フリマと趣味
この休み、隣街の規模の大きい公園に子と遊びに行ったところ、フリーマーケットが行われていた。
所狭しと並ぶ店の数々ー、行き来する店主と客とのやり取り。
昔からこういう場での買い物は苦手、何が苦手かといえば勿論店主とのやり取り、また値切るなどという高度な技を使えるだけの勇気もない私にとってはハードルが高い場所なのだ。
しかし、実際色々な店を覗いてみると、リサイクルショップよりも破格な値段で子供用のおもちゃや本が売られている。勿論その中には封が空いていない新品同様のものまであり、購買意欲がそそられる。
学生からファミリー層、また老人まで老若男女問わず様々な世代の人々が露店を出しており、こんな風に気候の良い空の下でレジャー感覚で店を出せたらどんなに気持ちのよいものだろうと思ったりした。
ふと園で何度か見たことのあるような他クラスの子供家族が露店を出しているのを目撃した。とはいっても一度も関わったことがなく、子も特に遊んだこともないような子供だ。
なので咄嗟に隠れるような必要もなく、近くのおもちゃの露店を子に見せながらチラチラそちらを遠目で見てた。
パラソルの下、父親と母親はピクニック気分で店を出し、また子供らは客の呼び込みをしているようだった。幼い子供達にとってはうってつけのお店やさんごっこだ。しかもちょっとした利益にもなるし断捨離にもなって一石二鳥だ。
今自宅にあって、不必要なものー
ガラクタ同様であっても他人から見たらお宝の宝庫ということもあるのだ。
しかし、客との交渉など面倒なこと、そして露店先までの荷物運びなど到底一人では出来そうもない。夫がいれば出来ないこともないが、まず夫がそういうことに興味があるかどうか。
おそらく面倒でたいした金にもならないことを折角の休日にやりたがる訳が無いだろう。
フリマではハンドメイドなどの露店もずらりと並び、引越し前のママ友がいたら一緒に店を手伝えたし楽しかっただろうなと思ったりもした。
根本で私は、金になるならないではなく外に出たい気持ちがあるのだと思う。だからといって仕事をするだけの環境でもなく人間関係の構築も今のところ皆無だからと諦めている現実。
一人で行動出来る積極性もなければ、集団に属すだけの協調性もない。なんだか自分が中途半端なグレーゾーンにいる人間に思えるのだ。
何か趣味を持とうと思いながらも、心の底から楽しいと思えるものがない。
ハンドメイドにしてもお菓子作りにしても、基本一人でコツコツ物を作り上げる作業だが、一方気の合う仲間と楽しくおしゃべりしながらなら楽しめるの面もある。いつかの時の為にそういうスキルを身につけておいてもいいのかもしれない。
でも、いざ何か始めようと思い製菓店や手芸店に足を運ぶも、なんとなく疲れが先行し何も手に取らず店を出てしまう。
本当に興味があれば、きっと店内にいるだけで心踊るだろうに。
フリマから脱線したが、何かを無条件で楽しめる人生が勝ちなのだろうということ。
損得感情抜きにして、楽しめる何かー
その引き出しがあればある程、充実した人生になるし、人間関係もそれに伴い広がり、潤いのある老年を迎えることが出来るのだろうと思う。
結局その日、露店で子にほっぺちゃんとストラップのような物を購入した。ランドセルにつけたいらしい。
このスライムのようなものが何故爆発的に売れているのかは疑問だけれど、子供の頃の流行なんてそんなものだ。
私が当時集めていた練り消しや香り玉だって、実用的ではなかった。
実用的でないものー、子供だって楽しめるものが多ければ多い程充実した幼少期を送ることが出来るのかもしれない。








所狭しと並ぶ店の数々ー、行き来する店主と客とのやり取り。
昔からこういう場での買い物は苦手、何が苦手かといえば勿論店主とのやり取り、また値切るなどという高度な技を使えるだけの勇気もない私にとってはハードルが高い場所なのだ。
しかし、実際色々な店を覗いてみると、リサイクルショップよりも破格な値段で子供用のおもちゃや本が売られている。勿論その中には封が空いていない新品同様のものまであり、購買意欲がそそられる。
学生からファミリー層、また老人まで老若男女問わず様々な世代の人々が露店を出しており、こんな風に気候の良い空の下でレジャー感覚で店を出せたらどんなに気持ちのよいものだろうと思ったりした。
ふと園で何度か見たことのあるような他クラスの子供家族が露店を出しているのを目撃した。とはいっても一度も関わったことがなく、子も特に遊んだこともないような子供だ。
なので咄嗟に隠れるような必要もなく、近くのおもちゃの露店を子に見せながらチラチラそちらを遠目で見てた。
パラソルの下、父親と母親はピクニック気分で店を出し、また子供らは客の呼び込みをしているようだった。幼い子供達にとってはうってつけのお店やさんごっこだ。しかもちょっとした利益にもなるし断捨離にもなって一石二鳥だ。
今自宅にあって、不必要なものー
ガラクタ同様であっても他人から見たらお宝の宝庫ということもあるのだ。
しかし、客との交渉など面倒なこと、そして露店先までの荷物運びなど到底一人では出来そうもない。夫がいれば出来ないこともないが、まず夫がそういうことに興味があるかどうか。
おそらく面倒でたいした金にもならないことを折角の休日にやりたがる訳が無いだろう。
フリマではハンドメイドなどの露店もずらりと並び、引越し前のママ友がいたら一緒に店を手伝えたし楽しかっただろうなと思ったりもした。
根本で私は、金になるならないではなく外に出たい気持ちがあるのだと思う。だからといって仕事をするだけの環境でもなく人間関係の構築も今のところ皆無だからと諦めている現実。
一人で行動出来る積極性もなければ、集団に属すだけの協調性もない。なんだか自分が中途半端なグレーゾーンにいる人間に思えるのだ。
何か趣味を持とうと思いながらも、心の底から楽しいと思えるものがない。
ハンドメイドにしてもお菓子作りにしても、基本一人でコツコツ物を作り上げる作業だが、一方気の合う仲間と楽しくおしゃべりしながらなら楽しめるの面もある。いつかの時の為にそういうスキルを身につけておいてもいいのかもしれない。
でも、いざ何か始めようと思い製菓店や手芸店に足を運ぶも、なんとなく疲れが先行し何も手に取らず店を出てしまう。
本当に興味があれば、きっと店内にいるだけで心踊るだろうに。
フリマから脱線したが、何かを無条件で楽しめる人生が勝ちなのだろうということ。
損得感情抜きにして、楽しめる何かー
その引き出しがあればある程、充実した人生になるし、人間関係もそれに伴い広がり、潤いのある老年を迎えることが出来るのだろうと思う。
結局その日、露店で子にほっぺちゃんとストラップのような物を購入した。ランドセルにつけたいらしい。
このスライムのようなものが何故爆発的に売れているのかは疑問だけれど、子供の頃の流行なんてそんなものだ。
私が当時集めていた練り消しや香り玉だって、実用的ではなかった。
実用的でないものー、子供だって楽しめるものが多ければ多い程充実した幼少期を送ることが出来るのかもしれない。




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- 2014/06/30