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今日の写真とお詫び

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■今日の写真




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不快な気持ちにさせてしまい、申し訳ありません。該当記事は削除いたしました。
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皆様にお願い

連日放送される虐待ニュース。
昨夜は、殆ど眠れず、夢の中でどこかの子供が虐待されていた。されるがままの子供に、夢の中で私は手を差し伸べることすら出来なかった。自分の無力さに、起きた後も涙がこぼれた。

今、こうして私が暖かい部屋の中でPCを打つ間、
寒空の下でベランダに出されている子供ー
訳も分からず暴力を受けている子供ー
ロクな食事も与えられず、空っぽの冷蔵庫を前に立ち尽くしている子供ー
一番愛する、信頼している「親」に見捨てられ、絶望の淵に立たされている子供達がいる。


*************************


1人の力では、未来ある子供達を守ることは出来ないから・・
だから、この場を借りてお願いします。共感して下さる方々、オレンジリボンのたすきを繋げて下さい。リアルに頼める人がいない、孤独な主婦の私が出来ること、それが、このブログを通してならと思いました。
どうか、どうか1人でも救われる命があることを願ってー


オレンジリボン運動ー子供虐待防止


seline

************************



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貧しい思考

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今年、年賀状が届かなかった友人へ、しつこいようだが手紙を出した。そして、子が学校から帰宅した際、両手一杯に抱えた広告やダイレクトメールに混じり、1枚雪だるまのイラスト入りのポストカード。差出人はその友人からだった。カードの上部には、「寒中お見舞い申し上げます」とあり、やはり年賀状が出せない事情があったのだとほっとする。
そして、下の方には小さく手書きのメッセージ。


「手紙、ありがとう。携帯アドレスなんだけど、スマホに変えてから昔のアドレスだとうまく送受信出来なくて・・申し訳ないのだけど時間がある時、もう一つのアドレスに送ってみてくれる?」


早速、言われた通りに「もう一つのアドレス」に送信してみた。すると、すんなり彼女に届いたようだ。少しして、


『久しぶり!やっぱりこっちのアドレスなら届くよ~スマホに変えた時におかしな設定しちゃったのかな?でも連絡取れて良かった!心配掛けちゃってごめんね。』


聞くところによると、彼女の方からも私に何度かメールを送っており、しかしどうやっても戻って来てしまっていたと言う。そしてそれは私だけではなく、私と同じ携帯会社に限ってのことだったので、近々ショップに相談に行くつもりだったとのことだった。それを聞いて、心底安心した。そして、普段からのマイナス思考で、大事な友人を少しでも疑った自分を恥じた。

今回は、大事な友人だったから私もしつこく手紙まで書いた。しかし、これがそこまで深い付き合いでない場合、恐らく勝手に「嫌われた」「拒否された」と思い込み、自らフェードアウトするに違いない。マイナス思考は人を遠ざけるー、身を持って実感した出来事だった。




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正しいロールキャベツ

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昼寝の最中、けたたましく鳴る電話。一瞬、実母からかと思いドキドキしながら受話器を取るが、母は母といっても義母からの電話だった。


「もしもし、お忙しいところ御免なさいね。今日はお休み?」


どうやら、私が働き始めたことを夫から聞いていたらしく、しかしまた専業に戻ったことまでは聞かされていないらしい。


「いえ。短期パートだったもので。今はまた専業主婦です・・」


「あら?そうなの?てっきりまだ働いてるのかと思ってたから。じゃあこの間のスキーも誘えば良かったわね。」


本当にそう思ってなのかどうなのか、真意は分からない。しかしもう終わったこと、どうでも良いことだ。内心面白くない気持ちだが、それを微塵にも感じさせないよう愛想よく振舞う。


「OOも本当に楽しかったようで。なかなかスキーに行く機会もありませんから、誘っていただいて有難かったです。私も体調崩していたのでゆっくり出来て助かりました。」


「お正月も寝込んでたでしょう?もしかしたら、もしかして・・なんて思ってるのだけど・・」


ーあぁ、またか。


遠まわしな探り方に、心底げんなりする。しかし、それに気が付かない風を装いこう返した。


「インフルエンザかと思ってたら、ただの胃腸風邪でした。年末年始に食べ過ぎたりお酒を飲んだりで、胃がびっくりしたのもあるのかもしれませんね。」


こちらもストレートに「妊娠」という言葉を使わない。「お酒」というキーワードで、その兆候が全くないことを伝えるのだ。義母は受話器越しからも分かる程にがっかりした様子だ。


「あら?なんか御免なさいね。年を取るとそそっかしくってね。そうそう、スキー、OOとってもうまくなったわよ。」


「なんだか、OOの寝かし付けまでして下さったようで・・」


夫の疑惑を晴らそうかどうかー、ギリギリまで迷う。しかし、もし疑惑が真実ならば、義母も当たり障りのない話ではなく、ここで本題を持ちかけるだろうし、妊娠がどうのこうのの前に一言息子の不貞を詫びるだろう。


「いいのよいいのよ。ほら、今回はお披露目旅行のようなものだからね。」


三女の彼氏が参加したということで、いくらか義母は興奮しているようだった。そして、三女とその彼氏の共通の友人もスキーに来ることになっていたらしく、宿泊ホテルも一緒だったとのこと。夜は、義両親と子供達を抜かした兄弟とその連れ合い、そして三女と彼氏の友人らで朝までカラオケをしていたとのことだった。


ーそうか、そうだったのか。子が言っていた「知らない人」というのはやはり、三女の友達だったのだ。


そして、くだらない妄想に捉われ、何日も無為に過ごしていた自分自身を疎ましく思う。




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電話が終わり、受話器を丁寧に戻す。そしてその日の夕飯の仕込みを始めた。
夜になり、残業でくたびれ果てた夫が玄関を開けた。ダイニングに入り、すぐにその匂いに気付く。


「ん?夕飯何?」


「ロールキャベツ。」


夫の大好物の一つだ。満足そうな表情で、


「白、冷やしといて。」


そう言い残し、風呂場に向かう後ろ姿がなんだか無防備に見えた。私はというと、大きな胸のつかえが取れてスッキリしつつも、しかし先日のスマホ画面に写っていたあの文字が残像に残り、もっともっと疑惑を晴らしたくなる。しかし、今回も夫はスマホを風呂場に持って行ったようだ。


ーまぁいい。その件に関してはまたの機会にするとしよう。


アツアツのロールキャベツを深皿に盛り付ける。新婚時代、初めて夫にこれを作った時は一口食べて残された。味がどうこうではなく、見た目が正しくないということでー。夫が言う「正しいロールキャベツ」は、爪楊枝が刺さっていない、きちっとキャベツの端が中に折り込まれたものだ。勿論、全て均等の大きさでなくてはならない。レストランで出されるような、形の整ったロールキャベツ。

結婚十数年して、ようやく辿り着いたそれは、作るのに今でも気合いがいる。今夜はどうだろう?実は、これを作るが為にキャベツをだいぶ無駄にしているのだ。途中で破れたりぐちゃぐちゃになったり、ロールキャベツはキャベツの外側部分数枚でしか作ることが出来ないので、キャベツ2個用意しても、失敗したらアウトなのだ。

そして風呂から出た夫は、上機嫌でワインを飲みながらおかわりを3度もした。空っぽになった鍋は、まるですべての疑惑を晴らしてくれたような、そんな錯覚さえ覚えるのだ。




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コメントを下さったNさんへ

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ご指摘のあった前記事ですが、修正いたしました。
教えて下さり、ありがとうございました。
また、読んで下さった方々にも、同じセンテンスの繰り返しで読み辛く、すみませんでした。




seline


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ブラックタイム

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代り映えしない日々を送る私にとって、ゴールデンタイムなど存在しないけれど、しかしブラックタイムなんてものがあったら、24時間の中でいくつかにそれはある。
まずは、朝の8時~9時半辺り。この時間は、エントランスに各園の親子がバスを待ち、賑わう。朝からハイテンションで駆け回る子供に、一体毎日顔を合わせているというのに、どこからそんなにネタが出て来るのだろうと思う程の井戸端会議を楽しむ母親達。彼女らが賑わうこの時間、ゴミ出しに出るのは避けている。
次に、午後2時から3時半くらいまでが第二のブラックタイム。またまた各園の母親達が、子供達を迎える為にバスを待つ時間帯だ。朝よりタチが悪いのが、バスが来ても そのまま帰宅する親子など稀で、その殆どはその場で遊ぶ。団地のエントランスは、特に遊ぶ遊具などないというのに、しかし子供は何もない所でさえレジャーランドに代えてしまう天才なのだ。
母親達も、仕方がないわね・・と一瞬は困った表情をするものの、しかし朝の井戸端の続きをそれなりに楽しんでいるように見えるのだ。
とっくに卒園し、子は子で自分の友達を見つけ、私の役目はほぼ終わったような気がするのに、しかしそれでも彼女らを目にすると胸がざわつくのは何故だろう?中には、「楽しそうな振り」をしている母親もいるのだろうけれど、それでも表向きに楽しそうに振舞っているー、振舞える場があるというのは私にとって羨ましいことだ。

子の習い事で、たまにまいこちゃんママらの群れに参加したり、またスネ夫ママがいない時限定で素敵ママらと話している時ー、傍から見たら、私もそれなりに楽しそうな母親にうつるのだろうか?

いつもは避けているブラックタイムー、しかしその日は午前保育だったのだろうか?まだ昼の11時過ぎだというのに、図書館へ行こうと自転車置き場へ行くと、酒井さんらの群れがエントランスに見えた。そのまま忘れ物をした振りで引き返して自宅に戻る。そして、その日のタイムスケジュールが狂うことに苛々する。


ー今日は、図書館帰りに例のパン屋でランチを買って帰ろうと思っていたのに・・・


ー借りて来た本を読みながら、熱いコーヒーを入れて好きなラジオでも聞きながら焼きたてパンを頬張るー密かに楽しみにしていたのに・・




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30分経ち、さすがにもうお昼だから解散しただろうかと玄関を開け、共用廊下のバルコニーからエントランスを見下ろした。しかし、まだ酒井さんの子供らと同じ制服を着た何人かが飛び回っているのが見えたのと、その近くで楽しそうな6~7人の母親達を認めると、その日のパンランチは納豆ご飯に格下げするより他はなかった。


11時:図書館に出発
11時半~12時半:自分の本と子に頼まれている本を借りる
13時:パンを買って帰宅



少し遅めの家ランチを楽しみにしていたのだ。しかし、その楽しみも楽しそうな集団を見たらなんだか色褪せて見えた。ちっぽけな自己完結の楽しみ・・虚しさで心も体も一杯になる。気楽な1人時間ー、それを心の底から楽しめたらいいのに・・何故楽しめない?独身時代、仕事の昼休憩での1人ランチはあんなにも癒しの時間だったというのに。 理由は分かっていた。
それは、「承認欲求」に振り回されているからだ。他者から認められたい。仕事をしていた時は、少なからず満たされていた欲求。私宛の電話があり、私宛もメールがあり、そして私が作成しなければならない提出物があった。
それが、今はない。家庭にもあると言えばそれまでなのだが、やはり、家庭は身内であって、社会ではないのだ。
ならば、仕事を再開すれば解決するのかもしれないけれど、そうスムーズに動けない、それが「私」の困った性質なのだ。




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お守りマスク

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すっぴんでも風邪を引いている訳でもないのに、マスクが必需品の私。選ぶサイズは大きめの物で、顔の半分以上を覆い隠してしまう程。外出する時は必ずといって着用する。マスクに帽子ー多少寝癖のついた頭でも大丈夫。子の習い事の送迎でもこのスタイルは必須。時に、顔見知りに気付かれないことも多々あるのだ。特に、スネ夫ママがいるスイミングでは、このスタイルは絶対不可欠。私にとってマスクは、言わば「お守り」のような存在。知人とすれ違っても気付かれにくいアイテムであり、最悪遭遇したとしても表情が見えない分、必要以上にキョドってしまったとしても、相手にその様子がバレないことはメリットが大きいと言える。
思い返せば、1年のうちで約半分以上はマスクを着用している気がする。さすがに夏場は付けないけれど、それでも木枯らしが吹く頃には、やっと相棒と共にすることが出来ると意気揚々に、使い捨てマスクの在庫をチェックする。秋口から花粉始まる春、約7か月はマスクのお世話になっているのだ。
常日頃、ドラッグストアで大量に買い置きしてあるので、今や倉庫には7箱もある。近年、黄砂があったりしたことで神経質な夫から買い置きを勧められていたことも、大量にマスクを購入するに至った理由の一つでもあった。
先日のスイミングー、スネ夫ママが見当たらないこともあり、久しぶりにGさんと素敵ママに自ら話し掛けてみた。どうやらFさんはお休みらしく、スネ夫ママも時間になっても来ないのでお休みらしいとの情報。
なので、彼女らが座る待合いソファーに、私も自然と座ることが出来たのだ。




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「マスクしてたから、気付かなかったよ~」


「寒いし、マスクしてると温かいからね。」


実際、マスクは防寒にもなるのだ。私は、昔から寒い空気を吸うと吐き気を催す体質で、しかしマスクをしていればそれは起こりにくかった。素敵ママの下の子Sちゃんは、以前は私に笑顔を向けてくれたのに、久しぶりということもあってかママの背後に隠れて出て来ない。明らかに私を怖がっているのが見て取れた。
こういう時、子ありであってもうまく対処出来ないのが私の悪いところだ。Sちゃんは、しばらくするとママのバッグの中にあるお菓子を食べたいと駄々をこねだした。


「もう~、お菓子食べ過ぎ。ダメよ!」


素敵ママがSちゃんを制すが、口先だけ。それを証拠にバッグから取り出した菓子袋を開けて、Sちゃんの手に持たせている。Gさんは、相変わらず美人なのに面白おかしい話を提供、素敵ママを大笑いさせていた。しかし、私が笑いのセンスがないのかもしれないけれど、Gさんが笑わせようとしているネタは全く面白く思えず、正直素敵ママが何故そこまで大口を開けて笑っているのか分からない。しかし、面白くないからといってむっつりとした表情が出来るだけのマイペースさは私には皆無なので、マスクから出ている目の部分だけ、いかにも「笑っています」と言わんばかりに細めることに集中した。目じりを下げるよう意識しつつ、しかしマスクの下の口元が一文字に結ばれているだ なんて、誰が想像出来るだろう?それ程に、上下の表情のギャップは大きかった。
マスク無しならば、きっと普段使わない表情筋を酷使し過ぎて、下手すると顔面痙攣を起こしていたかもしれない。いや、そうでなくても、翌日には顔面筋肉痛だ。
優しく目を細めるーそれだけで後の表情は相手の想像にお任せする。プラス思考の人間ならば、笑顔であることを信じて疑わないだろう。しかし、私のようなマイナス思考の人間は、そのマスクの下の表情の嘘を見破り、げんなりとした気持ちになるに違いない。
たかがマスクー、されどマスクの威力は絶大だ。これからも、私の日常になくてはならないアイテムの一つなのだ。




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難しい距離感

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暇な休日、ショッピングモールで餅つきが行われており、買い物ついでに子と寄ってみた。餅つき以外のイベントも行われており、どれも無料で参加出来る。その中に、参加型イベントで、女の子が好きそうなものがあったので子にやらせてみることにした。「デコパッチ」というフランス工芸で、色とりどりの薄い紙を好きなようにコラージュしながら、空き缶や空き箱に貼る、エコでアートなデコレーションツールだ。
元々、子はこういう細かな作業が不器用ながら好きなのだが、私が教えるとセンスもないうえ、思うように子が出来ないことで、お互いイライラして中途半端に終えることが殆どなのだけれど、赤の他人が教えるとなれば、子も多少の緊張感から我儘を言うことも なく、スムーズに事は運ぶような気がした。
子を列に並ばせて、私は少し後ろで見守ろうと下がると、視線の先に見覚えのある後ろ姿。それは園時代、唯一私に対して良くしてくれたふわふわママだった。彼女も子供と来ているのだろう、しかし私と同じく列に並ぶ子供を1人で見守っているようだった。こういう場合、普通ならば笑顔で駆け寄り挨拶ーが正解なのだろう。しかし、私はわざとらしく彼女の視界に入るような位置に移動する。いやらしい話だが、彼女の方から声を掛けて貰う算段だ。
彼女が気が付くように、あえて顔をそちらに向ける。勿論視線は合わさない。あくまでも、「私」と気付いて貰えるような角度、位置をキープする。話し掛けられ易いように、いくらか柔和な表情を浮かべてーすると、


「あれ?OOさん?久しぶり!」


ふわふわママが声を掛けてくれた。私は待ってましたと言わんばかりに、犬がしっぽを振るように笑顔で挨拶をし返した。小学校に上がってから、クラスも別々になり、互いに話す機会もなかった私達。数年前の運動会で、彼女に親切にされたことは、今でも私の中のメモリアルボックスに大事に大事に保管されている。彼女にだからこその回りくどい自己アピールだ。
彼女は、誰に対しても柔らかい雰囲気の癒し系。その場を和ませる天才だ。そんな彼女だが、私に対しては久しぶりの再会ということもあってか、多少のきごちなさを感じるような気がした。それでも当たり障りのない、クラスの担任のことだとか習い事だとか、一通りの近況、そして情報交換ーいや、その殆どは彼女から私に向けられるものであって、私が彼女に与えられるような有益な情報はないに等しいのだが・・・それでも、私にとっては唯一話せるママ知り合いの1人なので、多少ウキウキしながらも、はしゃぎ過ぎないよう、努めて気持ちを落ち着かせながら彼女の話に耳を傾け、極力楽しそうに相槌を打っていた。


「あれ~!来てたの!?」




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背後に、女性の声。振り向くと、私を飛び越えてふわふわママに話し掛けたのは、見覚えのある・・・以前運動会とプールボランティアが一緒だった彼女。Yさんのママ友で、二度目ましての挨拶はスルーされたが、勇気を出して三度目の挨拶は受け入れてくれた彼女。これで四度目ー、しかし、その四度目は半年ぶりだ。そして、彼女はちらっと私に視線を向けると、私を覚えていたからなのか、それともふわふわママの知り合いだということでの礼儀なのか分からないが、私に向かって小さく会釈をしてくれた。
そして、そこから先はいつもの展開だ。ふわふわママも、先程までのぎこちなさから解放されたような、くだけたフレンドリーな口調になる。それまで私との間にあったはずの「壁」のようなものは取り払われ、手を叩いて笑い、 共に好きな俳優が出演しているのだろう、新ドラマの話で盛り上がっていた。実は、私もそのドラマは先日観たばかりで、話に入れば入れる内容。しかし、二人の盛り上がりに気後れし、つまはじきにされた訳でもないのに、なんとなくそんな風な気持ちになり、挨拶もせずすごすごとその場から離れ、デコパッチを待っている子の傍へ行き、


「結構並んでるし、またにする?」


自己中で、最悪な提案をしたのだった。しかし、予想に反して子も、


「うん、今日はいいや。」


待つのが面倒になったのか、本屋に行きたいと言い出した。子の手を取り、列を抜け、二人の方向に視線を向けるとまだ盛り上がっている。さよならの挨拶をする隙さえないのを再度確認しつつ、私はそのままその場を後にした。


「知ってる子がいたよ。」


「え?」


「幼稚園の時、一緒だった子。誰だっけ?」


「・・・・・」


子も気が付いていたのだ。そして、私と同様、自分からアクションを起こすことも出来ず、ただ見てるだけ。親も親なら子も子・・そして勿論それを咎める権利など私にある訳がない。
大人でも、子供でも、「顔見知り程度」、その距離感が一番難しいものなのかもしれないと思った出来事だった。




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女の子グループ

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子どもも大人も、女という生物は固定グループを作りたがる傾向がある。我が子はいまだ幼稚なのでそのようなグループに属してないが、それでもみこちゃんという仲良しが出来たことで、最近では子の交友関係にあれこれ頭を悩ますことも減っていた。
近所のDちゃんらに弾かれてからというもの、心の底でその主犯格であるEちゃんを嫌悪していたのだが、それさえ忘れ掛けていたというのに、昨日は公園へ遊びに行くという子を送りに行くと、その場にDちゃんやEちゃんなど近所の子達。そしてみこちゃんや名前の知らない女の子らも一緒に、数人が群がって遊んでいた。


「じゃあねー。」


子はみこちゃんめがけて走って行った。みこちゃんは、子が走り寄って来たのに気が付くと、嬉しそうに手を振った。その周りにいた女の子達も手を振った。それを見てほっと胸をなでおろしつつ、すぐ傍にいるEちゃんやDちゃんの表情を確認する。そして、Dちゃんの群れの中には、以前子とトラブルがあったHちゃん。子に笑って貰えないから登校拒否になったとかなんとかで、母親がわざわざ電話をして来たあの子ー、親子揃って大袈裟な・・
Eちゃんママとはあれから顔を合わせてないが、しかし子とめっきり遊ばなくなった上に、折角仲良くなったDちゃんを巻き込んで子を下校グループから外した件は、いくら子供がやったこととはいえ、今でも悶々とした気持ちが腹に残っている。一人っ子だが、数多くの習い事をしていることに加え、クールでテキパキ仕事をこなす母親を見習ってなのか、Eちゃんはすっかり女子グループのリーダー格のように振舞っていた。その幼いながらに大人びた横顔に、子供だと分かってはいるものの嫌悪感がわく。


ー意地悪そうな顔。可愛くない。




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金魚の糞のようにくっついているDちゃんにもだ。あんなにうちにまで遊びに来て、しかも泥棒まがいなことまでして、利用するだけ利用していらなくなったら子のことをスルーする。しかもEちゃんと共に悪口を言い合い、他の子らにそれを流していたことを素敵ママから聞いた時は、心底Dちゃんを憎らしく思った。調子の良いいい加減な子。そんなDちゃんを、素敵ママが「素直な良い子」だと絶賛していたことがあったのだが、それをただにこにこ同調しながら聞くことしか出来ない自分自身にも歯痒い思いだった。


ー全然、素直な良い子でもない。自分の意志なんてない、得する方に流れてくずるい子供だ。


子供達は、2グループに別れて遊んでいたのだが、少しして、子とみこちゃんのグループの中にいる1人にEちゃんが近づくのが見えた。心の中で、


ー近づくな、あっち行って!


叫ぶ私がいた。子はそんな親心など知るわけもなく、Eちゃんに話し掛けられた女の子から何か言われたのか、少ししてから2つだったグループは1つになり、皆で鬼ごっこを始めた。遊ぶ様子を見届けることも出来たのだが、しかしそれをしてしまうことで何か良くないことが起こる、そんな直観が働き、すぐにその場を離れて近くのスーパーに足を向けた。


ー子供達は仲良くしているだろうか?


特売の野菜をかごに放り込みながらも、子が集中的に鬼をやらされてはいないか、気が気ではなかった。しかし、子にも「経験の場数」を踏ませなくてはならない。嫌な経験は、幼い頃に乗り越え方を学ぶことで、かえってその子の成長を促し、また強くする。高学年になってからでは遅いのだ。

迎えの時間になり公園へ行くと、今度は数人の男の子らも交じってにぎやかに遊んでいた。その中に勿論Eちゃんらもいたが、私が危惧していたような出来事はなかったようでほっとした。それにしてもー、やはり子とみこちゃんらの仲良しグループにEちゃんらが交じることは、親心をどうしてもかき乱すことなのだ。




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また明日、の優しさ

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自転車で買い物、信号待ちをぼーっとしていたら、隣に2組の親子連れ。幼稚園の帰りなのか、自転車の後部座席には制服を着た子供達が座っており、自転車が止まっているのを良いことに、互いに手を差し出し合い子犬のようにじゃれあっている。
母親達も、横並びになりながら楽しそうに会話をしていた。作品展がどうだこうだと言っていたので、直近でイベントがあるのだろう。
信号が赤から青に変わり、私達は狭い横断歩道を一斉に渡った。目の前で、彼女らは左右に別れ、


「じゃあね、また明日~」


「バイバイ、また明日ね~」


と、互いに声を掛け合い、反対方向に走って行く。子供達だけが、互いに後ろを振り返りながら、名残り惜しそうにいつまでも手を振り合っていた。




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あんなにも嫌だった送り迎え。しかし、彼らの他愛のない約束が、なんだか尊いもののように思えた。また明日会えるという安心感。ルーティーンは、時によって苦痛で退屈極まりないが、しかし人を安心させるものでもある。人は常に変化を求めたい生物だけれど、しかし居心地の良い場に限っては、維持することがどれだけ幸福なことなのかーそれはそれを失うことで初めて気付く。

短期バイトを辞めてから、心にぽっかり穴が開いた風になっている。それまでは孤独だが、しかし気ままに過ごしていた1人時間が、とてつもなく虚しいものに思えて来る。確かに仕事をすればそれだけにストレスはあるのだが、しかしタイムカードを切り職場の外を出る瞬間の解放感だったり、また時間のない中での数十分の1人時間の充実ぶりは何物にも代えがたく、そしてやはり職場ではいくら口を利かずにPC仕事をしていたとしても、何か守られている安心感があったのだ。 周囲にある人の気配ーそして翌日もその場に戻らなければならない、言い方を変えれば「居場所」のような感覚が、私にとってはオアシスだったのかもしれない。
今はまた、暗くて狭い穴ぐらに1人戻ってしまった。そして、明るい外の気配に憧れながらも出て行けない億劫さがある。


「また明日ね。」


と言い合える仲間がいること。明日も会えると信じて疑わないことの幸福、それを得る為にも、また少しずつ動いて行きたいと思っている。




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夢占い

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初夢は忘れてしまったが、昨夜見た夢は今もまだ生々しく脳裏に残っている。

私は、父が運転する車の助手席に乗っていた。抱えているのは赤ん坊。それが現実の子なのかどうかは分からないが、夢の中では勿論我が子。
後部座席には、母と弟が乗っており、車はのろのろと急坂を上る。そしてエンジンが切れたのか故障したのか、車が思うように動かなくなる。このまま頂上にたどり着けば、その先は急な下り坂。ブレーキが利かなくなっているので、そのまま乗車し続ければ、下りで勢いのついた車は何かと衝突し、大事故になる。
私はなりふり構わず、赤ん坊を抱え、重たいドアを開け脱出した。




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家族を乗せた車はそのまま、坂の頂点を越えると私の視界から消えた。
かろうじて、弟も間一髪脱出したのだが、しかし両親を乗せた車は跡形もなくどこかへ消失したのだ。

後味の悪い夢ーまだ薄暗い寝室、布団にくるまり携帯を取り出す。「夢占い・車・助手席・降りる」をキーワード検索にかけた。夢占いのサイトに辿り着き、車を降りる行為は共に乗車していた人々との縁が切れることを意味するとあった。私の潜在意識に、実家との疎遠ーもっと言えば、母との別れがあるのだと思う。

誕生日のあの電話を境に、正月も何もないまま互いに沈黙を守っている。そして、気を抜くとすぐに弱い自分に引っ張られ、実家に電話を掛けてしまいそうな危うさが私にはある。そんな時、「孝行したい時に親はなし」だとか、「親孝行」だとかの言葉をテレビやネットで目にし、複雑な心境になってしまうのだ。




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スマホチェック

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年が変わり、夫の仕事も相変わらずの忙しさ。深夜帰宅は当たり前。
仕事をしていた頃は、翌朝も早いので先に寝ていたが、専業に戻った今となっては起きて待つのが暗黙の了解。完璧な妻を演じるのだ。
夫に対して、思うところは色々ある。某掲示板で夫婦の悩み相談のようなものがあるのだが、私かと思う程、立場が似ており、また気持ちを共感出来る相談者がおり、その相談に対してのコメントの殆どが、「経済DVからの脱却を!」「あなたも早く自立した方がいい」「お子さんの為にも見切りを付けるのがいい」「そんな男にくっついているあんたもあんた」というようなものばかりで、気持ちが余計に塞がった。
夫婦間のスマホチェックは「有罪」だと、どこかのテレビ番組で観た記憶がある。夫婦であっても他人、それぞれ個々であり、そのプライバシーは守られる権利があるのだ。

夫は風呂場にスマホを持って行く。防水加工がしていないので、ジップロックに入れるのだ。この間は、トイレにまで持って行くのを見た。肌身離さずー、依存している。いや、スマホの向こうの誰かに依存しているのかもしれない。私にように、顔も名前も知らない、すべてが匿名の誰かだったり、また住む世界が違い過ぎる芸能人に対しての依存ではないのだ。特定のー、愛おしい誰かー。

物事を白黒はっきりさせるのが昔から苦手だった。何事も、波風立てずに現状維持ー、可もなく不可もない、そんな日常に身を置くことが「私らしい人生」だと思って来たし、それは今もこれからも変わらないと思っている。しかし、状況は自分の意志に反することばかり。なぜ、こうも乱すのか?

夫が珍しく、急な腹痛でトイレに駆け込んだこともあり、スマホをテーブルに置いたまま戻って来ない。トイレからは、うなり声が聞こえる。あの調子だと、あと10分は出て来ないーこれは、チャンスだ。夫のスマホを見てしまおう。もうはっきりさせよう。とにかくこのもやもやした気持ちをどうにかしたくて、事が明らかになった時、それはそれでその時考えれば良いと訳の分からない理屈を並べて、気が付くと私は夫のスマホに手を伸ばしていた。


ーブルルッ




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突然、スマホのバイブが鳴り出した。伸ばした手は、思い掛けないアクシデントによって引っ込められ、しかし視線は小さな画面にくぎ付けになる。ラインのメッセージがそこに浮き上がった。


ーやっぱり無理そう?-


すぐに画面は暗くなり、くっきり残るのはメッセージの残像。一体誰からかも分からない、話の前後も分からない。分からないことだらけだ。そして、もしうっかり操作してしまい、「既読」とやらになってしまったら、夫にスマホを見たことがばれてしまう。私はラインなどやっていないので、何をどうしたらどうなるのか分からないが、とにかく今触るのは致命的だと本能的に感じた。
一番は、もう一度子に聞くのが正解なのだが、大人の事情に子供を巻き込みたくない気持ちがあり、なかなか出来ない。子の口から真実を知った時、果たして私は取り乱さずに、自分を保っていられるかどうか分からないからだ。

トイレから、水の流れる音が聞こえた。私は何事もなかったかのように、中途になっていた食器洗いに取り掛かる。ダイニングに戻った夫は、腹を押さえながらもすぐさまスマホを手に取り、そのままリビングではなく自室に引き上げて行った。好き勝手している夫ー、トイレに行くと、やはり便器は汚れており、すぐさま掃除をする。残り香に、つい吐き気を催し喉元まで酸っぱい液が込み上げた。


ーナンデワタシガアンタノオブツヲシマツシナケリャナラナイノ?

ースキナオンナニヤッテモラエバイイジャナイカ!


声にならない怒りは意に反して、便座も便器もピカピカにする。


ーフケツ!フケツ!サイテイ!!!


妄想は膨らむ。確かめた訳でもないのに、私の中の直観が、妄想をリアルなものに仕立て上げるのだ。




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限りなく黒に近いグレー

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「ママも来れば良かったのに。」


スキー旅行から帰宅し第一声、子にそう言われ、


「だって、ばあばがママを仲間外れにしたんだもの。」


そう返せたら、どんなにスカッとしたかー実際は、我が子の前でも仮面を付ける。平然を装って、子の土産話を聞き、夫の荷物を解き、片付ける。脱いだままぐちゃぐちゃにビニール袋に詰められた汚れ物を洗濯機に放り込むと、それまですっからかんだった洗濯槽は、蓋が閉まらないのではないかと思う程にパンパンになった。そしてその事実が私を幸福にする。


ー私はひとりじゃない、私には家族がいるのだー


初めてのスキー、子にとってそれは特別な体験だったようで、頬を真っ赤に染めながらも興奮冷めやらない状況。帰宅した夜、寝床に入ってもまだ思い出話を聞かせてくれた。反して、夫は少々疲れた様子。殆ど喋らずそのまま自室へ籠ってしまった。


「パパにスキーは教えて貰えたの?」


何気ない質問、しかしこの質問が後に我が身を苦しめることになる。


「ううん、叔父ちゃんに教えて貰った。パパは知らない人と滑ってたよ。」


ー知らない人?なんだ、それ。


子は急に睡魔に襲われたのか、段々と目が閉じて来ている。


「じいじやばあばのお友達?」


「分かんない、なんかね、ホテルに着いたらパパとその人が喋ってて、挨拶してたよ。」




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胸騒ぎがした。しかし、三番目の義姉の恋人のことだと思い込む。子にとっては初対面だ。


「お泊りは、誰と寝たの?」



「じいじとばあば。」


「パパは!?」


「分かんない・・もう寝てもいい?」


鼓動が高鳴る。嫌な予感しかしない。心の奥では、子に向かって叫んでいた。


ーその人は男だった?女だった?何歳くらいだった!?パパ以外とは喋っていた!?ー


声にならない声、そしてそれをはっきりさせることは、自らの首を絞めることになるのだろうか・・はっきりさせることが怖い。でも・・させなくてはならない。これははっきりさせるべき事項だ。うやむやのまま何事もなかったかのようにすることなど出来ないし、そうしてはならないことなのだ。

頭に浮かぶ、ツーリング仲間の女性。ここしばらく彼女の存在は、私の中で遠のいていた。いや、自発的に遠ざけていたと言った方が正しいのかもしれない。問題は全て後回しー私の悪い癖。
黒か白か、限りなく黒に近いグレーか。今の状況は、私の中で後者に当たる。まだ事実確認をしてもいないのに、そう思うのは、とっくの昔に夫に対する信頼感がないからだろう。信頼?信頼ってなんだろうか。それを落としてしまった頃にタイムスリップで戻れるものなら戻りたい。しかし、形にならないものを落とした代償は大きく、そしてその殆どは二度と手に入れることが出来ないのだ。




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詰め放題

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隣町のケーキ屋で、焼き菓子の詰め放題が行われているのを、自転車で通りがかり見掛けた。数人の客が小さな袋にぎゅうぎゅうに詰めており、のぼりにある、「どれだけ詰めても500円」の文字に釣られ、図書館で本を返却したら帰りに寄ろうと心に決めた。

何冊か子に頼まれている本を借り、自分の雑誌も借りて、再度店に向かう。しかし、先程まばらにいた客は当たり前だがもう居なくなっており、店主も店内に引っ込んでしまったようだ。
誰もいないので、なんとなく近寄りがたい店頭のショーケース。しかし、もう買うと心は決めていたので今更後戻り出来ないし、その日のおやつは子とこの店の焼き菓子を食べるのだという楽しみを今更なかったことには出来ない。
恐る恐る、ショーケースの横に置かれている袋を手に取り、詰め放題を試みた。


詰め放題の定義ー


袋が閉まるくらい?それとも袋から出てもOK、とにかく入っていれば良い?袋が破けなければOK?
他に客がいないので、目安が分からない。
よく行く激安八百屋では、周囲がたんまり袋に詰めているので、見よう見真似でそれより少しだけ少ないくらい詰めている。これでも遠慮しているのだ。恐らく店の主人はそんな私の思いに気づくはずもないというのに・・


「いらっしゃいませー」


店の奥から店主が出て来たところで、妙な汗をかいてきた。
ここで、くだらない見栄が働く。欲張り過ぎて卑しいおばさんだと思われたくないー、そんな気持ちが、あと2個は袋に入るだろう。しかし、袋に少しの余裕を持たせたままレジに進む。結局私が詰めた菓子の数は、たったの7個だ。


ーあと2個・・いや、頑張れば5個くらい入ったかも・・


勿体ない気持ちが働くが、しかしもう会計は始まってしまったので今更だ。そこへ、一人の若い女性がやって来た。
手慣れた様子でひょいひょいっとクッキーやバームクーヘン、その他色々な種類の菓子を入れて行く。恐らく私がぱっと見た限り、10個以上ー焼き菓子一つ100円だとしたら、1000円以上。もっと早くこの女性が来てくれたのなら、彼女に紛れて私も同じく10個は袋に詰めたかもしれない。勿論、袋は小さいので思い切り菓子が飛び出ているが、あれは有効なのだろうか?




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「すみませーん。」


レジ会計の途中だというのに、店主に話し掛ける彼女。


「あの、袋が破れなければどれだけ入れてもいいですか?」


イントネーションから、関西系だと思われる彼女は無表情だが、やや威圧的な空気を漂わせつつそう尋ねて来た。


「ええ。たくさん入れて下さい。」


店主もその勢いに押されたのか?愛想笑いを返しそう答える。


「では、500円になります。」


そう言いながら、店主はショーウィンドーへ行き、3つ程菓子を取り出すと、私が出した菓子に合わせて別袋に入れ直してくれた。


「ありがとうございます。」


恐らく、あの彼女が15個以上入れているというのに私が7個という不平等さを不憫に思ってくれたのかもしれない。それでも到底彼女が入れた数には届かないが、しかし店主の気遣いが嬉しくて思わず笑顔になった。
そして、あの図々しくもはっきりした彼女のお陰で、こうしておこぼれを貰うことが出来たのかもしれないと、見知らぬ彼女に対しても感謝の気持ちがわいた。

客の立場だが、もう一度お礼を言うと店を出た。
まだ血眼になって袋に菓子を詰めている彼女を横目に、自転車に乗り込む。10個で500円ー、ほくほくした気持ちで寒空の下、ペダルを漕いだ。




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歪んだ評価

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習い事始めー
まいこちゃんママに話し掛けられ、気の進まないまま立ち話をすること5分ー、すぐに彼女の取り巻き達がやって来て、さてこういう時どうしたら良いのか悩むところ。さっさとその場を離れるだけのタイミングの上手さもなければ、相手にどう思われたって平気だという気持ちの強さもないし、また鈍感力もマイペースさも持ち合わせていない私。
雑談がここまで苦手になってしまったのは、明らかに結婚して子を産んで、この特殊な「ママ社会」に入ってからだ。常に相手の顔色を窺い、自分の意見はあっても外に出す勇気はなく、心中に仕舞い込んだまま。相手が肯定的に捉えてくれるという確信がない限り、見切り発車は出来ないのだ。
2人以上、複数でのお喋りは私を置物にする。誰かが何か話題提供をし、それに対してレスポンスをする。私が発言出来るのは、絶対的な答えーしかも誰もがその答えに無知な場合に限ってだ。一呼吸置いて、それでも誰からも発言がなければ、恐る恐る口火を切る。
しかし、そんな機会も極めて稀であり、ダンス教室の母親連中の群れの中では1度あったかどうか。皆がまるで取り付かれたように、喋る、喋る、喋るー。動く口々は、時に笑いを誘い、時に深刻さを与え、そして誰もが群れから落ちこぼれないよう必死であるからこそ、どこか緊張感を伴う。
ただ薄く笑みを浮かべて話を聞いている私のことなど、誰も眼中にないのだろう。皆、自分のことで精一杯なのだ。


「ほんと、帰省は年に1回だから我慢出来るけどさ~、まったく主婦に正月休みなんてないわよ。」


「そうそう、姑に気を遣って、小姑にも話合わせて、ただのお手伝い要員だよね、嫁なんて。」


「でも、やっぱり子供の為にも我慢しないとね。本音は旦那と子供達だけで行って貰ってさ、こっちは実家でのんびりしたいけど。そんなことしたら余計義実家ともぎくしゃくするし。」


「実際、そういう人っているのかなー、それって怠けてるよね。」


皆が頷く、そして私も同じく頷いた。実際、今年の正月は義実家に顔を出していないという現実がありながらも。
話題はコロコロ変わる。初詣はどこに行ったか、冬休みは何か特別なことをしたか。初売りに行ったかーどの話題も、それぞれが表では無難な受け答えをし、しかし裏では互いを格付けし合っている。
義実家でコキ使われたご褒美に、お疲れ様として老舗旅館に泊まったことをさりげなく自慢したのは小太りママ。
お節は数万円のお取り寄せ、去年から働き出したのだからそれくらいの贅沢は当然だと言うまいこちゃんママ。
千葉ママは、子供達にせがまれて、再びクリスマスシーズンにミラコスタに泊まり、2日連続インパしたと言う。
その他の取り巻き達も、大掃除が面倒でハウスクリーニングを業者に頼んだだとか、グアムに行っただとかの自慢大会。こうなると、ますます私が発言する出番など皆無なのだ。


「OOさんは?冬休み、何してた?」


隣にいたまいこちゃんママが飛び切りの笑顔で聞いて来た。そして、誰もが喜ぶ回答を、私は期待通りに返したのだ。


「私は年末風邪を引いてしまって・・なので、殆ど寝てました。」


皆が、困惑しながらも私をマウンティングしつつ、それでいて満足そうな表情をしているのが見て取れた。何だかしゃくに触り、


「でも、冬休み直前まで外で働いてたんです。なので、疲れが出てしまったのかも・・」


気が付けば、そう口にしていたのだ。




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すると、まいこちゃんママの表情ががらっと変わって、矢継ぎ早に質問攻めだ。


ー勤務地は?
ー職種は?
ー待遇は?


根掘り葉掘り聞いてくる。普通、そこまで他人の仕事内容に踏み込めないものだと思うけれど、彼女は私を下に見ているので、私の顔色など窺ったりせずにズケズケと聞きたいことを聞けるのだ。


「いえ、普通の事務です。ブランクもあるはずだし受かるだなんて思っていなかったんですけど、とんとん拍子に話が進んで。」


千葉ママらの私に向ける目線が変わった気がした。何の取柄もない、面白みもない無能な主婦という位置付けから卒業出来るかもしれない・・


「営業の仕事も兼任していて。テレアポのようなものなんですけどね、ノルマもあるので大変なんです。」


「OOさん、営業してるの!?」


まいこちゃんママがすっとんきょうな声を出した。無口で何を考えているのか分からない、大人しい私には似つかわしくない仕事だと思ったのだろう。その意外性に心底驚いているようだった。
化粧品セールスをしているまいこちゃんママ、今度は私に対抗心を燃やすかのような鋭い目付きになる。私はもっと彼女をいじめたくなり、まるで何かが乗り移ったかのように口が回り始めた。


「事務って話だったんですけどね、試しに営業電話をって話になって。そしたらいつの間にか営業まがいなこともさせられて・・契約では営業事務なので、向こうは最初からそのつもりだったのかもしれないですけどね。」


「でも、すごいね。だって結構ブランクあったでしょう?事務なんて一番皆がやりたがってるのに。PCスキルとか結構あるの?」


小太りママがのんびりした口調で尋ねて来た。


「いえ、普通です。そんな特別なスキルなんてないです。ただ運が良かっただけですよ。」


そして、どうやら皆の中では、まだ私がその仕事を継続していることになっている。なぜなら、短期パートだとは一切公言しなかったからだ。嘘は付いていない。聞かれなかったから言わなかっただけ。そして、私は彼女らと少しは対等に立ちたかったのだ。身に着けているものでは彼女らには到底かなわないー、家だって団地住まいだ。ママ友もいない、会話に面白みもないし特段誰かに必要とされている訳でもない。だからこそ、何か別のところで認めてほしいー常日頃悶々と抱えていた気持ちが、ついにこの時溢れてしまったのだ。




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バイト料を生き金に

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何年かぶりに手にした給料明細が嬉しくて、新しい手帳に挟んで取り出しては開き、一人ほくそ笑む。
子の歯科矯正に使うのは勿論のこと、何か形に残るものに使いたいと考える私は、やはり基本浪費家なのかもしれない。
子に将来譲るジュエリーを手に入れるのが良いかもーと心躍らせながら由緒正しいジュエリーショップの公式HPを覗くが、簡単に予算オーバー。私には敷居が高すぎる。
中途半端な物では形見にもならないし、また子がそれを付けたいかどうかは別ものだ。正直、ならば金を残してくれと思うかもしれない・・完全な親の自己満足で、実母と考えることは同じではないかー

「物より思い出」がキャッチフレーズだったCMを思い出した。そして、形には残らないが、「経験」をプレゼントしようと思い立った。
以前、子が何かのテレビ番組で陶芸家の仕事を目にしてから、ことあるごとに、「茶碗を作ってみたい。」と言っていた。
ネットで都内近郊にある、陶芸教室を探す。勿論子供OKの教室だから数は限られる。陶芸教室もピンからキリまであり、素人の私にはどの教室が良くて悪いのか、皆目見当も付かない。
多くの口コミを見ていたら、さらに分からなくなりそうなので、取り合えず自宅から一番近いと思われる場所に決め、早速電話予約をしてみた。
たまたまキャンセルが出たとかで、運よくスムーズに予約が取れた。通常なら、何か月も先まで予約が埋まっており、希望する日時が通るとも限らないらしいから、本当に運が良かった。




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「今度、陶芸行こうね。予約取ったよ。」


「え!?お茶碗?やったー!!」


子は思い掛けない誘いに、ハイテンションで大喜び。私もそんな姿を見て嬉しくなった。
料金は、一つの茶碗に3500円程。これが安いのか高いのかも分からないけれど、それでも子がやりたかったことを経験させてあげられるーそれが自分の汗水垂らしてプライドを捨てて得た金で出来るのだから、親冥利に尽きる。
教室のHPには、私と同じくらいの年頃の男性がこちらを向いて笑っている。そのニヤツキに少々うさん臭さを感じながらも、芸術家らしい無精ひげに長髪は、なんだかソレらしさも感じるのだった。
単発の申し込みは、同じくその日時に申し込みをした数名とでひとくくりにされるらしいのが不安でもあるが、私はあくまでも子の付き添いなので、リラックスしなくては。
楽しみな反面、緊張もあるけれど、子が喜ぶ姿を早く見たい気持ちが勝っている。




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生きにくい世代

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隣街に新しく出来た、雑貨店。チラシに期間限定で「先着100名様に可愛らしいボアスリッパをプレゼント」とあり、雑貨よりもそれを目当てに、初日のOPENに駆け付けることにした。
普通、幾ら以上買ったらなどの条件付きなのに、この店では「1点でもお買い上げされたお客様に」とあり、丁度レンジ対応の保存容器が割れてしまったので、それを買おうと意気込んでいた。
チラシからも分かる、お洒落な雑貨店。自分の住む街に、好きな場所が一つでも増えると心が踊る。居心地の良い図書館、安くて品揃え豊富な八百屋、マイペースに体を鍛えることが出来るスポーツセンター、ゆっくりベンチに座り自然を満喫出来る緑豊かな公園、気さくでお喋り好きな店主が営む焼きたてパン屋ー

赤い屋根の新しい店が目に入り、既に行列ー優に30名はいると思う。やっぱり早く来て良かった。これでスリッパを貰える。それに、色々な雑貨を見るのも楽しみだ。
ワクワクしながら、ざっと並んでいる人々を流し見したら、見覚えのある姿があった。スネオママだった。そしてその隣にはボスママー。仲良く、和気藹々と烈に並び喋っている。


ーえ?なんでいるの!?


途端にそれまでの浮かれた心はどす黒く落ち込み、踵を返して自転車置き場に向かう私がいた。生憎、彼女達は私に気が付いていない。それでも、彼女達がいても気にせずに堂々と並ぶことが出来なかった自分が情けなかった。ボアスリッパが手に入らなかったこともショックだったが、隣街まで足を伸ばしているスネオママに、なんとなく自分のテリトリーを奪われた気がしたのだ。


ーどれだけ私の心を乱したら気が済む訳?習い事だけじゃなくて隣街まで侵食して来るなんて信じられない!アイツの顔なんて朝っぱらから見たくないのに・・!私の目の前から消え去れ!!


園の頃から、逃げ込むようにわざわざこの街まで自転車を走らせて来た。誰も私のことを知らない、自分らしくいられる居場所ー勿論、子が家にいない日中は、一人きりでなんとなく手持ち無沙汰。なので、時間潰しに運動を兼ねてここまで足を伸ばすことが日課となっていたのだけれど。
それなのにー、確率からいって、知人とあの店で遭遇するのはどれくらいだろうか?嫌い、嫌いと思っていると引き寄せる不思議。私にはそういうところが昔からあるのだ。

気を取り直そうと、気に入りの公園へ行く。そこで1時間くらい時間を潰してからもう一度店に行ってみようかー
財布以外、何も持って来なかったことを後悔しながら、ヤケになって自販機で定価の缶コーヒーを買った。主婦の私には自販機での買い物は贅沢だ。しかし、そんな贅沢をしなければ、気持ちの切り替えが出来ないーそんな気がしたのだ。




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ベンチに座り、甘いコーヒーを口に運ぶ。もう真冬だけれど、日中は暖かい。まだよちよち歩きの子供が石ころを拾ったり投げたりと楽しそうにしている。その側で若い母親は、スマホに熱中しており子供の様子を見ていない。子供が噴水の近くをちょろちょろし始めた。あれ以上進んだら、水の中にドボンだ。
ハラハラしながら遠くでその様子を見ていた。そして、相変わらずスマホをいじっている母親に苛立つ。すると、何組かの親子連れが楽しそうに公園に入って来た。同じくよちよち歩きの子供達が何人も。母親達は仲良く世間話をしている。
すると、スマホを見ていた母親は、咄嗟にそれをポケットに入れ、さもそれまで子供と親密に遊んでいたかのように、子供の目線までしゃがみこみ、甘い声で話し掛ける。しかし、よちよち歩きの子供はそれまで放置されてやりたい放題だったことで、急に構われたことがうっとおしいのか、母親の手を払い除け逃げ始めた。若い母親は、集団の母親連中をチラチラ横目で気にしているようだった。
なんとなくー、先程の苛立ちは同情に変わった。
彼女も、孤独なのかもしれない・・

私があと30歳年を取っていたら、気負わずにすんなり彼女達に話し掛けられただろうか?スネオママらがいても、気にせずあの列に並ぶことが出来ただろうか?
そう思うと、一気にお婆さんになってしまえたら楽なのに・・と思うのだ。これからがまだ長く続く人生だと信じている、しかしこれまでの経験から諦めも知っている私達世代。
それは生きにくいー、そんな世代なのかもしれない。




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誘われないのは「私」だから

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今度の週末、正月に私のいないところで計画を立てたのだろう、スキー旅行に義両親と義姉家族らで行くことになったと聞いたのは昨日のこと。義母が気を遣って、


「OOさんも、たまには家でのんびりしたいでしょう、だからあえて誘わないわね。」


と言っていたらしいけれど、本当のところ、単に嫁がいると疲れるあちら側の事情に決まっている。
子は大盛り上がりで、夫がいつの間にネットで注文していたスキーウェアや道具などを段ボールから開けると、早速それを着用しスキーの真似事をしたりしている。
事後報告はいつものことで、しかし今回は子もあちら側についたことで少なくともショックを受けた。
そして、一番下の義姉が彼氏を連れて来るということもあり、いよいよ結婚なのか?そしてまだ結婚前の赤の他人はその旅行に参加するというのに、家に嫁ぎ子供を産んだ嫁の私がお呼びでないという事実に、胸の奥がキリリと痛んだ。

こんな時、本心から1人で過ごせてラッキーと思えるような、細かいことは気にしない性格だったらと思う。しかし、私は面倒臭い人間だ。誘われたら誘われたで憂鬱になるというのに、今度は誘われないと、妙に落ち着かないような不安な気持ちに陥ってしまうのだ。
実際、運動音痴の私はスキーなど出来るはずもなく、参加したところで、山小屋で1人コーヒーを飲んで手持無沙汰な時間を過ごすのが関の山だろう。分かっちゃいるけれど、もやもやした気持ちはなかなか晴れない。

今年ー、初メールは誰かの誘いや近況ではなく、携帯ショップからのお知らせだった。メールの着信ランプに少しだけ心躍らせた自分をあざ笑う。
家族からも誘われない私ー、悲しいけれど、それが今の自分の人間性の結果なのだな、と真摯に受け止めなければ。




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お年玉を有効に

子が親戚からいただいたお年玉は、私がコツコツライター内職をして得る1か月分の給料と同じくらいのものだった。夫側の親戚は金持ちなので、ひと家族から最低でも1万円。しかし、夫はそれ以上の額を姪や甥に渡していると思われる。知りたい気もするが、知らない方が心穏やかでいられるのかもしれない。

「DS買っちゃおうかな~」

ポチ袋からお年玉を開封し、意気揚々とそれらを自分の財布に入れながら嬉しそうに話す子。しかし、夫が珍しくそれを制止した。


「そんなもんより、ほら。こんなのやってみたら?」















夫が自分のタブレットを子に見せた。それは、去年の夏も夫が押していたタブレット学習とは違う他社のもの。夫いわく、こちらの方が女の子には楽しめるのではないかと言う。そしてこちらの教材は1年生から中学生まで対象とあり、今から入会出来るらしい。4月からは3年生。そろそろ受験をするのかしないのか、しないとしてもそれなりに学校以外の勉強を取り入れていかなくてはならない。私ばかりが子のことで焦っていると思っていたのだが、夫も同じ気持ちでいてくれたことが嬉しかった。
早速、夫が教えてくれた「スマイルゼミ」の資料請求をすることにした。ネットの口コミを見ても良さそう。

他社のタブレット教材と比較すると、個々の学習状況に沿った課題が提示されるところが売りだと言える。日々蓄積される子供の学習データと、全国から集まる膨大な学習データから“今”必要な学びを解析し、一人ひとりに最適な学習を「毎日自動生成」。豊富な経験と確かな技術で子供の伸びをサポートするとのことだ。

タブレットのスイッチを入れると、数多くの課題の中から、今、その子が取り組むのに最適な課題が自動的にピックアップされ、「今日のミッション」という形で講座の誘導が始まる。親が付きっ切りで子の学習進度を把握出来ていれば、それはそれで良いのだが、なかなか毎日のことなのでそれを実行するとなると大変なのが実情だ。そこはシステムに任せて、時間のある時に親は確認するスタイルが取れるこの教材は効率的。

そして、一番の目玉は、「スゴイキミ!」。各々、マイキャラを作成出来るのだが、自分が作成したキャラが皆の前で表彰されるのは、なんとも得意な気持ちになるに違いない。バーチャルの世界であっても、自分のアバターが褒められれば嬉しいものだ。しかし、ここで個人情報が他の会員に公開されることはなく、また他の会員のマイキャラと交遊はできないので親の目の届かないところで学習させても安心だろう。
マイキャラは、アイカツやプリパラのように自分の好きなヘアスタイルや服装、また各講座をクリアしないとゲット出来ないアイテムもあり、新しいパーツが欲しいが為に勉強を頑張ろうという気持ちにもなって一挙両得とも言える。

前回検討していたタブレット学習は、モンスター生成など主に「男の子向け」だったのだが、夫の言う通り、今回はまさに「女の子向け」だ。アイカツゲームを毎回数百円掛けてショッピングモールで行い、またマイルームをPCで見ていた時間も減少するかもしれない。自分だけのタブレットで、スケジュール管理をしたり壁紙を変えたりとカスタマイズ出来る点も、細々したものが好きな女子には魅力的なツールだろう。


また、DSが欲しい我が子にとって魅力的だと思った点に、遊べるゲームがあるということ。課題に取り組む毎に「スター」が貯金されて、3つ貯まれば「スターアプリ」を楽しむことが出来るのだ。
勿論遊びだけではなく、楽しいゲームアプリに加え、朝日小学生新聞も読むことが出来るので、スムーズに時事問題に慣れ親しむことも出来る点は夫推し。

他社のタブレット学習との比較においてのアンケートで、電源をONしてから学習に取り掛かるまでの時間の速さがピカ一という点が親としては好感が持てる。子供は思い立った時のスイッチのオンとオフの切り替えが早く、親としてもついていかないことが多い。準備している時間が長ければ長い程、やる気もだんだん落ちてしまうもの。だからこそ、レスポンスの速さは重要で、それが満たされているスマイルゼミは、子供の学習意欲を掻き立てるポイントがいくつもあるのだ。


「DSみたい!でもこれお年玉で買うの?」

「まさか。お年玉はちゃんと自分の口座に管理しなさい。もう小学生だから、本当に欲しいもの、必要なものが出来た時に使うんだ。その時の為に取っておきなさい。」


一体夫はどうしたのだろう?なんだかんだ理由を付けて、子のお年玉を管理するのかと思ったら、まるで親らしいことを言っているではないか。私は夫のこの言葉だけで、自らもお年玉を貰ったような嬉しい気持ちになった。
夫とは価値観が違い過ぎるが、子との教育方針だけでも一致したのなら、もう少し夫婦を頑張ってみてもいいかなと思えるのだ。















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壊れた木琴

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今年の年賀状ー
いつものように、私宛の葉書は片手に収まる程度。だからこそ、私にとっては貴重な存在の友人達。
毎年来るはずだと疑いもしなかった友人の一人から、今年、年賀状が届かなかった。恐らく何かあったのだろうー喪中葉書に間に合わなかった年末の不幸ー、もしくは彼女自身が何かの病気や事故・・・
結婚し、出産してからは殆ど会っていない友人。しかし、会えばきっと学生の頃のように楽しく話せると信じて疑わなかった友人。いつか年を取って、何かの拍子にコンタクトを取れば、気負わず空白の何十年さえも埋められるかもしれないという淡い期待を抱いていた友人だった彼女との付き合いは、私の一方通行だったのかもしれない。
いてもたってもいられず、もう数年も送信していない彼女のアドレスにメールを出したのだ。

ー元気にしてるかな?こちらは相変わらず、娘は小学2年になり私もパートを始めたりと日々慌ただしく過ごしているよ。久しぶりに会えたらいいな。年賀状、もしかして不幸があったのに送ってしまったのかなと思って。もしそうだったら御免なさい。なかなか会えないけれど、いつかお互い子育てに余裕が出来たら会いたいよね。
こんなメールを送信した。これでも、何度も何度も読み返し、修正し、そして決心して送信ボタンを押したメールだ。しかし送ってひと息つく間もなく、手に持っている携帯のバイブの振動が体全体に流れた。そのレスポンスの速さに嫌な予感がした。


ーブルルルー


受信したメールを開く前に、宛先と共に表題にある、「Mail System Error」に目が行き愕然とした。しかし、何かの間違いだと言い聞かせてもう一度再送した。そしてやはりまたエラーメッセージ。宛先不明だ。
携帯を変えたのか?アドレスを変えたのか?それとも・・




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彼女とは何年も会っていないが、それでもそれまでの思い出が走馬灯のように流れた。

ー彼女が失恋した時、朝まで飲みに付き合ったこと
ー傷心旅行に箱根の温泉宿に泊まったこと
ー入手困難なミュージシャンのコンサートに行ったこと
ー終電に乗り遅れ、彼女の実家に急遽泊めてもらい、朝食に彼女のお母さんが作ってくれた味噌汁が美味し過ぎたこと
私にとっては、貴重な貴重な友人だった。貴重のボーダーは、一緒に寝泊り出来るかどうか。そのハードルは高く、気を遣い過ぎる私にとっては、勿論彼女と一晩過ごした時も多少の気は遣ったけれど、それでも私にとっては気の置けない友人だから出来た、そんな過去の経験だった。
最後に彼女と会ったのは、まだ数年前。彼女が結婚し、出産し、彼女の大事な赤ちゃんに会いに行った時。ふわふわな赤ちゃんを抱っこさせて貰った。先輩ママとして色々なアドバイスもした。そして、学生の頃のようにお互いを愛称で呼び合い、笑い合い、互いの夫の愚痴を言いーそして、彼女は産休が明けると早々に職場復帰し、暇な私となかなか会うこともなく今日まで来た。しかし、こんな付き合いが細々とでも永遠に続いて行くものと信じて疑わなかった・・・

虚しくなって、もう何の意味も持たない彼女のアドレスを眺めて泣いた。彼女が最後に私の子にくれた、小さな玩具の木琴を取り出した。子も成長し、もう遊ぶこともなくなった木琴。鍵盤の幾つかは外れて壊れてしまっている木琴。他の音は出るのに、ラとシの音が出ない。仲良く並んでいた鍵盤は、もう二度と音が出ないのだ。

馬鹿な私は、もう駄目だと分かっているのにもかかわらず、携帯ではないPCアドレスからもメールを送信してみた。やはり、宛先不明。当たり前だが、何度送信しても同じエラーメッセージ。

それでも懲りずに、彼女の住所に手紙を出そうか迷う私がいる。年賀状はきっと届いているのだ。宛先不明で戻って来てはいない。一縷の望みを掛けてーそのタイミングを伺いたいと思っている。




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割り切れない思い

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どうしたというのだ?それまでスルーされていたランチ会の誘いメールが私の元に来た。差出人は敬語ママだ。いや、敬語ママだからだろう、彼女はいつでも平等の人。
それまでこうした催しは、ボスママやスネオママが取り仕切っていた。私は園にいた頃でさえスルーだったのだから、卒園したら既に、「そんな人いたっけ?」な人なのだ。勿論、スネオママは意識的にそうしている風ではあるけれど。何が辛いって、本当に忘れられていることよりも、意識はあるのに故意的にされる悪質な無視なのだ。こちらの反応を伺うような、スルー。


「お久しぶりです。新年を迎え、いかがお過ごしでしょうか?昨年の忘年会は楽しかったですね。さて、今回は先生を迎えてのランチ会をしたいと思います。来月の○日、A小もB小もC小も、偶然振替休日が同日だということが分かりました。このような機会はなかなかないので、子供達も交えたランチ会を企画いたしました。先生も子供達に会いたがっています。出欠の返信、お待ちしています。」


丁寧に綴られた敬語ママらしい文章、最後に日時と場所、そして参加費用が記載されている。親子で2000円足らずだ。このメールを受け取り、途端に気が重くなる。


ー卒園したっていうのに、一体いつまで仲良しごっこをしてるんだよ!?


心の中で悪態付く。いや、こうして親切に分け隔てなくメールを送ってくる敬語ママに対してではなく、その裏にいるボスママやスネオママー、恐らく今回この会を率先して企画したのだろう彼女達に対して心底ウザったい気持ちが湧く。
しかし、ここまで腹ただしい気持ちになるのは、心のどこかで私のように思い悩まず、二つ返事で楽しくこの会に参加出来る人間がいること、つまり自分がそう出来ないことが欠陥人間のように思えてやりきれないのだ。自分は自分ーそう思い切れたら良いのに、いつまで経っても割り切れない自分。
やりたい人間はやればいい、ただこうしてメールを貰った以上、無視する訳にいかない。出席するのか欠席するのかの決断がまず負担だ。そうして、実際欠席するにしても、なんだか後ろめたい。当日一体どう過ごしたらよいのだ?今回厄介なのは、「親子で参加」ということ。そして「担任が出席」だということ。
この2点に気が滅入る思いだ。そして習い事で一緒のまいこちゃんが、いつ子にその情報を伝えるのかと思うと気が気ではない。卒園し、誰も知らない小学校にでも入学していたのなら、こんなことで悩むこともなかった。さっぱり縁も切れて清々しい気持ちだったろう。
しかし、無駄に仲良くもない知人がいる限り、どうしたってこの手の情報は付いて回る。
子の為に、出席するべきか・・もう子も小学生になったのだし、お役御免かーどちらにも割り切れない自分の優柔不断さに苛立ちを覚える。


ー一体、どうしたいのだ。自分?




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周囲の目ーそれに子の目がなければ迷わず「欠席」にするだろう。しかし、卒園してあの檻からようやく出られたというのに見えないプレッシャーが私を苦しめる。スネオママの顔が脳裏に浮かぶー胸の奥にドロリとした感情、そして恐怖心がじわじわと私を襲う。アイツ一人の存在感に私はもう何年もの間苦しめられている。アイツさえいなければ、アイツさえ引っ越してしまえば、アイツさえ・・・
もし、アイツが欠席ならば勇気を出して「出席」するかもしれない。孤高の人やふわふわママ、敬語ママやまいこちゃんママ、話そうと思えば話せる人はいるのだ。しかし、アイツがいるだけで、常に視界の隅に私の一挙一動捉えられ、あざ笑う顔を目に浮かべれば、私はたちまち金縛りにあったかのように動けなくなる。誰とも交われない、臆病でぶざまな姿をアイツは絶対腹の底で笑うに決まっている。


悶々としたまま時は過ぎ、出欠の返信締切日ー
決断し、返信ボタンを押した。もう後戻りは出来ない。




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スタア誕生

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私宛の年賀状に、1枚見慣れない女の子がポーズを決めて写っているものがあった。一瞬どこの誰だか分からなかったのだが、よくよく見るとうっすら見覚えのある面影ー少しして、引っ越し前にちょくちょくランチをしていたママ友の1人だということが分かった。

都内に引っ越してからは、こちらから何度か手紙を出しても返事はなく、メールも届いているのか届いていないのかという風だったので、「あぁ、引っ越した私に時間を割いている暇などないのだな」と悟り、こちらからも一切コンタクトを取っていなかったのだ。


それが、今更ー


デカデカと写された、私の記憶では2歳で止まっている彼女の娘は子と同じくもう8歳。すらりとした体形に、あの頃から目鼻立ちがはっきりして大人びていたのだが、更にひときわ美少女に成長している。さぞかし自慢の娘なのだろう。
年賀状には、彼女と娘がどこかの雑誌に掲載されたと思われるスナップから、何かしらのコンテストで優勝をした写真、そして彼女自身もママモデルにでもなったつもりなのだろうか?控えめではあるが、しかしそこそこ自慢気にちゃっかり自身がポーズを取り、ドヤ顔で写された雑誌の切り抜きが載せられていた。




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何が引いたかって、こうして何年も連絡を寄こさなかった人間にさえ自慢したいのだなという彼女の傲慢さだ。こんな葉書きを貰って喜ぶとでも思っているのだろうか?
一応、一言くらいとコメントがあったのが救いだが、それさえ鼻についた。


ー全然連絡取ってないけど元気?今度そっちでオーディションがあるので、機会があったらランチでも♪


会う気などない癖に・・・


ー今度オーディションを受けるんだ、凄いでしょう?私に似て美人でしょう?母娘で数年後は芸能界デビューかも?


伝えたい本音はだいたいこんなところだろうか?
そして、だいぶ加工したのかと思える彼女自身のポージング写真は、正直あの頃よりだいぶ老けたような印象を与えた。本人はまるでそんな風に思ってなどいないのだろう、何といっても自信満々に載せるくらいなのだから。それでも年齢は誤魔化せない。あれから5~6年が経過し、しかし二十代の数年間と三十代の数年間は女性にとったらてんで違うものなのだ。

美意識を高く持つことは悪いことではない。ただ、それに品位があるかどうかで40代からの美は決まるのだと思う。




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キットカット1袋分の憎悪

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母のことで、色々思うと眠れない日々。ネットで検索する「毒親」という単語ーずらっと並ぶ体験談を夜な夜な読んでいたら、余計目が冴えてしまい、鬱々とした気分で翌朝起きる。
子は冬休みに入り、毎日家にいるのかと思えば、朝早くからみこちゃんと児童館へ行ったりと忙しかった。置いてきぼりの私は、誰もいない日中、家事もそこそこ畳まれていない布団にそのままくるまる。そんなだらけた冬休みももうすぐ終わりを迎える。
短い間だったが、社会復帰を果たしたことで生まれ変わったかと思った自分はただの錯覚で、やはりこちらが本来の自分なのだと悟る。分厚い布団にくるまると、胎児になったような気分になる。そこはかとない安心感、裏切らない包容力。
夫がいなければ、恐らく一日中顔も洗わず寝巻きのまま過ごすだろう。ある意味夫の存在は、私が堕落することを留めるストッパーの役割を果たしているのかもしれない。

悩みが大きくなると、いつもの過食が始まる。子の為にと、買い置きしていたキットカット1袋、ありえない話だが一人で食べ尽くしてしまった。当たり前だが胃がもたれて気分が悪い。過剰なチョコレート摂取は、欝を呼び起こすとも言う。それを知っていながらも、赤い小さな包を開けては半分に折り、口に入れるを繰り返した。




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クリスマスも終わり、年末ー大掃除も完了しないまま新しい年を迎えてしまった。しかし、いまださっぱり何もやる気がおきない。そして、この正月に夫と子を連れて実家に行くことを諦めてしまった。お伺いを立てる気力がまるでなく、恐らく母を怒らせているだろうと頭の隅で面倒臭さと少しの恐怖があるのだが、それでももうどうにでもなれという気持ちの方が上回ったのだ。
夫の実家に行くのも気が重いが、今は自分の実家の方がしんどいのだ。
無愛想な夫と不機嫌な母との狭間に立って、どちらの顔色をも伺い、無関心な父と弟へ募る苛立ちを抱えながらその時を過ごすのは、果たして子にとっても悪い影響ではないのか?と子をダシにしてしまいたい衝動に駆られる。

母と私の相性は、主従関係を貫くことでこれまで上手くいっていた。しかし、それは私が我慢し続けていたからこその関係で、先日何かがぷつりと切れてからは、もうこの縛りから自分を解放してやりたくなった。
幼い頃から母の存在は脅威だった。しかし一方で、母との良い思い出だってあるのだ。心の底から笑えたことだって。そうした甘い思い出が、私に罪悪感を植えつけ、非情に出られない要因を作って来た。
今思えば、それらの楽しかった思い出さえ、私を呪縛する為の「毒の種」だったのかと思う。一種の麻薬だ。あの心地良さをいまだ求める、愚かで幼い私がこの胸の中に今も尚、存在している。

分かりやすい虐待ー、殴る、蹴る、ネグレクトーなどを受けていたのなら、すっぱり母を捨てることが出来るのかもしれない。しかし、見えない縛りだからこそ、私の方に原因があるのかもしれないと思い悩む。

母の嫌な部分は、私の中にある大嫌いな自分でもある。年々、母に近づく自分が怖い。恐ろしいが、やはり私達は「親子」なのだ。
たらふく食べたキットカットー、半分に折っても腹の中は一緒くたになる。切っても切れない関係とはこういうことなのかもしれない。




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毒親認定ー続き

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また薬剤師の資格を持つ従姉妹を娘に持つ叔母のことを羨むような発言をする。結婚しても親孝行だとー。結婚して子を産んでも、ちょくちょく実家に戻って来ているらしく、常に賑やかな叔母宅を羨むのだ。勿論実家に世話になるイコール対価として、料亭や一流ホテルディナーなど、頻繁に従姉妹は叔母を連れて行くらしい。旅行も既に何度か連れて行って貰ったことが羨ましくて仕方がないのだ。
「連れて行って貰える人徳」が自分にないことに、何故気が付かないのだろう?だったら、もっと夫と仲良くするだとか、私や子に自ら歩み寄るだとかして欲しいものだ。ただ受身で待っていて、何かして貰えるのが当たり前ーそんな女王様扱いを期待する母に、嫌悪感が募るばかり。

確かに従姉妹はプチセレブだ。それに、私にしか知らされていない夫婦の悩みはあるにしても、最悪離婚するようなことがあってもなんとかシングルとして生計を立てて行くことも可能だ。
それに比べて私は、先行き不安定。戻る実家もなければ自立も出来ていない。たかがパートだと夫は言ったが、確かにその通り、いくらでも替えが利く、いてもいなくても良い人材なのだ。




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母は、本当は私のことを愛してはいないのかもしれない。私を思っているこその発言だなんて言うけれど、単に自分の思い描いていた理想の娘にさせたいだけ。母の夢は、娘の私がサザエさんになることだった。夫となるマスオさんは、しかし普通のサラリーマンではない超エリート。そして親兄弟がない天涯孤独。そうー、私が作る未来の家族に寄生する気満々だった。それが叶わなかったこと、自分の範疇に娘がいなくなったこと、コントロール出来なくなったことが、彼女にとっては「裏切り行為」なのだ。
私が今の子と同じくらいの頃から、母は情緒不安定。常に私に祖母や親戚、それに父の悪口を汚い言葉で罵り幼い私に同意を求めた。私は、母が家を出ていかないようにと精一杯、子供ながらに悩み、聞き、何日も眠れない夜を過ごして来たのだ。小学生だろうが何だろうが、母は不安定な時、幼い私に向かってダイレクトに心の反吐を全てぶちまけた。今、私が母と同じ立場に立ち、何故あのようなことが出来たのだろうと思う。到底私は子にあんな思いをさせたくはない。子を守る為に、もしかしたら私はこうしてブログに多くをさらけ出しているのかもしれない。
アダルトチルドレンの6つの役割ー私はその中のプラケーターだった。親の顔色ばかり伺っていた子供ー、常に母の味方になり慰めていた子供。そしてそれは今でもだ。
でも、もうそれに疲れてしまった。私には子がいる。母より大事な存在なのだ。いずれ死ぬ母、しかし、子の未来はこれからなのだ。母に時間を割いている場合じゃない。


「あんたには、本当裏切られた。」


誕生日、結局母からこうした言葉で傷付けられるのはもう何度目だろう?今、母が死んだら、私は心の底から泣くだろうか?喪失感はあるかもしれないが、そこに清らかな哀しみは果たしてあるだろうか?

プツリと私の奥で、何かが切れた音がしたのだ。




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毒親認定

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ネットで「毒親チェック」というテストがあり、診断してみたところ、実母は予想通りの「毒親」であることが分かった。今更テストをしたところで分かり切ったことなのだけれど、その時の私は客観的な答えが欲しかったのかもしれない。

先日は、私の誕生日だった。子からはおめでとうの手紙と、手作りのネックレスを貰い、夫は想定内のスルー。そして、実家からは電話があった。


「あんた、今日誕生日ね。おめでとう。」


思えば、この一言をありがたく頂戴し、さっさと受話器を置けば良かった。しかし、少しの孝行心を出したのが失敗だった。世間話をふんふん聞いて、たまに言葉を挟む。正直母の声は私の心に通っていない。どちらかといえば、聞き流す感じ。
世間話から、今度は矛先が私に向かう。そして、


「あんた、生活困ってるの?」


私が母に何の相談もなく短期アルバイトをしたこと、それが彼女は気に入らないらしかった。子を学童に預けること、母としての責任を果たしていないことー、そして、私が働かないと余裕がないのか探りを入れる。それに対しては否定しておいたが、ついにいまだマイホームを持たないことについて言及して来たのだ。


「私はね、あんたが幸せになるっていうから結婚を許したの。結婚したらすぐに家の一件くらいキャッシュでぽーんと買えるんだとばかり思ってたわよ。勿論親の面倒なんて気にしない次男のところに嫁いだら良かったけどさ、それでも百歩譲って長男のところに嫁にやったのは、財産があるからよ。同居しなくても財産貰えそうだったからOKしたのにさ。いまだ向こうの実家からまとまった金も貰ってなさそうだし、マイホームだっていつまで経っても建たないし。こんなことだったら結婚反対だったわよ!」


突如、ヒステリックに喚き出す。金のことばかりー、母が卑しいハイエナに見える。


「あんた自体にも失望よ。一流企業に入って、キャリアウーマンになって、片手団扇で暮らせる生活を送れるようにって育てて来たのにさ。結局よく分からない家に嫁いで、糠味噌臭くなっちゃって。向こうの両親もぽっくり死にそうもないし!まだまだ長生きしそうだしね~私の方があと何年も生きられるか分からないわよ。あー、ヤダヤダ!お母さんの夢も消えたわ。もっと娘が成功するかと思ってたのにね、ぱっとしない詰まらない田舎臭い主婦になっちゃって。」


いつもは聞き流すその台詞も、今日が誕生日ー、誕生日だというのに、母から娘に送る言葉がこんなものなのかと思ったら、情けなくて涙が出た。娘だから何を言っても許されると思っているのだー、しかし言われる立場の私は、母だからと許せそうにもなかった。どんどん母のことが嫌いになって行く、行き場のない気持ちがぐるぐると腹の底で渦を巻く。


「今日はあんたの誕生日だからね、朝からずっとこの30何年間のこと思い返してたのよ。あんたが生まれた時からのね。そしたらなんだか複雑な気持ちよ。失敗したって思ったわよ、色々とね!」


「ー・・・」


反論しようと声を出したら、どばっと感情が高ぶり全てをぶちまけてしまうー、母が私の心の中を遠慮なくズカズカ傷付けるのと同様に、私も言葉にしたら一時は楽になれるのかもしれないけれど、それをしてしまったらもうお仕舞いだと思うと、ただただ一方的に言われるがままだった。
私が黙っているのを良いことに、母は更にエスカレートしていく。


「あんた、家計をちゃんと握ってるの?旦那、高給取りでしょうに。それなのにあんたがしっかりしてないから今だ家が建たないって向こうの両親だっておかしいと思ってるわよ。あんた、贅沢し過ぎよ。なんだかんだ湯水のように旦那の金使ってるんじゃないでしょうね?私の計算だともうとっくに一括でその辺で相場の家を買う金くらい貯まってるはずよ!」




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ここまで言われ、もう全てをぶちまけたらどんなに楽だろうかと思った。夫からは最低限の生活費しか貰えていないこと、家にいくらの貯金があるかさえ知らされていないこと、子が好きなりんごを1個買うのさえ、店をぐるぐる何周も周り悩んでは結局籠に入れるのを諦めていることー
しかし、それを告白する時は「離婚」する時だ。母がそれを知れば、私がそんな夫と一緒にいることを許さないだろう。そして自分の見る目があったこと、すなわち私の失敗をあざ笑うに違いない。しかしー、だからといって私と子が実家に戻れるようなスペースなどはなく、金銭的援助も見込めない。単に、遠くから気分を害するだけの干渉を受けるのが目に見えている。




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