのだなーと思う。細々とでも、ちょっとした挨拶、相手を気に掛けること、行動すること、面倒がらないこと。
一人が気楽、そんな風に一匹狼を気取ったところで、人間は一人で生きられない。
社会の中に身を置くうえで、人と人とのコミュニケーションは必須。テイクだけではなくギブも必要。
まだまだ不器用で、気を抜けばすぐに孤立してしまう性分だけれど、チャンスがあれば人との繋がりを地道に築き上げていけたらいい。
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針金さんに梨をいただいてから、何を返そうかとそわそわ落ち着かない。
性分なのだ。
貰いっぱなしという訳にいかない。梅も駄目にしたとはいえいただいてから何も返していない。
さすがにそれは、ナシだろうと思う。
しかし、そういう時に限ってお裾分け出来るものがない。夫は自営を始めたことでお中元をたんまり送ったけれど、恐らく会社宛てに届く取引先からのお中元はこちらに流れて来ない。いや、正確に言えば数件あったのだけれど、お酒ばかり。お菓子やゼリーなども持って帰って来たけれど、封を開けて吉田さんらと分けたのだろうか?家族分しか持ち帰らない。なのですぐに無くなり、お裾分け出来る分なんてないのだ。
嬉しかったからこそ、返したい。負担にならない程度のものを。ふらふらとショッピングモールを歩く。しかし、贈答用だと大袈裟だしそうでないと近場のスーパーでいかにも買ったようで微妙。
何かこう、気の利いたものはないかと考えつつ月日が経ってしまいそうだ。
秋の味覚ー何がいいだろう。子がもっと小さければ、芋堀りなどで持って帰って来たさつまいもだとか渡せるのに。
相手に気を遣わせない程度のプレゼントこそ、難しいものはない。
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玄関前で、ばったり針金さんと遭遇した。
黒い涼し気なノースリーブのロングワンピースに薄手の白いカーディガンを羽織った彼女は、まるで避暑地から抜け出たような感じ。
久しぶりだったことと、なぜだかドキドキと緊張してしまい、彼女に話し掛けられてもうまく口が回らなかった。
都内なので帰省というのも変な感じだけれど、夏に戻って来た息子さんの運転する車でドライブして来た帰りだと笑っていた。
「最近、見掛けなかったけど。忙しそうね。」
パートをするようになり、確かに忙しい。朝は早いし、仕事終わりは昼過ぎでも、寄り道をしていると午後三時くらい。そこから猛ダッシュで家の片付けや夕飯準備をし、子が塾の日はその送迎。休みの日は疲れ切って自宅にこもる日々。働いていない時は、暇を持て余してふらふら外を散歩したり買うものもないのにスーパーやショッピングモールを彷徨ったりと、なんだかんだ日中は彼女と出くわす機会も多かったのだ。
それに、あの猫を交えたお茶会とか。
そんな出来事が、遥か昔のことのように思えた。生活が変わるということは、周囲を取り巻く環境が変わると同時に、時間の流れ方も変わるのかもしれない。
「そうそう、ちょっと待ってて。」
彼女は鍵を開けて家に入り、少ししてから紙袋を私に差し出した。
「これ、ちょっとだけどね。お裾分け。」
親戚が送ってくれたという梨を3つ分けてくれた。
「ありがとう。」
夕飯のデザートに梨を出すと、夫も子も喜んだ。青梅の時とは大違いの反応だ。
疎遠になりつつあった彼女との繋がり。執着することに疲れ、諦めていた繋がり。
今一歩、深く踏み込むことは出来ず、細くていつ切れるか分からない関係。それでも、こうして隣人でいる限り、何となくでも続けていけるのかもしれないと暖かな気持ちになった。
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