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映画と贅沢

この週末、夫は相変わらず出勤なので子と以前から計画していた映画を観に行った。
恐らくこれで最後のプリキュア映画ー、同時上映されていた「アナと雪の女王」「ドラえもん」などにも興味がありそうだったので、先走ってチケットを購入した事を少し後悔したが、やはり映画館は特別な雰囲気。
私も子も普段派手なレジャーが出来ない分、ドキドキとワクワクが止まらなかった。
映画館はペットボトルなどの持ち込みが禁止なので、2人分のジュースとポップコーンを買った。
それだけで贅沢気分。

映画の内容は、モンスターペアレンツの母親を思い出すような話だったので私も案外のめり込めた。
映画が終わり、グッズ販売の所に駆け寄る子。
その日はそれまでに貯めていた自分の小遣いを持っていたので、そこからやりくりをして何を買おうか迷っているようだった。
長い時間迷いながら、優柔不断に決められないでいる子。
プリキュアはもう恥ずかしいし、買うのをやめてアイカツの何かを今度買おうかと迷っていたが、結局パンフレットを500円で購入していたようだ。


すぐに帰るのもまだ時間が早かったので、映画館の近くの遊び場のベンチに腰掛けて水筒のお茶を飲んだ。
すぐ隣のベンチでは同じように映画館帰りと思われる友達親子の群れがあり、母親同士は数人で盛り上がり、それは良かったのだが、子供同士で盛り上がっている群れをチラチラ横目で見ている我が子が気になった。
映画館で買ったグッズを開けて、互いに見せ合ったり、また持ってきたネイルシールを女の子同士できゃあきゃあ言いながら付け合ったりして楽しそうだった。
おやつ交換のようなものも始まり、全く面識の無い子供達だったのだがどうしてもそれが気になるようで、子に向かって観てきた映画のことをあれこれ話しかけても子は殆ど上の空で隣のベンチが気になるようだった。
私自身がその場にいるのが耐えられず、つい子をお茶に誘ってしまった。
折角外で食べる様にお茶もお菓子もバッグに入れて来たのにだ。


「パフェでも食べに行こうか?」

「え??うん!行きたいー!」


子は途端に切り替えて、そそくさとベンチを立った。
私もそれを追いかけるようにベンチを後にした。


丁度おやつの時間だったので、サンマルクカフェでパフェを食べた。
私はチョコバナナ、子はストロベリー。
合計1200円以上の出費だ。
それでも、こうやって親子で映画を観た帰りに美味しく外でパフェを食べた記憶は、いつしか子の思い出に残ると信じてーまた私自身の記憶にも。

実母は私が幼い頃、毎週のようにデパートに繰り出しては買い物や外食で気分転換をしていた。子供心に実母が洋服や食器などを買い込むのに付き合うのはつまらなくて疲れるだけだったが、唯一楽しかったのはその間に挟むランチやお茶の時間。
金遣いが荒い実母に色々と思うことはあるけれど、そうした贅沢の楽しさはやはり今思い返しても楽しい思い出であり、そうした記憶は宝物でもある。
この日は、私の中で「子と私の卒園祝い」としていたので、色々と奮発した。
子は何度も、


「美味しいね、また来たいね。」


と上機嫌だった。
とてもじゃないけれど、家計費からは出せないレジャー費。
夫から貰う生活費だけではこんな贅沢は絶対出来ない。
家で作れば、アイスとコーンフレークと果物できっと500円もあれば食べれるものであっても、時間と雰囲気を買うのだ。
そう思えば1200円も高いとは思わない。

この日は気が大きくなって、更に600円のジャムを3瓶も買ってしまった。
春休み中、実母に会うのでその時に渡すもの。
こうした交際費も生活費からは出せないのだが、独身の頃から母に何かを渡す習慣がいまだに抜けず、また結婚したら娘がケチになったと言われると夫の株がますます下がる。
夫は子にとっては父親で、その父親の悪口を言われるのは避けたいところなのだ。


今朝ー、贅沢した日から一夜明けて、1斤68円の食パンに600円のジャムを塗って食べた時の矛盾の可笑しさ。
まるで自分の中の矛盾を見ているような気持ちがした。











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劣等感

妊娠中の従姉妹から相談の電話があった。
妊娠中期に入り、切迫気味だとの事。そしてこれから先のライフプランの話になり、お金の問題や家族計画の問題諸々、増税に伴う不安感などを一通りまくし立てられたかと思ったら、突如私自身についてのこれからについて尋ねられた。


「で、そろそろ働くの?」



この質問、専業主婦の方々はうんざりする類のものだと思う。

どうだっていいじゃないか、それで個々の家庭がうまく回っているのなら。それでも他人ー特に女性は近しい人々の事情を詮索したがる。私は従姉妹のあれこれについて詮索した事なんてないというのに。





「私さ、退職したはいいんだけど先の事を考えたら不安になって。1年は育児するにしても2才くらいから働きに出ようかなって考えてるんだ。妊娠中もあまりにも暇で。習い事とか近所のママ友だとかと遊んでるのも楽しいんだけどね、なんか自分が無くなるような気がして。」



家庭も身の回りの環境も今のところうまくいっている彼女、これ以上何の不満があるのか?
それでも人は上へ上へと高みを目指す生き物なのかもしれない。



「育児してみて、それから考えたら?産後も個人差があって大変な人もいるしー子供だって育てやすい子だとは限らないよ。」


従姉妹だから地雷を深く考えずに言える言葉ー育てにくい子という言葉なんて特にうかつに出せる単語では無い。



「うーん、でもその時はその時じゃん。実は前の職場から復帰の話が出ててさ。退職してだいぶ経つけどやっぱり私が必要だって言うのよ。新人が使えない子ばっかりみたいで。時短でパートでもいいから取り敢えず来年辺り考えてくれないかって。席はいつでも用意してくれているみたい。」



「ふうん。いい話だね、旦那さんはなんて言っているの?」



「旦那は私が決めたことなら反対しないに決まってるよ。まだ話してないけど。」



その自信たっぷりの口ぶりに辟易しつつも、内心ではまたどす黒い感情が沸いて来て止まらなかった。
従姉妹は薬剤師の資格を持っている。私がもし生まれ変わったらその道を選ぶだろう喉から手が出る程欲しい資格だ。
パートにしたって時給はいいし、時間の融通も利く。
そして何より専門職への憧れ。
勉強して来なかった自分が悪いのだが、先の見えない将来を前に何故もっと未来を見据えて進路を選ばなかったのか。
彼女はそういった盾もあるからなのか、自信もあるし夫に対しても対等なのかもしれない。
主婦になって、夫婦のいざこざから突如離婚し、ぽんと社会という荒波に放り出されたとしても、生きて行く為の技術が身に付いているーそれは唯一の強みだ。


私はアドバイスをするというよりも、彼女の足を引っ張りたいような衝動に駆られていかに専業主婦の選択が後悔の無いものだったかを語りだした。
聞かれたのは「働くか否か」、それまでは行ったり来たりの感情だったのにだ。



「子供に働くお母さんの背中を見せるのも子育てだって言うけど、私はそうは思わないよ。そんなの小さな子供には理解出来ないし、寂しいものは寂しいと思う。
仕事と育児の両立なんて、結局無理な話。3歳にも満たない子供を他人に預けてその間仕事して、結局何らかのしわ寄せだったりはあるよ。
時間的に絶対両立出来る訳がないし、両立出来ているなんて言う人もいるかもしれないけど結局自分の手で育てている時間を考えたらそれって両立?って思う。子供が起きてる時間の殆どを自分以外の誰かに見てもらってるんだもん。それをもって両立って言われてもね・・
平日は慌ただしくご飯やお風呂、寝かしつけして。
子供が暖かい場所だと思うのは、保育所の所詮他人のおばさんにで。実の母親が必死に両立していると思っていても実際子供はその背中を遠くて手の届かない、いつでも受け止めてくれるはずもないものなんだって成長と共に諦めていくものなんだよ。働くママがかっこいいっていう正当な理由をつけて。
働く母親を尊敬してるだなんて言うのは大人になって全てが分かってからであって、両手で数えられるうちの年頃の子供はそんなの分からないに決まってる。
お母さんの匂いだったり声だったりいつでも帰ればそこがホームで、ちょっとした家でのやり取りや遊びが大人になってからの財産になるって思う。勿論経済的に働かざる得ない状況なら仕方がないし、それで頑張っている主婦の人達は尊敬するけど。
ただ自分のキャリアだとかの為にだったら、それは大人の勝手だと思う。
だから、子供が小さいうちは家にいる方がいいと思うよ。私はね、そう思う。」




従姉妹は私の語りを聞いた後、受話器越しに溜息をついた。




「そうだよね・・分かるんだよね。うちのお母さんも看護師で家にいなかったから。寂しかったから。今でこそ親も引退してあれこれ手伝ってくれたりするんだけど、正直今じゃないんだよね。
あの頃お母さんにこっち向いて欲しかったなって思いがあるよ。本人には絶対言えないけど。」




劣等感と嫉妬とが入り混じった黒い感情から語りだしたその台詞は、半分は本音で半分は今の自分を納得させる為の綺麗事だった。
逆に自分が兼業主婦だったのなら、また違った理由をあれこれつけて現状を正当化させていただろう。
普段人としゃべらない分、この日はやけに饒舌な自分がいた。
そしてそれを素直に受け入れ聞いてくれる従姉妹に対して悦に入る自分にどこか格好悪さを感じずにはいられなかった。




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春一番が吹く中での卒園式。
夫も平日なのだが、最後ということで無理して午前休を取ってくれ式に出席してくれた。

緊張した面もちで卒業証書を受け取る子の背中に、この2年間頑張った姿を思い、感慨深く胸にぐっとせまるものがあった。


式が終われば直ぐに謝恩会だったので、役員である私は感傷に浸る間もなく会場設営などの準備に大わらわ、忙しく動き回り、園児や保護者を誘導し、プログラムを配布しとほぼ立ちんぼ状態。
お弁当を食べながら、保護者有志で行われる出し物やスライド、また合唱など先生に楽しんで貰えたようで安心した。
会の途中、トイレに行きたがる子供達を誘導したりで、私自身はあまりステージをゆっくり観ている暇はなかったが、後から子に聞いたらとても楽しかったようで安心した。
記念品として、卒対からは「顔写真入り似顔絵時計」と「スライドで使ったDVD」を贈呈した。
謝恩会が終わり、それぞれのクラス毎に集まり担任とのお別れ。
ここで子も親も涙する人が多く、ひとりひとりの子供達が担任に花を渡し、また記念写真を撮り、子も号泣しながら担任に抱きついていて私も貰い泣きしてしまった。

最後に担任が園児に向けて語りかけた言葉が胸に響いたー


「この幼稚園でみんなは色々な事が出来るようになりました。お友達の作り方やみんなで力を合わせて頑張ること、いっぱい泣いて笑って怒って色々なお顔を見せてくれましたね。
先生は明るく元気に頑張るみんなの事が大好きでした。
小学校に行ったら、もっともっと色々な事があると思います。
頑張ることは大事だけれど、先生はみんなに大好きな事をいっぱい見つけて欲しいです。
先生は子供の頃お絵描きも好きだったし、ボール遊びも大好きで、それからお歌も大好きでした。
そして、大好きなことがどんどん増えていった時に、それが出来るお仕事として幼稚園の先生になろうと思いました。
たくさん大好きな事が増えれば、夢もたくさん増えるしきっと周りを笑顔にすることだって出来るんです。
みんなにはそんな大人になって欲しいと思います。
小学校でお兄さんお姉さんになったら楽しいことをたーくさん見つけて、今度先生に会った時に教えて下さいね。」




そんな言葉だったが胸をついた。

「夢」「希望」ー自分の中では遠い遠い忘れかけていた言葉たち。
きらきらした目を輝かせながら、担任の話を聞く子供達の未来はそれらに溢れているのだ。
勿論我が子の未来も。




会が終わり、最後だからと小学校が離れ離れになってしまう親子に勇気を出して声を掛け写真を一緒に撮ってもらった。
また、Yちゃん達グループやさなちゃんやまいこちゃん、その他の子供達の輪に入れてもらい記念撮影。
勿論担任と生徒達との最後の集合写真もカメラにおさめる事が出来て満足した。


最後に卒対メンバーで片づけなど。
打ち上げが夜に飲み会で行われるとのことだったが丁重にお断りした。
子の預け先もないし、解放感でいっぱいの中もう十分役目は果たしたのだと思い、断ることでの罪悪感もさほど生まれなかった。



「1年間大変だったでしょう、お疲れ様。」

会長に声を掛けられた。
その他のメンバーからも、


「色々面倒な作業ありがとうございました。」



とお礼を言われた。
まさかお礼を言われるだなんて思っていなくて、嬉しさと恥ずかしさに少々居心地が悪くなったが、最後までボスママは目を合わせてくれなかった。
前日にまいこちゃんママに子をお願いしていたので、お迎えに行くと先にお迎えをしていた彼女が既に上がっていたらしく、まいこちゃんママに家にあがるか聞かれて咄嗟に玄関先で断ってしまって気まずかったのも後を引いていたが、明日からはもう関係のない人なのだと思えば、そんなこともどうでも良くなった。


あんなに憂鬱だった園の門もー、もう二度とくぐる事はないのだと思うとどこか寂しい気持ちが湧いた。
何度この門を目の前にし、逃げたくなったことだろう。
駄目な母親を励ますかのように、子が園を大好きだったというひとつが頑張れて来れた糧。
子に背中を見せるどころか見せられながら親として成長して来たように思う。
子の卒園式は親の卒園式でもあるのだなと思う。


子は春休みに入り、卒園で贈呈されたアルバムを何度も何度も繰り返し眺めている。
きっと私が感じる二年間よりも密の濃い長い長い二年間だったのだろう。何といっても子にとっては生きて来た中で3分の1の期間を過ごした場なのだ。
素敵な先生とお友達に恵まれて良かったー最後のこの日に見上げた空は高く、清々しい程晴れ渡っていた。





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最後のお弁当

今日は最後のお弁当日。
少し早起きして子のリクエストのキャラ弁を作った。
のりやハムでパーツを作り、なんとかアイカツのいちごちゃんが出来た。
唐揚げにミートボール、ブロッコリーのグラタンにツナオムレツにプチトマト。どれもこれも子の大好物のおかず。
今日だけはバランスを考えず、子の好きな物だけを詰め込んだ。
デザートには子が大好きな苺。1パック480円もしたから躊躇したけれど、最後だから奮発して購入した。

(おいしくなぁれ)

心の中、おまじないを掛けながら丁寧に作るお弁当。
夫の為に、結局弁当生活はまだまだ続くけれど、この小さな小さな箱に毎朝おかずを詰め込むのは最後。
空っぽの元気な時もあれば、残してしまった心配な日もあった。
子の心や体のバロメーターともなっていた習慣の一つだった。

ー幸せの形

子が喜ぶ顔を想像しながら手作りする朝のキッチン。ひとりきりの日中、楽しく食べているかなって想像する時間。
どんなに疲れていても、帰宅して子のカバンから取り出した弁当箱が空っぽだった時は辛い気持ちも吹き飛んだ。
またひとつ、子にしてやれることが減ったことが誇らしいような悲しいような複雑な気持ちだ。




そして今日ー、いつものように子のカバンから弁当箱を取り出した。
弁当箱の蓋に何かが貼られていて、それを見て思わず涙ぐんだ。



「おかあさん、いつもおいしいおべんとうありがとうございました。」



拙い文字で書かれたその手紙に、この2年間のあれこれが走馬灯のように蘇り浮かんでは消えていった。
私が泣いているのを見て子は言った。


「ママ、嬉しくて泣いてるの?」


涙を流すという行為が、悲しいだけではなく喜びや感動の時もあるのだということを既に子は知っている。
それほど成長したのだと実感した。
綺麗にその手紙を弁当箱から剥がし、手帳に挟んだ。
宝物がまたひとつ増えた。


























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リハーサル

今週は謝恩会のリハーサルなどを行いバタバタしている。
保護者向けの弁当やお茶菓子発注でのトラブルがあったり、また司会担当者の子供がインフルに罹りドタキャンだったりと予想外の出来事に翻弄される日々だった。
私が作成したプログラムも、無事部数印刷が終わり一安心。
後は当日に向けての細かな打ち合わせ。
席決めや、卒園式から謝恩会へのセッティングは保護者主催で行うので、その指示方法など。
大まかな会場設営は、前日役員で行うので子をどこかに預けなくてはならず、延長保育もNGの日だったので困っていたら、ボスママの子を預かるついでにとまいこちゃんママが声を掛けてくれた。
有り難くお願いする事にし、そしてママ友とは完全なお友達ではない、こうした時に助けてくれる人をそう呼ぶのかもしれないと思う。
モヤモヤする件があってから、彼女とは距離を置いていたというのに私もゲンキンなものだ。
ボスママはスネオママのところに子供を預けるのかと思ったが、やはり子供同士のトラブルからそれを避けたのだろう。


子は、まいこちゃんのお宅に遊びに行ける事を今からとても楽しみにしている。
普段からお友達の家に行き慣れていないこともあり、口酸っぱく色々と言い聞かせているのだが、やはり不安は残る。
親の目の届かない場所で行儀良くいられるかどうか。
「お邪魔します。」の挨拶から、玄関では靴を揃えて脱ぐこと、絶対に人の家の冷蔵庫やクローゼットを開けてはならないこと、出されたお菓子はきちんと座ってこぼさず食べること・・などなど何度も言い聞かせうんざりさせている。
出したおもちゃなどを片付けること、もしお絵かきなどでペンを借りたら、絶対に机や壁に描いてしまわないよう気をつけるようにとも言った。


「ママ、うるさーい。」


あまりにも神経質に言い聞かせていたら、子は耳を塞いで嫌そうな顔をした。


手土産は、まいこちゃんママが好きそうな焼き菓子セットをケーキ屋で購入した。
可愛らしいお花やうさぎの人形で飾られているかごにそれらは行儀良く入っている。



小学校の緊急連絡先カードはいまだ空欄。この勢いで彼女に頼んでみようかと思っている。図々しいかもしれないけれど藁にもすがる思いなのだ。
ただー、家が少し遠いことで躊躇している。自転車で15分程あるその距離で頼むのは常識外れかもしれない。


夫は卒園式用にと、いつの間にか新しいネクタイとスーツ、それに革靴を購入していた。
友達から貰ったーと先日購入したフォーマルスーツとアクセサリーを指摘され、咄嗟についた嘘を後悔した。
素直に「あなたが買うのなら私も欲しい」と頼めば良かったかもしれない。
タイミングが悪かった。


あと少しでこれまでの忙しさから解放されるー
その先にあるのは安堵なのか、それともまた再び訪れるのかもしれない新しい緊張感なのか。
とにかく今は目の前のやるべき事に集中して、悔いのないよう子供の門出を祝いたいと思う。














*******


子供同士を遊ばせたいと誘って下さった方へ


メッセージ、嬉しかったです。ブログという文章だけの世界から私達親子の事を想像した上で会いたいと思って下さったこと、そのようなメッセージを送ることもきっと勇気が要るものだったと思います。
おそらく会える距離なのでしょうが、私自身様々な持病を抱えていたり、また心の問題を抱えています。
それをこのブログという場所で吐き出しているので、それを知った方とお会いするのにはやはり抵抗があります。
私に勇気が無いだけなのですが、いつかどこかで自然の巡り合わせであなたのような優しい方と知り合えたらいいなと思います。
一言お礼が言いたかったので・・ありがとうございました。






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実母に嫉妬

ここ最近実家に行っていないせいか、週1のペースで実母から電話がある。
特にこれといった要件はなく、大抵出先からの電話。
それも優雅にカフェからの電話。


「あ、もしもし〜。今日はOOに来ててね。お父さんがパチンコに勝ってお金くれたからアクセサリー買いに来てるのよ。疲れたからお茶してるところ。」


だから何だというのだ?
こっちは色々と忙しく構ってられないので生返事。
それでも自慢したいのか何なのか一方的に話し掛けてくる。すこぶる機嫌良く。
ちなみにその1週間前は、新しいバッグを買いに来たとか何とか嬉しそうに伝えて来た。
少ない額だが送金している娘の気持ちは考えていないのかと思うと腹立だしい気持ちになった。
アクセサリーも1万などではない、最低5万はするものを買うのだろう。バッグだって「安物」や「牛革」以外はバッグと認めない母のことだから数万の物をまた新しく購入したのだろう。
先日フォーマルスーツを購入した際、バッグについてはぐっと我慢したストレスがじわじわわいて来てむしゃくしゃして来た。
私が少々不機嫌なのを受話器越しに感じたのか、


「あ、そうそう。入学祝いも見てきたわよ。ランドセルはあんたたちの好みがあるだろうから買ってあげようか迷ったけどやめといた。文房具とかも好みがあるわよねー。何がいいか分からなくて。」

「あ、いいよ、別に気を遣わないで。何もいらないから。」


「向こうさんからは何かして貰えるの?」



「まだ分からないよ。」


「あ、そう。何かして貰ったら教えなさいよ。あんたは常識が無いからね。お礼とか私が見立ててあげるから。」


「・・・・・」






世間体を気にする母は、夫の実家とすぐ張り合おうとする。正直本当にいただいた金額を伝えればそれと同等の金額を包むだろう。夫の手前。
しかし程なくまた金が無いと大騒ぎし、私が別の形で送金するという堂々巡りだ。まるで無意味。
それに、金に困っている実家から色々貰うのは気が引けた。
父がパチンコに買ったというあぶく銭ーこういう金を貯金に回すことは思い浮かばないのか?
なんでもそういったあぶく銭は、綺麗に使い切ってこそ生きるのだそうだ。
しかしそれで老後や弟の為の貯金が無いと大騒ぎしているというのも矛盾していると思う。



イライラしている原因は他にもあった。
PCの履歴にずらっとアクセサリーなどの商品があったのだ。
たまたま夫のタブレットが最近故障し、自宅の共有PCをこの土日に使用していた夫。
どうやら履歴を消去し忘れたらしく、何気なく見てみたらブランドのキーホルダーや「ノジェス」という若い女の子が喜びそうなブランドの可愛らしいピアスなど。
そのどれもが1万円ちょっとのものだったので、そこまで高価なものでは無かったのだけれど、きっとまたホワイトデーで見栄を張るのだろうと思うと何だか腑に落ちない思いだった。
私には何もしてくれないー



そういう思いから、母が父から色々して貰っていることに嫉妬したのだ。
親に嫉妬するだなんて私も末期か。


電話を切り、自分自身でネット購入した新しいスーツを試着した。
鏡に合わせると、スーツに着られているようなどこかしっくりしない私が目の前にいた。
すっぴんで髪もボサボサ、顔色も良くない状態なのだから映えるはずもない。
独身の頃は借金してでも自分の気に入ったものに囲まれていた。しかし今は分相応。それでいいのだがたまに虚しくなる時がある。
物欲が無い主婦というのも世間には多くいるだろうが、私はどちらかといえば物欲がある主婦の部類から抜け出せないでいる。
それは自分に自信がないからだ。
良いものに身を包まれれば少しは自信が生まれるーそんな幻想にいまだとりつかれているのかもしれない。

























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半分こ

今日も役員の集まり。
子が午前保育だった為そのままお迎え。
仕事も大変だったけれど、その倍気疲れした。

私が首からぶら下げている夫から拝借したネックレスに気がついた派手ママが、

「それって羽生君のと同じやつですか?」

と聞いてきた。勿論敬語で。
派手ママは見た目ストリート系ファッションが多く、ママ関係主催のスポーツサークルをいくつも掛け持つアクティブな人。
私とは正反対。


「はい、家にあったものですけど。」

「それって浜ちゃんもしてますよね。この間ガキで観たんですよ~」


「あ、そうなんですか。知らなかったです、夫のなんですけどね。」



ダウンタウンの浜ちゃんもしているらしく、聞くところによると彼のしているモデルは廃盤でオークションで1万から数万円に及ぶらしい。

セレブママなんかは興味がなさそうにこちらをチラっと見るだけだった。彼女のファッションにはそぐわないからだろう。












役員仕事も終わりになり、こういうどうってことのない話題でも話し掛けてくれる派手ママに好感が持てた。
雪溶けのようにー、人とのコミュニケーションも地道に諦めず投げ出さなければ、少しは認められることもあるのかもしれない。


それでもやっぱり疲れてしまい、子のお迎えが終わると昼食を作る元気もなくコンビニに寄ってしまった。
子は久しぶりの買い食いに大喜び、お赤飯のおにぎりとアメリカンドッグ、それからフライドポテトとお稲荷を買った。
自分は適当に家のものでと思い、子が残ったら少し貰おうと買わずに帰宅した。

野菜が無いので、適当にトマトときゅうりのスティックを用意して自分の昼はプラス冷凍していた食パンを1枚トーストした。


「ママ、半分どうぞ。」


ダイニングに戻ると、子が自分の分ともう一方の皿に私の分を綺麗に取り分けていてくれた。


「半分にしたら少なくなっちゃうし、ママは食パン食べるからいらないよ。全部食べていいんだよ。」


「ううん、半分こがいい。でもこれは・・」


どうやらアメリカンドッグは半分に出来なかったらしく、ママがやってと言われたがあまり好きではないからと嘘をつき子に全部あげた。
優しい子に気を遣わせてしまった。

昼食を食べ、しばらく遊んだら疲れたのかお昼寝をしてしまった。
子も卒園式の練習などで疲れがたまっているのだろう。

財布に入っているレシートを即座に捨てて、食べ終わったプラ容器も夫に見つからない様に白いポリ袋に2重にしてゴミ箱の奥にやる。
以前ゴミ箱にある買い食いの空容器にいちゃもんをつけられたのだ。
節約せずに無駄遣い、それなのに家計がギリギリはおかしいと。
自分の財布から同等の金を移して一安心。
こんな生活をいつまで続けているんだろう、ちょっとした買い食いさえ罪悪感を感じる日々。
それを打ち消すように、今夜は手の込んだ夕飯を作ろうと思う。



















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ママ友がいない不便さ

園からのお便りで、明日までに小さなミニカーを用意してくれと通達があった。
聞くところによると、ちょろQのようなもので、後ろに引っ張って手を離すと前に進むという車のおもちゃだ。
女児なので、その手のおもちゃは自宅にある訳もなく、明日までという事で非常に困った。その日は天気も悪かったので自転車でぴゅーっと調達する事も難しい。
お迎え時にその便りを貰い、やはり女児の母親連中は内輪になってあれこれ文句を言い出した。


「うちにたくさんあるからあげるよー。」

「え?いいの?助かるー」



そう言いながらもなんだかんだでママ友がいればこういう場合非常に助かる。
以前もこのような事があった。
急な連絡でクリップ型になったマグネットを持って来てくれと言われたのだ。
この時も、回収は翌日だったのでお迎えからそのまま、子と共にショッピングモールの百均で探すも売り切れ(園近くの店では同じように必要だと言われた親達が買い占めるのだ)、隣街の百均までわざわざ1時間掛けて買いに行く始末だった。
この他にもまだまだたくさんあって、自宅では必要で無いもの、大袋でしか販売していないような物などを一つだけ持って来て欲しいと言われれば、我が家は常にそれひと袋分購入しなくてはならなかった。
こういう時ママ友がいれば、ひと袋を分け合い、割り勘する事だって出来るのに。
ミニカーで何をするのか知らないけれど、急な依頼ならばもう少し自宅にありそうな物に限定して欲しい。例えば輪ゴムとかレジ袋とか、トイレットペーパーの芯だとか。
わざわざどこかで買わなくてはならない様な物ならば、もう少し期限に余裕を持たせて欲しい。


結局この日は子と共に、ミニカーを買いに一旦自宅で着替えてからバスに乗って隣街のおもちゃ屋まで行った。
4時も過ぎると辺りは真っ暗、こういう時に限って早帰りの夫・・
急いで自宅に戻り、バタバタとある物で夕食を作りを始めた、そしてそういう時に限ってガス代の調子がおかしくレンジで調理出来そうな料理しか出来なかった。
勿論夫は食卓のメニューを眺めて不満そうだったけれど。震災用として備蓄してある温めるだけのおかずを使ったのが気に入らなかったのだろう。


「一日一体何やってんの?」


イヤミを言われたー勿論この日の日記にきちんとその台詞を記しておいた。
逆ギレして夫を罵倒出来たらどんなに気持ちいいか、到底出来ないし想像もつかないけれど、夫はどれ程驚くだろうか。
いつの日か驚いた顔を見れたらいいのにと思う。

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大詰め

昨日の役員会、無事ボスママにお礼を言うことが出来た。
運良く会議室に向かう際、トイレか何かでひとり廊下に出たボスママと遭遇し、挨拶と共にスムーズに声掛け出来た。

「先日は急な休みでご迷惑お掛けしました。司会を代わっていただいたようでありがとうございました。」

ボスママは急に私がまくし立てる様に謝罪したことに驚いたのか、一瞬目を大きく開いてから、

「いいえー」

と余裕のあるようななんとも言えない表情で薄く笑った。
ただそれだけの会話だったのだが、自分の中で最低限の役目を果たしすっきりした気持ちになれた。


とうとう3月ー
登園日で通算すると2週間を切った。
謝恩会の段取りやセッティング、またプログラムの手順など卒対委員としてはいよいよ大詰めに入った。
私は父兄へ配布する謝恩会当日の案内プログラムの作成に手間取っている。
何度も話し合いし、決定した事項を取りまとめ、それらをタイムスケジュールに沿って分かりやすく記載しなくてはならず、毎晩徹夜状態。
しかし先日欠席したこともあり、後ろめたさと少しの挽回の為、自分が努力すれば出来るところは進んで引き受けたいと思い手を挙げた。
下書きを会長に見せ、いくつかの手直しはあったがほぼOKを貰い、後はレイアウトを整えれば完成。
作成しながら、子供達の絵や写真をピックアップしてそれをレイアウトしながら、決して楽しいと思えなかった園生活も残りわずかなのだと実感するとなぜか切なさが胸にしみた。
小学校に上がり、結局は彼女らとはまた続くのだけれど、密の濃さはきっと薄まり息もしやすくなるだろうと思う。
疎外感もきっとー今まで程感じずに済むと思いたい。


それと同時に、子は子で新しい生活と新しい可能性、未来へと羽ばたく。
私の手を借りずとも出来ることは増えていき、私は私で身の振り方を考えていかねばならない。
今はまだ目の前のことをこなすことで手一杯だけれど、それでも近い将来を考えるとやはり切なく、胸がきゅっとするのだった。



各クラス毎に仕上がったアルバムを閲覧させて貰った。
最終チェックは私達なのだけれど、チェックというよりはもう皆がそれを鑑賞しながら思い出話に浸るようなものだった。
華奢ママは我が子のクラスのアルバムをめくりながらハンカチで涙を抑えていた。
ボスママもじっとアルバムを見ていたかと思ったが、それを繰りながら隣で一緒に見ている派手ママにヒソヒソと小声で何か話しているようだった。
盗み聞きするつもりもなかったけれど、席が近かったので何となく内容が聞こえてしまった。
やはり先週担任と色々話したあの内容だったようで、スネオママの子供の事をなんとなく批判しているようだった。
しきりに可哀想と言う派手ママの声が印象的だった。

小学校に上がればー彼女達の群れも変容しながら縮小していくのかもしれない。やはり子を通しての付き合いなのだ。
誰しも我が子が可愛いー、そしてその小さな存在を守る為であればどんな手段も選ばない。


そして自分自身はひとりぼっちの園生活だったけれど、我が子がひとりぼっちである彼女の心情を思うと、その方が遥かに辛くそしてやり場のないものなのだろうと思い、そうではない自分の悩みは結局のところ大したことの無い、ちっぽけでくだらないことのようにさえ思えたのだった。












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