姥捨て山

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母は、祖母のことで父と喧嘩をすると、感情に任せ暴言を吐くことが多かった。
「早く死んでくれたらいいのに!どれだけ私を苦しめたら気が済むんだろう!?」
「私とお婆さん、一緒に溺れてたらどっちを助けるの!?」
父はいつでもそれに答えることはなく、黙って自室にこもるか逆ギレするかでー、私は子ども部屋の二段ベッドの布団にくるまり、耳を塞いで時が過ぎるのを待ち続けていた。
ついこの間あったというのに、また母からの電話だ。どうやらココナッツオイルのお礼の電話らしい。猫撫で声なのですぐにピンと来た。
「気を遣わせて悪かったわね~。痴呆症に効くらしいから、あんたに迷惑掛けない為にも毎日摂るようにするわよ。料理に入れてもいいし、毎朝ヨーグルトに入れても美味しいわね。あ、そうそう、OOはどう?2年生になって新しいクラスには慣れた?」
珍しく、母が孫のことを聞いてきたのはすこぶる機嫌が良い証拠だろう。最近、子の友達関係で悩んでいたこともあり、ついぽろりと悩みをこぼした。
「あんたにOOはいつもちゃんと話してる?学校のこととか友達のこととか。」
「聞くんだけどね、なかなか。時間掛けてあれこれ聞いても、忘れただとかうるさいとか・・あまり話したくないのかな。」
「あんたの時は私にあれこれ話してたくれてたからね。私がいつも聞く姿勢持ってたから。」
母は、私が彼女を喜ばせようと必死に取り繕いながら虚言していたなんて夢にも思っていないようだった。勿論全てが嘘ではないけれど、本当に辛い時はいつでも自分の胸に溜め込んでいたー私はそんな子供だった。
「いつも思うんだけどね、OOがしゃべらないのって父親が影響してるんじゃないの?あの人、本当にいつだって喋らないじゃないの。あれでよく仕事勤まってるわよね。驚いちゃう。無口な親に育てられて会話がないから、家でも学校でも自分の言葉を相手に伝えることが出来ないんじゃないの?それに、あんたは彼に気を遣い過ぎてるのが私から見て痛いくらい分かる!子供はね、母親が父親の顔色ばかり伺っていると、まっすぐ育たないわよ。」
母の言うことに正直カチンとしながらも、的を得たところもあったので言い返せずにいた。見ていないようで見ているー、やはり母は私の母であり、私は母の子供なのだ。
それでも、母だって父だっていつも夫に対して話し掛けようともせず、目も合わせようとはしないのだー
「お母さん達から話し掛けてくれたら、少しは違うかも。」
「え?なんでこっちからいちいち話し掛けないとならないのよ?向こうから話し掛けるのが筋でしょうが。なんてったって、あんた結婚失敗したわよ。もう少し愛想の良い人とだったらOOだってもっと扱い易い子に育っただろうに。あんただって、いつでも疲れた顔して、おばさん臭いセンスのない格好して、美容院だって行ってるの?結婚してから本当にお婆さんになっちゃって。やつれた顔して・・少し太った方がいいわよ。それにもっと綺麗にしてないと、OOは女の子なんだから、母親が小奇麗にしてないと嫌な思いするよ。」
母が私の年の頃ー、毎週のようにデパートに連れて行かれ、欲しいままに自分の物を買っていた。常にジュエリー売り場を渡り歩き、真珠やエメラルド、ダイヤなどのリングやネックレスを買いあさっていた母。勿論、私や弟にと着せ替え人形のようにデパートの服を買ってくれたりしたこともあったが、そこに私の意見など存在しなかった。「母が可愛いと思う物」は絶対で、私が欲しい物とは到底掛け離れていたが、「お母さんの目に狂いはないのだ」という言葉に縛られ、どうせ駄目出しをされるのだと、幼心に主張すら無意味なものだとハナから諦めていたのだ。
それでも今こうして微々たる物ながら、私からの仕送りがないと生活出来ていない状況にどう思っているのかと一度尋ねてみたい。しかし、それをしたところで、年寄りを虐めることになるだけで、また後から私自身自己嫌悪に陥り嫌な思いをすることも分かっているので、することはないけれど。
「あの人は不器用だからー、家では本当にマイホームパパだし、お母さん達のことを悪くなんて言ったことはないよ。むしろいつも気にかけてくれてありがとうって言ってる。結婚しても精神的にも経済的にも私の家族は自分が守る責任にあるって自覚してくれてるよ。自分の親兄弟と同じ様に思ってるって。」
また嘘をついたー
こうでも言えば、少しは夫への風当たりも弱くなるかと思ったからだ。もし、私が夫から経済的DVまがいなことや浮気の真似事をされていると知ったなら、母はどう思うだろう?
しかし、母が私に同情し助けてくれると思うよりも先に、「ほれ見たことかー」「私の目に狂いはなかったー」「あんたは結局お母さんの言うことを聞いていれば良かったのよー」など、私の選択を全否定されるのが目に浮かぶのだ。
私はもういい大人だ。いまだに「子供が子供を育てている」という感覚で、私の子育てを駄目出しする母。しかし、口出しするだけで何かを手伝ってくれることは殆どなく、助けをなんとなく求めても、「だから近くに住んでいたら良かったのに、そんな所に住んでるからお母さん何も出来ないわよ。」など、電車で30分足らずの距離であっても、今まで頑として助けてくれはしなかったのだ。
彼女の言う近隣とは、徒歩15分圏内。その範囲に住居を構えなかった私達家族は、母からしたら「姥捨て」同然、それを常に根に持っている。
姥捨て山に捨てられたーそう思い続けている母に、母の日の贈り物を厳選する。週に1度は電話をする。月に1度は仕送りをするし、ささやかながらプレゼントを贈る。敬老の日や誕生日、それに結婚記念日、また何故かホワイトデーやお中元にお歳暮ー、向こうから特にお返しがなくてもそういったイベントには何かしら気持ち伝えるようにしている。それでもまだ足りないのだ。
「そうそう、姉さんから電話があったんだけどさ。OXちゃん(従妹)の旦那さんがハワイに連れて行ってくれたんだって。随分景気いいわよね、本当OXちゃんはいい人と結婚したわよ。」
叔母は従妹の子供をしょっちゅう預かっているし、また従妹の旦那ともうまくやろうと歩み寄っていることは差し置いて、羨ましい部分だけをクローズアップし、それをこれみよがしに伝えて来る母。
母の中にもある「隣の芝生」は、私にとっても「隣の芝生」。そして、それを遠回しに求められても応えられないそのジレンマを、子供の頃のようにそっと胸に仕舞ってこう返すのだ。
「OXちゃんは美人だしね、玉の輿には絶対乗ると思ってたよ。」
従妹は元々派手な顔立ちをしており、誰から見ても美人。表参道にある行きつけの美容院では、カットモデルとしてカタログに掲載されるし、また学生時代はバイトでメイクのモデルをしていたこともあった。
元々の素材ー、どうしようもない、そしてその一因は私を産んだ母にもあるのだという遠回しの抵抗をするのが、母を黙らせることが出来る私の唯一の切り札なのだった。





- category: 実家
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- 2015/04/30