最近静かだった卒対ライン。
珍しく未読件数がたまっていたので覗いてみた。すると、
ーオンライン飲み会しよう♪
言い出しっぺはボスママ。スネ夫ママと険悪ムードになったのは一瞬で、また二人の仲は元通りになったらしい。
ライン上でのやり取りは、ボスママとスネ夫ママが相変わらず中心になっていたからだ。
ーいいね!やってみたかったんだ。どんな感じ?
あるママが尋ねると、待ってましたといわんばかりに、
ーほんと、楽しいよ!すっぴんでいいし、適当に家のもの食べて飲んでやるから気楽だし。昨夜は学生時代の友達と朝までオンライン飲みしちゃった!
ーパパさんとか、どうしてるの?
ーうちのパパ、フレンドリーだから。そういうの平気で構わず参加するタイプ。だから、夫婦で毎晩オンライン飲みって感じ。
ー子どもの寝かしつけしてからでも参加、OK?
孤高の人が尋ねる。
ー勿論!それがオンラインのいいとこだよ。途中参加も途中抜けも全然OK!だらだら飲もう♪
ー私もやりたい!
ー私も!!
続々と、参加希望のメッセージを送っていた。だが、この人数でどうやるのだろう?夫がオンライン飲みをしていたのを見た時は、せいぜい4、5人だった気がする。
私はそんな誘いもないし、誘う相手もいない。なので、大勢でオンラインで繋がるという方法すら分からない。
このコロナで、オンラインの経験といったら、子のピアノレッスンくらいで。
まだ、体調が戻らない夫。睡眠時間が長い。夜も、21時頃寝たら朝10時頃まで起きて来ない。なので、子も寝てしまうと夜は暇だ。
こんな時、気軽にオンラインで飲める友達がいたらー
かおりの顔が一瞬浮かぶ。だが、どうしても画面越しに相手にうつる自分を意識して、いつものように楽しめない気がする。
携帯カメラの自撮りモードで自分の顔をうつした時、加工しないと酷いもんだ。
ほうれい線は勿論のこと、目の下のくまやしみ、普段、鏡で見る自分よりも10歳は老けている。そんなすっぴんを晒してお喋りに興じることなんて、私には無理。
卒対ラインをまだ退会していない。
何故かというと、謝恩会が出来なかったことでモヤモヤを残したボスママや委員長が、同窓会の企画を始めたからだ。
まだ卒業して間もないのに、もう同窓会とは。
気が早いというか、面倒臭い。
さっさと退会処理すれば良かったのだが、そんなトークが広げられ始めたこのタイミングでの退会は気まずい。
子が私立で皆と学校が別なら後腐れなくお別れ出来るのだが、これから中学も一緒。そして、子の通う中学は、親の出番が多いと聞く。
土地柄なのか?都内ならば、もっとドライな父兄関係だと思っていたのが大間違いだ。
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スネ夫ママのタイムラインを何気なく見てしまう。
すると、先日の卒業式の写真がたくさん。
K君をセンターに、色々な友達と共に写した写真の数々。自分のスマホ内では納めきれない程の写真だから、皆に共有して欲しいいのだろうか。
息子の人望をアピールするスネ夫ママ。そして、幼馴染のボスママの息子との写真は一枚もアップされていなかった。
ボスママの子は、園時代からひ弱でスポーツもあまり出来ず、K君とは相性が悪かった。ママ同士が仲良しだから、仕方なく付き合っている風だったけれど・・
人の子だけれど、しかもボスママは大嫌いだけれどー、彼女の子と私達に接点を感じて胸が痛い。
ボスママは、スネ夫ママと対照的なタイムラインだった。息子君と担任が校門前で写っているもの、それに、家族写真。
正直、そちらの方が好感を持てた。
卒業アルバムの個人ページに写る我が子は、はにかんだような笑顔。
だが、全体ページの恐らく「仲良し同士」で撮影したと思われる中の我が子は表情が硬い。外された地味グループの子と一緒だからだろうか。
この頃はまだ、このグループに属していたのだろう。だが、うまくいかなくなり始めた時期のようだった。
子以外は、ノリノリな感じで何かの真似?なのかおもしろポーズをしているのに対し、子だけが端っこに立っている。彼女等との間にわずかな隙間があるのに気付く。
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卒業まじかに仲良くなった二人は、二人きりで写っていた。仲良し二人組だったのだろう。
その他、男子もそれぞれが5人だったり3人だったりと仲良し同士、運動場だったり理科室だったり、教室だったり音楽室だったりと、好きな場所で写真撮影をしていた。
個人的に、友達と撮影は叶ったけれど、一生残る卒業アルバムを開く度に、この全体写真ページを捲れば、あの苦い思い出が蘇る。
もう少し、タイミングが遅ければーとも思うけれど、嫌なことも含めて子の人生の一ページだ。
1年生の頃からこれまでの集大成ともいえるアルバムに、成長を感じずにはいられない。
我が子だけではない、知った顔がいくつも。大嫌いなスネ夫ママの息子ですら、低学年の頃はあどけない表情をしており、思わず笑みがこぼれた。
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卒業式が終わった。
短縮した形で終わった式典。歌や呼びかけはなかったけれど、校長から生徒一人ひとりへの卒業証書授与は行われ、こじんまりとしたのがかえって、心に残る式となった。
保護者1名なら参加しても良く、我が家は夫が仕事を休めないだろうと以前から漏らしていたので、その点では影響は無かった。
あっけない程に、式典自体は終わってしまったが、その後それぞれが集まって写真撮影を校門前で始めており、子を探すと一人心もとない様子。
以前、仲の良かった地味グループは、ワイワイ集まって母親に写真を撮って貰っており、子はそちらの方をチラチラ気にしている風で切なかった。
スネ夫ママやボスママが、大声を張り上げて写真撮影。
「幼稚園グループ!集まって!!」
孤高の人達に声を掛けていたので、すっとその場を離れる。私達親子は、お呼びではないのだ。
いまだにつるんでいる彼女等を馬鹿にしつつも、羨ましい気持ちがあることは否めない。
そして、子に申し訳ない気持ちになる。
子が最近仲良くなった友達を探すと、ピロティの方で母親交えて談笑しているのが見えた。
だが、2人ではない、他のクラスの子達なのか幼馴染なのか、習い事繋がりなのかは分からないけれど、10人グループ程の大きな輪になっており、とてもじゃないけれど入れそうもない。
ー情けない。
子に対してではない。母親としての私に対してだ。こんな晴れの舞台に、周囲を気にしていることが、情けなかったのだ。
気を取り直し、明るく子に声を掛けた。
「あっち、お花もあるし。校舎をバックに撮ろう!」
校門前は人が多く、勿論、教師とのツーショットも大勢の生徒とその保護者が並んでいた。
「OOちゃん!」
振り向くと、Dちゃん達。子も、声を掛けられて嬉しそうだった。
「写真、撮りましょう!」
もじもじしている我が子を前に、つい出しゃばってしまった。Dちゃんママや素敵ママにも挨拶をした。勇気を出して。
「本日はおめでとうございます、写真、ご一緒してもいいですか?」
「勿論、はいはい、並んでー!」
Dちゃんママが子供たちに声を掛ける。皆、一列に並ぶ。同じ幼稚園でもないし、私は彼女らのグループでも無い。
ただ、こうして一緒に写真撮影をするきっかけは、子が子ども会に入っていたからだ。そして、直接的な関係はないけれど、私も子ども会の役員を柄にもなく頑張ってきたことが、ここで報われた気がした。
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ひとたび勇気が出れば、妙なアドレナリンが出たのか、子が仲良くなり始めたという友達のところにも行けた。
自分でも驚くが、ほぼ初対面の母親達に挨拶まで。
「すみません。OOがいつも仲良くさせていただいてて。色々とお世話になりました。」
突然声を掛けられて、母親達は驚きつつも受け入れてくれた。それは、彼女らの子ども達が子を見付けてすぐさま走り寄り、きゃあきゃあ楽しそうにはしゃぎ出したからだ。
「いえいえ、こちらこそ。ありがとうございました。」
深々とお辞儀を返される。
子は、受け身でありながらも、本当に嬉しそうな顔をしていた。
「写真、いいですか?」
もう一度、勇気を振り絞った。なりふり構わずーということは、こういうことか?それでも、小学校生活最後の思い出は、友達と共に笑顔である子の姿を残したかったのだ。
必死過ぎる私に、母親らは少し戸惑ったような表情だったけれど、3人を並ばせてしまえば、彼女らもカメラを向ける。
「またね。」
「バイバイ。」
仲良しの一人は、私立へ行くのだそうだ。目が真っ赤に腫れており、悲しみも人一倍といった感じだった。
殆どの子ども達やその親は、まだまだ名残惜しいように校門前にたむろしており、コロナ自粛など無かったかのように食事の約束をし合っていた。
私達親子は、そこまで熱い輪に入ることが出来なかった6年間だけれど。それでも、今は誇らしい気持ちだ。
色々あったけれど、卒業出来た。
そして、最後は笑顔で6年間過ごした校舎を後にすることが出来たのだから。
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6年間
毎日毎日
このランドセル
全ての感情を、この箱の中に詰めていたから
重過ぎる
そんな文句、時々
それでも、自分で背負って
時に、忘れ物をしたりして
気付いて欲しいサイン
それに気付けず反省した夜もあった
あれこれ全部を思い出に変えてー
そんな都合の良いことは言えないけれど
おめでとう
君は、これからー
続く言葉は、夢
そして、希望
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