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華麗にスルー

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ショックな出来事があった。

2月も終わりを迎え、春の足音が聞こえ始めたのだが、昨年のように夫から仕事をしろというプレッシャーも今はないので、のんべんだらりと日々過ごしているうちに、もう3月。カレンダーのページをめくるその指先から罪悪感がムクムクと湧き上がる。
それを打ち消すのが、「その日にこなさなければならない用事」だ。例えば、銀行へ振込をしに行くだとか、子から頼まれている文房具を買いに行くだとかーとにかくしなければならないこと。それが、郵便局にあったのだ。なんとなく買い物に行くよりも、しなければならないことを抱えての外出は使命感もあり、意気揚々とする。こんなこと、表立って人に公言出来ないし、したとしたら可哀想な人だとレッテルを貼られるに決まっているが・・

天気も良かったので、調子に乗りすぎていた。駅前を自転車で通り過ぎる。冷たいが、爽やかな風が頬に当たり気持ちが良い。郵便局に到着し、駐輪場に自転車を置き鍵を締めて振り返ると、雑踏の中にYさんがいた。私との距離は5mにも満たなかったし、バッチリと目が合った。


ーYさん!こんにちは!


半笑い状態で笑顔を作り、片手を上げようとしたところで、視線をふっと逸らされた。明らかに逸らされたのだ。そして、Yさんの両隣にはお洒落なママ達、前方には確かPTA本部役員のママがおり、何やら4人で楽しそうにじゃれあうような笑い声を上げながらさーっと私の横を通り過ぎて行った。
上がり気味だった口角は、どうして良いか分からなくなりフルフルと震えたし、開いた目は瞬きをすることすら忘れてしまったのか、渇いて痛みを帯びていた。
そそくさと郵便局の自動ドアをくぐり、所用を済ます。伝票に記入しなくてはならない文字を3回も間違えてしまったのは動揺していたからかー、心臓はまだ信じられないくらいドキドキ鼓動を打っていた。




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ーYさん、嘘でしょう?


心の中で問い掛ける。引越しが3末に決っているYさん、この間会った時が最後かなと思っていたけれど、心のどこかでまた会う機会を望んでいたし、引っ越してからもメールや手紙のやり取りが出来たらという淡い期待もあったのだ。

バッサリ切られたーそんな風だった。もしかしたら、私と知り合いだと周囲に知られたくなかったのかもしれない。挨拶すらして貰えなかった・・
そして、どことなくその日のYさんは垢抜けていた。ぱっと見だからそう見えたのか分からないが、ヘアスタイルもショートボブにふんわりとしたパーマにイメチェンしていたし、真っ白なダウンベストにレモンイエローのニット、それにボーイフレンドデニムという普通の格好なのだが、とにかくそれまでのYさんの雰囲気ではなかった。要するに、垢抜けていたのだ。
もしかしたら、良く似た別人なのかも・・
そう思いたい私がいた。そうだったらどんなに良いか・・しかし、あれは確実にYさんだった。彼女は私を、華麗にスルーしたのだ。

腹いせに、気が付くと記念切手を1シート買っていた。子が好きなキャラクターのものだ。その切手で誰に手紙を出すというのだ?出す友人もいないというのに、余計惨めになるだけではないか。
いやー、いつかこの切手を使うような友達が、せめて子に出来れば良いなという希望がそこにあった。そこにあったのだ。




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「ママ友」から「友達」へ

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また飲み会ー
今度は孤高の人から、一斉メールが届いた。彼女も、敬語ママと同様、誰に対しても平等だ。スネ夫ママのように、特定の誰かを外すような意地悪でめんどくさい真似などしない。
しかし、その平等さが時に私の心を平常心から遠ざける。気分はすっかり暗くなり、しかし、今回は迷わず「欠席」の返信をすぐさま出した。
平日の夜、夫は残業、夜遅くに子を1人残して外出など出来るものか。最もな理由は罪悪感をなくす。
孤高の人は、まだ下に赤ちゃんがいるというのに幹事など引き受けて、すごいなと思う。しかし、確か彼女は親と同居していたはず。自由な身なのだろう。仕事もプライベートも充実ーまさにリア充はいまだ健在。




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一体、何人出席するのだろう?
そして、この催しはいつまで続くのだろう?
そして、なぜこんなにも気になってしまうのだろう?
ビールジョッキ片手に大笑いする、スネ夫ママやボスママの顔が浮かんで反吐が出る。ジャニーズの話、夫や姑の愚痴、ドラマや漫画の話、学校や受験、それにダイエットやアンチエイジングの話。酒の肴になる不毛なネタは盛りだくさん。彼女らを子馬鹿にすることで、自分を保つ。しかしその輪に入れない自分は一体なんだ?人として重大な何かが欠落しているのではないかと落ち込んでしまう。
彼女らは、ママ友から本当の友達になって行くのかもしれない。40になり、50代、そして子ども達が巣立った後も、一番大変だった時代を共有した仲間として関係は続いていくのだろうか。私には、得られなかったもの。せめてー、一人でもそんな気楽な仲間が出来ていたら、こんな僻むような感情は生まれなかったかもしれない。

何も考えず、楽しそう~と出席の返信を送れる人種にこそ、私がなりたい理想像。
ふと、ふわふわママの顔が浮かんだ。




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参観日までのカウントダウン

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もうすぐ学期末の参観日。勿論、その後は恒例の懇談会。
子の学校生活を見るのは楽しみな反面、しかし、それだけに集中出来ないのが私の情けないところ。廊下で楽しそうにお喋りしている母親達を非常識だと呆れながらも、教室の隅っこでひっそり佇む自分も好きになれずにいる。

学校に到着し、自転車置き場に自転車を置くーそこからして緊張する。顔見知りに出くわさないか、会ったとしても、相手が1人ではない場合、どんな顔をして挨拶をすれば良いのか・・
そして、結局は気付かないふりをして彼女らの横を通り過ぎてしまう。
挨拶ひとつ出来ない母親ー、子がそんな私の振る舞いを見たら、どう思うだろう?

気付かないふりー視力の悪いふりー、急いでいるふりー、メールをしているふりー、私はこうして自分の身を守る。話す相手もいない寂しい人間だと思われたくないのだ。
そして、それを隠そうとするからだろう、ぎくしゃくとしたおかしな行動を取ってしまったり、また近寄りがたい人だと思われてしまうのかもしれない。

「平気なふり」は心身ともに疲労する。だからといって、子の前で暗い表情をしてはいられない。




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参観と懇談の「間」の時間、保護者達は廊下に出される。この時間も苦痛だ。前回はそれに耐えきれず逃げ出してしまった。今回もまたそうなるような気がしている。


ーどうせ、有益な情報などないはず・・


欠席するのに正当な理由付けをわざわざするのは、結局のところ罪悪感があるからだ。

この学校のカラーなのか?
参観日だけではない、他の行事でも、母親達はどこかで待ち合わせをしてから学校に来ている気がする。私のように、一人で校門から行内に入る者は殆どいない。いたとしても、この学校のドンー、PTA役員や、十分に顔の広い母親ばかり。Yさんのような、誰からも好かれるタイプも然り。
1人で校内に入ったところで、ところどころで声を掛けられ、立ち止まっては少し喋り、また立ち止まっては違う群れと喋り、そうしていつの間に彼女を中心として、ぞろぞろ大きな団体となり目的地へ向かうーというパターンだ。
後は、仕事や、下の子の園送迎などで本当に時間がない者。さっと30分だけ見てからその場を立ち去るパターン。

参観日を前に、こんなことばかりが頭の中をぐるぐる回っている。こんな時、赤ちゃんでもいたら良かったと心底思う。手持無沙汰な時間がなくなるから。
そんな理由で二人目をまた欲しくなる自分、本当にダメな母親だ。




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見た目判断、嫌悪感

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今度の春休み、暇を持て余した子と工場見学にでも行こう。そう決めたのは、ダンス教室でまいこちゃんからお土産を貰ったからだ。

週末、横浜のカップヌードルミュージアムに家族で行って来たとのこと。

実際、予約をすれば自分でオリジナルのチキンラーメンを作れるという。まいこちゃんは、友達一人ひとりに土産を手渡しながら、ミュージアムでの体験を語ってくれた。


「パパとママはカレー味。私と妹はトマトにチーズトッピングしたりしたんだ。まいこはね、ハート型のチキンラーメン作ったの。」


皆、興味津々な様子で彼女の話に耳を傾ける。

私は、いつものように母親達の輪に入らずーいや、入るタイミングを失ったこともあり、子供達の輪の傍に佇んでいたのだが、一応土産のお礼を言っておいた方が良いと思い直し、足は重かったが母親達の輪に向かう。


「こんにちは。あの、すみません、またお土産を頂いたようで。ありがとうございます。」


「いいえー。」


一応、私に顔を向けて笑顔でそう答えると、すぐに群れに向き直り、会話の続きを始めてしまった。


ー私、何かした?


いつもなら、気が進まないながらもなんとなくそのまままいこちゃんママが流れで私に会話を振り、そして輪から出るタイミングを失ったまま、彼女らの話に参加しているような形になることが多いのだが、この日は違った。
弾き飛ばされたような、そんな感じでまた子どもらのところに戻ろうとするが、子どもは子ども同士で貰ったシールや鉛筆などを見せ合い、それぞれ種類がなんとなく違うのもあり、こっちの方が可愛いだの、こっちはもっと可愛いだの盛り上がっているところに足も進むはずはなかった。


ぽつんー


形容するとしたら、正にそんな感じ。
別にその輪に入りたい訳でもなく、そもそも彼女らの仲間でもなんでもなかったというのに、まるで仲間外れにあったような疎外感。それでも、子には他の子と同様に土産をくれたのだから、単なる私の被害妄想なのかもしれない。




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ため息をつき、それとなく辺りを見回すと、視線を感じてそちらの方を見る。すぐに目は逸らされたようだが、私と同じように1人佇む女性がいた。彼女は、私と同世代?だろうか。ぽっちゃりーを通り越した体つき。そして白髪交じりで恐らく美容院に行っているのかどうか怪しいところの長髪を、1本結びにしているだけ。私もセルフカットをしている身分なのだから偉そうなことは言えないけれど。私が、まいこちゃんママに適当にあしらわれた一部始終を見ていたのか?嫌な気持ちがした。
彼女は、化粧っ気のない顔に、黒縁眼鏡。毛玉の多そうなトレーナーにデニムのロングスカートがもっさりしており、なんとも時代遅れな感じであった。
今度はバシっと彼女と目が合った。
そして、ひきつった微笑?で会釈をされた。
しかし、私は急なことで驚いたこともあり、それに応えず携帯をカバンから取り出し、またメールをするふり。心臓はドクンドクンと波打ち、彼女がこちらを見ているかどうかなんてもう分からないというのに、その場にいたたまれない思いで子の手を取って、


「買い物、もう行かないとだから帰るよ。」


そう声を掛け、早足でスタジオを立ち去った。
何ともいえない気持ちー、そして気まずさと心苦しさ。後ろめたさ?いや、自分自身に対する嫌悪感・・

もし、彼女が素敵ママのような出で立ちだったら?ぎくしゃくしつつも笑顔を返し、会釈をきちんと返すだろう。いや、勇気を振り絞って、その勢いで話し掛けたかもしれない。少なくとも、無視することなどなかったと思う。

見た目で判断。それが悪いことだと分かっている。それでも、咄嗟に出たその行動は、正に見た目で判断だったのだ。こんな自分が嫌になる。




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激しい独り言

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最近また酷くなって来た夫の独り言。素面でも、時々自室から聞こえる話し声。誰かと電話でもしているのかと思っていたのだが、トイレで用を足している最中でも何かしらつぶやいているのだ。ただ、つぶやいているだけならまだしも、言葉にならない声で叫んでいることもあるので、恐怖心を感じずにはいられない。
昨夜も、風呂場から聞こえて来た雄叫び。


「--ぁぁああ!!ううぉーー!!あぁ!!」


シャワー音に紛れていても、はっきり聞こえる音。子は寝ている時間なのがまだ救いだ。父親がこんな声で喚いていると知れば、要らぬ心配をするに違いない。

ネットで色々と調べていたら、やはり独り言の原因の多くは「過度なストレス」によるものが大きいと言う。ストレスと言えば、やはり仕事。そういえば、最近夫から職場での自慢話や愚痴を聞かない。その代りといっては何だが、やたらと断捨離をするようになり、それもストレス解消法の一つなのだろうか?少し前までは、まるで買い物依存症のように、日々ネットショッピングをしていたというのに・・
食事を取りながらも、何やらぶつぶつ話声が聞こえる。私に話し掛けているのだろうかと思い、


「ごめんなさい、今何か言った?」


と聞けば、


「・・・はぁ?何も言ってないけど。」


と、まるでこちらが幻聴気味かのように、気分の悪いレスポンスを返して来るのだ。こちらは心配しているというのにー、そんな気も知らないで・・




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何かの確認作業をするかのように、朝、身支度をする際にもぶつぶつ独り言を言うことが多くなった。なるべく気にしないようにしているが、しかし、正直薄気味悪いし、止めてもらいたいのが本音なのだ。こういう時、信頼関係が築けている夫婦間ならば、


「どうしたの?さっきから独り言言って。おかしいよ!大丈夫?仕事、上手くいってないの?」


おかしいと指摘しつつも、心配しているのだという想いを相手に伝えられるだろうに、私にはそれが出来ない。プライドの高い夫にそんなことを言ったが最後、怒鳴り返されるかコテンパンに私を全否定される。そう、話題は常に私が不利な状況にすり替えられるのだ。


「だーかーらー!!!俺が俺が俺が!どうするんだどうするんだどうするんだ、お前がおかしいだろう!何やってんだよ!ッザッケンナ!!!」


トイレから聞こえる声。それは一向に慣れることなどなく、聞こえる度にビクっとし、それから嫌悪感。続いて少しの同情と言いようもない不安感が私を襲う。これからどうなるのだろうか?まさか、うつ病の前兆?そうなると仕事が出来なくなる。もしそうなったら、我が家はどうなるのだ?
夫も外で戦っているのだ。しかし、家に戻ればたがが外れる。溢れる感情が、独り言となり、もはや自分で制御出来なくなっているのかもしれない。心の不安感は誰しもが持っている。男だからだとか大人だからだとかは関係なく、平等にそれは人々を襲う。
この声が、いつ私に向かうのかという恐怖心ー今はそれに怯え続ける毎日だ。




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ノンフィクション

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日曜の午後ー
珍しく、休みを取った子は、夫と共に義実家へ遊びに行った。私も行くべきかーとお伺いを立てる前に、夫から来なくて良いと言われたのは、何かしら私を抜きにしたら好都合な「家族会議」があるからに違いない。
こんな時、私は物分かりの良い妻を演じる。詮索したりせず、笑顔で二人を見送るのだ。

頭を空っぽにして、家事を一通り終えるとテレビをつけた。
昔から好きな番組、「ザ・ノンフィクション」が丁度始まっており、こたつにくつろぎながら観ることにした。
今回の主役は、義足のシングルファーザー。反抗期を迎えた息子や、まだ小学生の幼い子供達を男手1人で育てている男性。妻は家を出て行ったっきり、戻って来ない。

母がいないからなのか、複雑な家庭環境からなのか、それとも誰しもが経験する思春期の不安定さからなのか、次男である中学の息子と父親がどうもうまくいかない。

父親は、仕事をしながらも不自由な体を引きずって、家事をする。子供達が散らかした物を片付ける。しかし、父親だって人間だ。終わらない家事に、非協力的な子ども。こんなに愛情を注いでいても子どもには伝わらない。
クリスマスイブの親子の会話、あんなにも父親が子に歩み寄り、愛情をきちんと言葉で示したというのに、息子から返って来た言葉は、「キモ」という一言。そして彼は居間から去り、一人残された父親。他の子ども達は、元妻の元でクリスマスイブを過ごしている。 一緒に食べようと持ち帰った、クリスマス柄の菓子が、所在なさげにテーブルの上に置かれたままだった。



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涙が出た。
親の愛情は無償であって、捧げるものであって、それでも見返りを求めるのだとしたら、それは「子どもの笑顔」なのだ。それなのに、子どもから笑顔を奪っている原因が自分にあるのだとしたら、一生懸命心のドアを叩き続けても開かないのなら・・・

あと数年もすれば、子も思春期を迎えて難しい年頃になるだろう。それまで培ってきた夫婦間の関係性や家族同士の関わり方の積み重ねが、少なからず影響するのだと思う。
育児に「正解」はないと言うけれど、それでも「その時」を迎えたら、親は親なりにがむしゃらに対処していかなければならない。それが間違ったやり方だとしても、「一生懸命」問題と向き合い続ければならない。
匙を投げることー、それをしない限り、未来に希望はあると信じるしかないのだ。

義足のシングルファーザーと、あの次男。7年後、笑顔で酒を酌み交わしていることを切に願う。




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包装紙の疑惑

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夫の部屋を片付ける為に部屋に入ると、机の隅には綺麗な包装紙とリボン。妻の直観。恐らく、先日のバレンタインの残骸だろう。 夫は細かいようで、こうしたことに無頓着。中身はもうなかったが、包装紙のブランドをネットでチェックすると、8個で5000円もする代物だった。義理ではない、本命チョコレートか?

ここ毎日、急にミニマリストになった夫に言われた通り、断捨離する物を写真に撮ってはメール送信している。昨日は、黄ばんだタオルケットと穴の空いた靴下、それにガラクタと化している小さなトレーだ。
捨てろ捨てろ煩く喚く癖に、こうしたゴミは大切に保管するのか?それとも私に対する当てつけか?私が困惑するのを見て、愉快な気持ちにでもなるのか?


「今日捨てた物」


夫に送るメールの表題。そして、肌に合わなくて使えなかった化粧品と時代遅れな柄のスカーフ、更に夫が大切に保管しているのか捨てるのを忘れているのかも分からない包装紙とリボンにカメラを向けて、シャッターボタンを押す。
勢いで送信ボタンを押した。




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すぐに、その包装紙とリボンをぐちゃぐちゃに丸めて捨てようと手が出たが、あまりにも綺麗な包み紙とリボンは、子の学校で工作する際使えるかもしれないと思い留まる。
専業主婦の、みみっちい勿体無い症候群。綺麗に四つ折りし、リボンはくるくる丸めてリボン入れとして使っている空き瓶に入れた。 もし、夫が勝手に捨てたことを怒ったら、返せばいい。夫からのリアクションにビクビクしながらも、しかし怒りの感情の方が勝った上での行動だ。

ー貰ったのはチョコだけだろうか?何かしらの品物やメッセージカードの類はそこになかった。夫の机の引き出しは、一つだけ鍵が掛かっている部分がある。そこは、開かずの間だ。夫の部屋を掃除する度に、もう恒例のように引き出しが開くか開かないかをチェックする。
中に何が入っているのだろう?妻に見られたくないものなのは確かなのだけれど、思った通り、今日もまた引き出しは開かないままだった。




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誕生日プレゼント、その後

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実母にプレゼントを贈らない、そう決めたはずなのに、モヤモヤした気持ちが払拭されず、喉に小さな小骨が引っかかっているようで。
あの後、また二者択一占いをし、そして「大人の対応」を取ることにしたのだ。それは、義理だけは果たすということ。分かり過ぎる意思表示ではなく、なんとなくそっけないと思わせる、そんな態度。プレゼントは今までのようにメッセージカードを付けない。梱包もしない。ネットで注文、事務的に行う。
買い物かごに入れたり出したりしていた母好みの雑貨を選択し、再度買い物かごに入れる。そして、そのまま注文確定ボタンをクリックした。



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ーこれで良かったのだろうか?自分の意志をはっきり母に示すチャンスだったのに・・またうやむやになってしまうのではないか。少しの後悔と、しかし「娘」であることからは逃げられない現実を受け止められた自分を慰めるように、淹れたてのホットコーヒーを体に流し込む。

二者択一占い、最後、決定打になったのは、「運命の輪」のカード。「贈る」を選択したら出て来たカードだった。
私は何度も自分を曲げて、母の思う娘を演じて来たつもりだ。しかし、これからは違う。義理だけは果たす。しかしそれ以上でもそれ以下でもない付き合いを維持していこうと思う。

プレゼントが届いたら、何かしらお礼の電話やメールなどのリアクションがあるかと思う。しかし、それによってなし崩し的に以前の関係に戻るつもりはない。
私は、精神的に母から自立すると決めたのだから。




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ありがた迷惑

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子が友チョコを渡した人数は、ざっと15人程度。子の話だと、きちんと交換の約束を取り付けたということだったのだが、実際子が友達から貰ったチョコはたったの1つだけ。


「皆、欲しいって言ってたから・・公園行って皆に配ってたら、他の子も欲しいって・・」


あれ程、約束をした子にだけと言い聞かせていたのに、子はその場の雰囲気に流されてしまった。私が怖い顔をしているのに気が付くと、慌てて謝るがもう遅い。
そして、何だか悲しくなってしまった。


ーあんなに張り切って作ったのに・・それなのに、子のことを思って作ってくれた子はたったの1人ー


そして、その1人の子は、男の子も含め、クラス全員に渡したというからがっかりした。何だか全てが子の独りよがりであって、そもそも子が友達だと思い込んでいる子は、子のことをそれ程気にも留めていない、ただのクラスメイトという存在に位置付けているのかもしれない・・
子はそれでも満足しているようだが、それがまた歯痒い。


「あ、R君にもあげたよ。」


素敵ママの子にもあげたらしく、とにかく目についた子に配ったと言った方が正しいのかもしれない。ギブアンドテイクではない関係性に心が痛む。


「OOは、自分が貰えなくて寂しくなかった?」


とうとう聞いてしまった。子の天真爛漫さに耐えきれなくなったのだ。


「別に・・」


子は、どうにも読み取れない表情でそう答える。しかし、子の本心を母親として知っておきたい気持ちがある。


「皆は配ってた?」


「うん?あんまり。皆、作らなかったって。お母さんが作ったらダメだって言ってた子が多かったよ。」


それを聞いて、頭が痛くなった。それは要するに、友チョコなんて煩わしいということだからだ。それなのに、一方的に押し付けてしまった形になる。親の顔も知らない子供達にー
一番危惧していたことが、実際に起こってしまったのだ。




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数日後、ゴミ出しの時にエントランスでSちゃんを遊ばせている素敵ママに会った。こんなに朝早いのに、相変わらずそのままお出掛け出来そうな恰好だ。


「あ、おはよう!この間はOOちゃん、チョコありがとう。」


彼女の笑顔に安堵する。良かったー、迷惑じゃなかった。


「お散歩?」


「ううん、今旦那を車で駅まで送ってったところ。今日から出張なの。」


「そうなんだ。大変だね。」


「大変といえば、先週からR、お腹壊してね。ずっとお休みしてたんだ。先週末に急に玄関で吐いて。胃腸風邪だったみたい。」


「え!それは大変だったね。もう良くなったの?」


「うん、なんとか。あ、ごめん電話だわ。」


ポケットに手を突っ込み、もう片方の手で私に手を振る。また今度の合図。また今度とは、こうした偶然の立ち話であって約束ではない。

自宅に戻り、散らかったリビングのソファーに身を投げ出して、先程交わした会話を反芻する。そして、R君が腹痛を起こした日と子がチョコを渡した日が同日ではないかと思い、頭が痛くなる。そして、自分の頭の回転の鈍さを呪う。
あの時、すぐに気が付いて謝るべきだった。素敵ママも、それを促す為にわざわざそんな話を私にしたのでは?
彼女の笑顔の裏に、私の鈍感さを嫌悪する表情が浮かぶ。そして、その背後には子が友チョコを一方的に渡した親達の迷惑そうな表情も。

次回の参観日が怖い。カレンダーを眺めてはため息の連続だ。



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こたつの温もり

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昨日も、子は帰宅してから遊びに出なかった。あんなにみこちゃんと遊んでいたのにパタリと。風邪でも引いたのかと思い、何気なく聞いてみた。


「みこちゃんは今日学校来たの?」


「うん、来たよ。なんで?」


「いや、最近遊んでないようだから。今日も約束して来なかったの?」


「みこちゃん、Tちゃんのお家に遊びに行くんだって。」


「あ、そうなんだ。」


「昨日はL君のお家だったらしいよ。」


「・・・・」


二人とも、クラスメイトだ。みこちゃんは誘われて子は誘われていない。聞くところによると、男女交じって7人程が遊びに行ったらしい。子も絶対に行きたかったはずだ。しかし、誘われなかった。こればかりは私がどうしてやることも出来ないし、ならば自分からお願いするよりほかはない。しかし、親の顔が見えない分、余計なことは言えない。それを提案したことにより、子が「図々しい人の家に頻繁に出入りする子供」の烙印を押されるのは困ってしまう。
宿題と自己学習を終えると、詰まらなそうにテレビのリモコンを手にチャンネルを変える。私があれこれ話し掛けても上の空。疲れている時の子はいつもそうだ。おやつだけテーブルに置き、洗濯物を取り入れ畳む。



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そういえばー、幼稚園の頃より親子の会話が減ってきたかも・・

それまで意識していなかったが、改めて思う。幼稚園の頃のように、親が介入しずらい学校生活ー、そして付き添い無しでの放課後遊び。休日も、互いの都合さえ合えば友人と遊ぶ子。こちらが予め約束していなければ、親子で出掛けたり遊んだりすることが徐々に減って行っている。そんな日々に、気が付けば寂しさを覚えていた。
そして、放課後に子が遊びに出ないことを心配する一方で、家にいてくれる充足感のようなものがあることに薄々気付く。リアクションが薄くても、子が家にいるからこそ、ゆっくり宿題の答え合わせをしたり、互いに別々のー子はテレビを観て私は携帯でネットを見ていても、こたつの中に人間がもう一人いるという温かさは、私の孤独感を和らげるのだ。
何かー、子供以外の何かを見つけなければ。趣味なり仕事なり・・しかし、写真もなんとなく続けているものの、正直寝食忘れて没頭するまでは行かず、また短期パートが終わってからの次の仕事探しも、寒さもあって宙に浮いたままなのだった。




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二者択一の未来

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これまでの人生も、これからの人生も、その殆どが選択の連続で、極端に言えば、二者択一の繰り返し。


ーYESかNOかー
ーするかしないかー
ー行くか行かないかー


そして今回の二者択一は、「贈るか贈らないか」だ。

実母の誕生日がすぐそこまで迫っている。そして、あの日以来ずっと音信不通。こちらからも連絡はしていないし、向こうからも何もない。沈黙の時間が重なれば重なる程、その雪解けは難しくなる。分かってはいるが、こちらの心が悲鳴を上げ続けていることにもう耐えきれない。そして、何も言えないのなら、行動あるのみだ。消極的だが、こちらからアクションを起こさないーそれが私の実母に対する強い意志。

しかし、無意識に誕生日プレゼントに良さそうな物を、ネットでチェックしている。お気に入りに入れては削除の繰り返し。頭の中で誕生日当日に間に合わせる為に、いつまでに注文すれば良いのかもインプットされている。


ーやはり、贈った方が良いだろうか?




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夜も寝付けず、携帯であちこちのネットショップを回る。実母好みの雑貨や装飾品、予算は1万。しかし、もし贈ったとしてもまた苦しむだけだと思う自分もいる。
それでもー、お気に入りに入っている商品を、買い物かごに入れる。働き出してからこれまで、いやー、手作りのプレゼントを含めたら、まだ片手で足りる年の頃からずっと渡し続けて来たのだ。それを、今ここで断ち切って後悔はないか?

もう一度、注文をする前に思い立ち、二者択一の占いサイトを開いた。困った時のネット占い。選択肢Aに、「プレゼントを贈る」と入力、選択肢Bには、「プレゼントを贈らない」として、「占う」のボタンを押した。
すると、贈るとした選択肢Aのカードは、「崩壊」を表す「塔」の絵が描かれていたのだ。

やはり、贈るのはやめよう。沈黙を貫こう。心が楽になり、全てが許せるようになるまでは現状維持がベストだと、そう信じることにした。




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わたしを離さないで

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今季のドラマ、「わたしを離さないで」にはまっている。現実離れした憂鬱になる内容だが、それが私にとっては心地良い。
美男美女で若さもある彼らだが、その先にあるのは絶望。そして、思う。


ー私は恵まれている。


ドラマ相手に馬鹿らしいけれど、その異様な世界がこの日本のどこかにあるような気がして、胸がざわつく。自分の恵まれた環境に安堵する。夫や親と上手くいかないことなど、ちっぽけで取るに足りないことのようにさえ思える。 無駄に明るく楽しいトレンディドラマに興味などない。それこそ、私にとっては「非現実的」なものだから。

今こうして私はPCをしている横で、子はチョコ作りをしている。何でも自分でやりたがる年頃なので、キッチンやテーブルがぐちゃぐちゃになろうとも、見て見ぬふり。私が子どもの頃は許されなかったこと。手伝おうとしても、邪魔だからと追い払われた挙句、「あんたはお母さんがいないと何も出来ない子」にさせられていた。そして、実際そうなった。
子には、精神的に自立して欲しい。それは、私の元を離れるということになるけれど、それで良いと思っている。

わたしを離さないでーなんて、いくら親であっても子に求めるべきではないのだ。




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掲示板

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「ボランティア募集中!!」


団地の掲示板ー、目に留まったのは、乳児対象に隔週で行われているらしい「親子の遊び会」のスタッフ募集の貼り紙だ。この期に及んで、まだ誰かと繋がりたいと思う私。
頑張って役員をしても、子に習い事をさせても、何かの催しに参加しても、短期パートをしても、いまだに出来ない心の拠り所。この満たされない心をどうにかしたくて、常にアンテナを張っているのだ。
以前、敬語ママがボランティアをしている現場に遭遇したことがあり、生き生きとしていたのは記憶にまだ新しく、母として、妻としてだけではない、「私」の存在を誰かに認めて欲しい気持ちは常日頃抱え続けている。




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どんな人達が参加してるんだろう・・・


貼り紙だけでは分からない。参加してみようかーと思い、すぐに思い留まる。乳児とくれば、素敵ママやお隣さんのコミュニティが常連かもしれない。自分がスタッフとしてその場にいても、その輪に到底入れるわけでもなく、しかも彼女らの親密さをたっぷり見せつけられるだけ。そして、同スタッフメンバーと上手くやれるという保証もない。
こんな時、Yさんがいたらーこの団地に住んでいたなら、彼女を誘ってこのボランティアに参加しただろうと思う。そして彼女なら二つ返事でOKを出してくれるに違いない。

しかし、彼女はあと2か月でこの地を去るのだ。ふと、Yさんに会いたくなった。メールしてみようか。しかし、出だしの文章がなかなか思い浮かばず、思うだけで時間ばかりが過ぎて行くのだ。




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サンドバッグじゃない

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昨夜ー、ベロベロに酔っぱらって帰宅した夫。チャイムが鳴り、続いてドアノブがガチャガチャ回される。


ー機嫌が悪い・・


顔を見なくても分かる夫の言動。子が就寝している時間だというのに、ドアを開けるとバタバタと大きな音を立ててリビングに入り、バッグとコートをソファーに投げ捨てた。

ブツブツ始まる独り言にうんざりしながらも、脱ぎ捨てられた衣類を片っ端から拾い、テーブルには1杯の水を置いた。


「損切り、損切り、畜生!!」


突然の雄叫びに、体がビクッとする。 損切りって、何?嫌な予感がした。


「どうしたの?何があったの?」


心配し、尋ねても返答はない。その代りに、馬鹿にしたような顔で私を見下ろす。


「あんたに言っても分からないから。いちいち首突っ込むな。」


そのまま風呂場へ行ってしまった。相当酔っていたのもあり、シャワーのみですぐに出て来た夫は、歯磨きしながらも、真っ赤に充血したうつろな瞳でスマホを見続けている。目の前の私などいないかのように・・


ー損切り?




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夫が入った後の風呂場を、軽く水洗いする。あちこち泡が飛んでおり、また風呂から出た後も、バスマットできちんと足の裏の水を吸い取らなかったのか、夫が歩いた動線が水浸し。それを雑巾で拭いていると、大きなため息を漏らされた。


「なんかさ、いちいち嫌味なんだよ。人が風呂から出たらすぐに掃除したり、そうやって俺の歩いた後をわざわざ雑巾で拭いたり。ったく!」


「え・・そんなつもりじゃ・・」


その続きの言葉が出て来ず、代りに涙が潤んで視界がぼやけた。そのまま夫は自室へ行ってしまった。
まだ拭き足りない、水浸しの床を見ているうちに、なんだか全てが馬鹿らしくなった。そして、次に怒りが込み上げる。そして、先程洗濯籠に入れたばかりの夫の衣類を取り出し、それで床を拭いた。ついでに埃がたまっている冷蔵庫の下やゴミ箱周りも。そして洗面台も綺麗に拭き上げた。そのまま勢いで、トイレの便器までやってやろうかと思ったが、さすがにそれはやめた。どうせ洗濯をするのだし、またその気力ももう残ってはいなかった。

私は、夫のサンドバッグじゃない。




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ひとりファミレス

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とうとう子の学校で、インフルによる学級閉鎖ー習い事のスイミングでも、ちらほら欠席者が目立っているのはこの時期ならでは。しかし、今週も私の期待を裏切り、目に入る後ろ姿。そう、スネ夫ママだ。彼女がいれば、私はその場にいられない。そそくさと寒空の下に出なければならない。そして、無駄な出費がまた増える。スクール近くのファミレスだ。ここら辺に、気の利いた時間潰しの場所などないのだ。

ファミレスで、ドリンクバー、それにお決まりのデザートを頼もうとして思い留まる。なんとなく甘いものーという気分になれず、おやつには重い気がするが、ベーコンとほうれん草のソテーを頼んだ。
両隣に人が座っていないのでいくらかリラックス出来たのだが、しかし斜め前方に主婦グループ、そしてその隣は母親世代の老人女性のグループがわいわい何やら楽しそうにだべっている。
大きな声ではしゃいでいるその内容はほぼ筒抜けだ。ある人からしたら、くだらない下世話な話題かもしれないけれど、しかし内容なんてどうだっていい、まるで学生のように腹の底から笑い転げる彼女達が眩しく、そして羨ましかった。
子の成長を喜ぶーそれは、勿論笑顔を作る元だけれど、しかし頭を空っぽにして、テレビでお笑いを見て笑う感覚で笑うことなど、ここ何年も実生活で出来ていない気がしている。元々、私の性質自体が感情を露わにするタイプではないのだけれど、それでも若い頃は、もう少しくだらないことで笑えていたのに。
くだらないことを、くだらないと認めた上で笑う。多くを見下ろすことで自分を保つことは簡単だけれど、それではいつまでたっても本当に望む将来が手に入らないのではないかー、薄々気が付いているのだが、どうにも出来ないままもう四十だ。

安いドリンクバーで、何時間も時間を潰せる相手がいること、それがどれだけ貴重なことなのか彼女らは気が付いているのだろうか?あの輪の中にも、顔で笑って心で悪態を付いていたり、また時間の浪費だが付き合いなので仕方がないと言い聞かせている者もいるのだろうか?




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寂しくなり、携帯のアドレス帳を開いた。過去、私の人生を通り抜けて行った人々ー、結婚しても、引っ越しても、削除出来なかった個人情報は、あちら側ではとっくに消去されているに違いない。
元彼のアドレスー、電話番号などもとっくの昔に削除したというのに、私はいまだそれを正確に思い出すことが出来る。いやー、忘れよう、忘れようと努力するあまり、しっかり記憶に刻み込まれてしまったのだ。
そして、よせばよいのに、また元彼の奥さんのブログを開いてしまった。


「家族ぐるみで♡」


題名を見た瞬間、やっぱり止めておけばよかったと心底思ったー、思ったが、しかし止めることなどもう出来なかった。そして、読み進めるうちに気分はどんより暗く沈んで行く。どうやら、近所に住む仲良し家族と、この間の休みにホームパーティーをしたようだ。勿論、元彼も。顔はスタンプが押されて特定出来ないようになっていたが、襟足から背中にかけての曲線は、間違いない。元彼は、きっと社交的で楽しい女性と家庭を築いた。太陽のような女性。そして、自宅は常に風通しが良く、人の出入りも多く、笑い声が絶えない。もし私と一緒になっていたのなら、築けていなかった「楽しい我が家」。
一方、もし夫が夫ではなくて元彼だったのなら、今の私はいなかっただろう。元彼の詰まらないが暖かい冗談に、いつも声を立てて笑っていた私だったから、きっと共に家庭を築いていたのなら、彼の能天気な大らかさが私を救い、もう少し笑顔のある人生だったかもしれない。意味のない「たられば」を思い描き、虚しくなった。

奥さんは、しきりに「幸せ」を連発していた。その言葉が私を刺激し、意地悪な気持ちが湧いた。
不特定多数に、幸せを見せつけること。それは、何か満たされない所があるからなのでは?だから、自分を納得させる為に、幸せだと言い聞かせる為に、こうしてブログに綴っているのだ、きっと・・
顔を上げると、先程まで大騒ぎしていた主婦達はいつの間にいなくなっていた。乱雑に置かれた数々のグラスを事務的に片付けるウェイトレスに、今の自分を重ねる。しかし、気分は全く晴れなかった。




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友チョコ事情

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「友チョコ作りたい。」


子がそう言い出すことは想定内。しかし、あげる相手はみこちゃん除いて、私の知らない名前ばかり。そしてその向こう側にいる親の顔など到底分からない。
友チョコとは、基本手作り。互いに作ったチョコを交換し合うのだ。


「その子達からも貰うの?」


「分からない・・でもOOがあげたいって思うから・・」


互いに約束をして来たのならまだしも、一方的に子があげるという話に同意出来なかった。もし、子が作ったチョコを食べて腹を壊したらーしかもその親がモンペだったらー、また貰った相手が子の分を用意してないばかりに、余計な気を遣わせることだってあり得る。もし、突然知らない子供が子に友チョコを届けに来たとして、しかし子の方ではその子に用意していなかったとしたら、後日、子に同じ様に作らせて届けるor市販だが高価ではない、子の小遣い程度で収まるようなチョコを買って届けるかと思う。そしてその手間は、案外面倒。
そんな親の気持ちなど露知らず、子は友チョコ熱に浮かされ気味だ。一緒に行ったスーパーのバレンタイン特設コーナーで、テンション高くあれこれ見てはどんなチョコを作ろうかとワクワクしているのが伝わってくる。


「でもね、その日は日曜だよ。みんな家族と出掛けて家にいないと思うし・・来年にしたら?」


子の気持ちを何とか変えようとするものの、


「じゃあ、金曜に渡す。14日じゃなくてもいいと思うよ。」


全くなびく様子はなかった。
そして、妥協案を子に告げた。




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「あげるんじゃなくて、交換ならいいよ。ちゃんと学校で約束して来て。でないと作ったチョコが余ったり足りなくなったりするでしょう?それにしても、何人くらいにあげたいの?」


「15人くらい。」


「・・・・」


どうやら、クラスの子だけでなく、習い事メンバーにも配りたいとのこと。しかし、まいこちゃん達ーいや、まいこちゃんママ達は、友チョコ事情をどう思っているのだろうか?
手作り自体に嫌悪感を示す親だっているかもしれない・・子供が汚い手でこねくり回したチョコーそう思う親だって少なくともいるはず。そして、貰ったが自分は用意していなかった場合に、ホワイトデーに返すべきなのかも悩む。


ーギブアンドテイクー


それが大事。そして、もう一度子に念押しをする。交換以外は受け付けないこと。予め、仲の良い友達にはチョコを交換するのか確認しておくこと。それが出来ないのなら、友チョコはナシ。
すると、一番仲良しのみこちゃんからは貰えないと思うと言い出す子。母親が仕事で忙しく、一緒にチョコを作ってもらえるわけがないと聞いて納得した。ならば、みこちゃんにはチョコをあげず他の誰かと交換し、それを知ったみこちゃんはどう思うのかと子に尋ねてみた。しかし、まだ2年生。目先の楽しさしか考えておらず、そういったことは一旦考えずに保留する節がある。みこちゃんのことは大好きだけれど、それとこれは別なのだ。そして、クリスマスにキャンディーリースをあげたこと、あれに対してみこちゃんの親からは何も言って来ない。ハロウィンだって・・・そしてチョコまでしたとしても相変わらずのスルーなのか?
そもそも何も聞かされていないのかもしれないけれど、そういったことにモヤモヤする自分の器の狭さにもげんなりする。


さて、どうしよう・・・結局最後は親が悩むのだ。




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今日の写真

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■今日の写真




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今後の方針

先日、タブレット学習を取り入れようとスマイルゼミの資料請求をしたところで、Z会も3年生から「小学生タブレットコース」という講座が開校されると知った。今度の4月からという、まるで子の為なのかと思うくらいのタイミングの良さ。

Z会のサイトでは、実際に疑似タブレット学習が出来るので、早速子にやらせてみた。

国語から算数、英語までお試しで家のPCから体験出来るので、DSすら持っていない子にとってはそれすら遊びだ。楽しそうに問題を解いており、なかなかの好感触。スマイルゼミをまださせていないことも功を成した。両方同時に見せたら、そりゃあ、子はスマイルゼミを選ぶに決まっている。

スマイルゼミは、日経優秀製品サービス賞など、外部機関からいくつもの賞を受賞しており、また最近ではやたらとスキマスイッチが歌うCMが流れているが、あれを観ると、習い事など学習以外にも伸ばしたいことと併用するのがベストのようにも思える。

やはり、Z会にも惹かれる。問題も少々応用が効いている。スマイルゼミは、子供受けするには十分だが、がっつり学習させたいのならこちらのタブレット学習の方がいいかも・・・また夫に相談だ。



















受験するのなら、絶対にZ会。だが、公立ならそれ程頑張る必要もないだろう。お受験ーについては、夫はどう思っているのだろう?それまでもなんとなく聞いてみたが、返ってくる答えは「女の子だから」という時代錯誤なもの。3年生から教科も増えるし、横並びだった友達との学習レベルも、一気に差が出る。この時期、どのような学習教材を与えるかで今後の方向性が決まると言っても過言ではないだろう。個人的に、私は公立で良いと思っているのだがー、果たしてそれで本当に良いのだろうか?ぐるぐる悩むが、まだ答えは出て来ない。










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微コピ

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完コピではなく、微コピ。
強いて言葉にするのならそんな感じ。

あの陶芸教室のHP、ブログも更新していたようなので、私達のことも書いているだろうー、また、私が写真撮影をしたこともあり、それがブログに使われているかどうかも気になり、開いてみたのだ。
私達が習った日のブログはやはり更新されており、私が撮影していた写真も何枚か使われていた。人間は、先生除いて皆モザイクだったが、しかし、生徒の作品はしっかり写っている。勿論、子の作品もブログにアップされていた。ブログを閉じ、そのままHPを流し読みする。流し読みといっても、殆どが写真。陶芸だけではなく、造形一般もしているアーティストな彼は、様々な材料を使って多くの作品を生み出しているようだった。
何となく興味が湧いたので、彼のそれまでの作品のサムネイルをクリックする。そして、最新のサムネイルを開き、愕然とした。




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それは、見覚えのある物だったからだ。というか、パクリ?あの時、教室で一緒だった男の子の作品にそっくりだった。いや、正確に言えば、男の子が最初に作っていたが落としてダメにしてしまった未完の作品だ。あれにそっくりだった。うろ覚えだが、子供の作品ながらも感動をしたので記憶に残っている。何と呼ぶのか分からないが、あるモチーフを繋げたような、形容し難いが、土偶の腰部分に特殊なモチーフを繋げてぐるっと回したような、奇妙な作品。しかし、インパクトのある作品。確か、カメラのデータには残っているはずだから、それを見ながら真似ることは出来るだろう。
もし、私があの男の子の母親だったらどうするだろう?見て見ないふりをするか?それとも訴えるか?しかし、証拠が自分のところにないのだ。データを削除されていたら終わりだ。

最初から、うさん臭そうな気がしていた。正直がっかりしたし、折角汗水垂らして働いた金を、こんな人間に払ったのかと思うと悔しい気持ちもあった。しかしそれ以上に、純粋な子供の作品をパクらなければならない程に、自らのクリエイティブな能力が枯渇していることを認めざるを得ない彼の苦悩を思うと、何だか憐れな気持ちも湧いた。


ー見なかったことにしよう・・


静かにHPを閉じた。
もうあの教室に二度と行くことはないだろうし、あの男の子とも会うことはない。波風立てる必要はない。アトリエを借りて、材料費を払ったと思えばいい。

自らを納得させる理由を並べ、寝床につく。しかしその夜は、なかなか眠りにつくことが出来ずにいた。




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アートな世界ー続き

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大きな音のした方を見ると、男の子達ー恐らく兄弟が、作業に飽きて来たのだろう、互いにじゃれ合い、椅子から転げ落ちたようだった。そして案の定、作りかけの作品がぐちゃぐちゃになっていた。それを見て、まずは自分の子供ではなかったことに安堵する。それから、心の余裕が出来て初めて、べそをかいている男の子に同情心を寄せる。先生は、一瞬面倒臭そうな表情をしたが、すぐに笑顔を作り、


「ほら!このぐちゃっとなったところもさ、なかなかいい味出てるよ!」


と、正直素人の私ですらフォローにならないのでは・・と思うような台詞を吐いた。今から作り直したとして、確実に時間オーバー。代金は時間制ではなく回数制だ。なので、時間オーバーすることは彼にとったらタダ働き同然だ。しかし、そんな先生の心など子供にとっては関係ない。


「これやめる。作り直す。」


男の子は、不格好になってしまった作業途中の作品をいきなりテーブルに叩きつけた。場の空気は気まずく、そして肝心のその子の母親は自分の作品に熱中するあまりに慰めの言葉も与えない。


「出来た~」


一番乗りだったのは、黙々と作業していたこの中では一番大きい女の子。小学校高学年だろうか。女の子らしい、花をモチーフにしたマグカップは大人顔負けの仕上がりだ。先生も、先程の不穏な空気を断ち切ろうと、しきりにその作品を褒め称え、痛々しい程に場を盛り上げようとしている。

続いて、その子の母親も完成したようだ。やはり、大人が作る作品だからか「守り」に入っているように見えた。何もしていない私が言うのもおこがましいが、しかし隙のない作品は、美しいが詰まらない。まるでのっぺりとした既製品。
次々に作品は仕上がっていく。終わった子供達は、隅の休憩スペースで奥さんが出してくれたお茶菓子をいただいているようだ。残るは、我が子と先程やり直した男の子。男の子は苛々しながら、土を叩きつけ、丸め、しかし先程のように上手くいかないことで焦っているようだった。子もその空気に伝染したのか、いくらか焦りが見えている。休憩スペースで、楽しそうに喋っている親子にチラチラ視線をうつしながら、同じ所を何度も何度も指でなぞっている。


「終わらないぞー。」


先生が、どちらに向けて行ったのだろう、余計に焦らせるような言葉を掛ける。子は少々パニックになっているように見えた。


「お、OO。なかなかいいね。この場所何度も指ですっただろう?これは先生でも出せない曲線だ。子供の小さな指でしか作れない、世界に一つだけの形だね。」


褒められたことが分かると、子は照れ臭そうな満更でもない表情を浮かべた。私まで嬉しくなった。先程までこの先生に対して、少々うさん臭いような疑わしい気持ちがあったのだが、それもこの一言によってすーっと消えて行った。我ながら単純だと思う。




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「これでいいや。」


子も作品を完成させ、男の子もほぼ同時に終わったようだ。しかし、正直投げやりな感じの作品で、最初に作っていた物の方が数倍も良かった。私はカメラの中に収めていたデータのプレビューでもう一度彼の作品を見直した。作り途中だったが、ダイナミックで創造的なそれは、正に芸術的だった。


ー惜しいな。このオブジェ、子供じゃないと出来ないけれど、子供でもなかなか思い付かない形。1度見たら、インパクトが強くて忘れられない。


余りにもインパクトが強く、しばらくその子の最初の作品が残像として心に残っていた。一方、子の作品は、親から見てもまあまあの出来で、しかし本人には言えないけれど、「まあまあ」の域を超えていないある意味無難な作品に思えた。それでも、愛する我が子の作品は何物にも代えがたく、素晴らしいものに変わりはないけれどー


最後にそれぞれの作品に付ける釉薬を決めて、その日の作業は終了となった。帰宅まで15分程だが、私達親子も休憩スペースで先生を囲みお茶菓子をいただいた。共に参加した母親が気さくに私達に話し掛けてくれた。もう一方の母親もだ。第一印象から周囲にいないタイプの2人なので、話すのに躊躇したのだが、彼女らがタメ口だったのと一期一会という気持ちから、私もリラックス出来たのだろう、気が付くとタメ口で返していた。なぜなら、私は彼女らよりも明らかに年上のようだったからだ。
もう少し時間があればママ友になれたかな・・とスケベ心が湧いたが、私達はそのまま連絡先など交換せずにさよならした。

それから後日ー、なんとなく開いたHPを見て愕然とした。こんなことはあってはならないのでは・・目を疑う出来事があった。




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アートな世界

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待ちに待った陶芸教室ー振替休日に行って来た。この日は園のランチ会でもあったので、もし子の耳に入ったとしても、うまくやり過ごすことが出来る。


サイトのアクセスを頼りに、都心の外れにある小さなアトリエへ向かう。騒がしい駅前商店街を抜け、狭い路地裏を通り小さなトンネルを抜けると、恐らくこれも手作りだろう、アトリエの名が書かれた木の看板が控えめながら立て掛けてある。呼び鈴を鳴らすと、中から若い女性が出て来た。


「はーい。」


「あの、今日予約してますOOです。」


「あ、はいはい。お待ちしてました。どうぞ~」


丸顔のほんわかした癒し系美人は、恐らくこのアトリエ主人の奥さんだろう。子と共におずおず中に入ると、既に先客が何人もおり騒がしい。賑やかな笑い声も聞こえ、少々気後れしたのは私だけではないようだ。子がぎゅっと私の手を握り締める。
通された部屋は、独特な臭いがした。恐らくこれが土の臭いなのだろうか?そして、ひげをたっぷり蓄えた長髪の男性ー、事前にネッ トで顔を見ていたお陰で、初対面とは思えず、気さくな笑顔をこちらに向けて来た。


「いやいやいやー、こんにちは!えっと・・OOさんだね?OOって呼んでいい?」


先生は、突然子に挨拶をしたかと思うと、呼び捨てで距離を縮めようという作戦なのか?子の表情は硬いながらも、頬はいくらか蒸気しているようだった。持参して来たエプロンと三角巾を付けつつ指定された席に着席した。子供は全部で5人。大人は私を入れて3名。いずれも親子で参加しているようで、私のように「付き添い」だけという大人はいなかった。


「えっと、OOさん!カメラ係お願いしてもいい?」


すると突然彼は、私を下の名前で呼んだかと思うと、「ただの付き添い」から「カメラマン」の役割を与えたのだ。驚きつつも、カメラを渡されると言われるがままに、私はシャッターを切り始めた。客を使うなんて・・と普通なら憤慨するところかもしれないが、正直ぼーっと1人で皆の作業を数時間眺めていなければならないのは気まずいと思っていたので、私にしたらむしろ有難い指示だった。
陶芸の先生は、土 の説明やアートの云々、器の奥深さなどを一通りレクチャーすると、とりあえず触ってみようとそれぞれに土を与えて好き勝手に触らせ始めた。


「まずは土と仲良くなること。土の声を聴くこと。語り掛けるんだよ。そうすると土も君たちの声に反応するし、互いがシンクロした時ー、それは唯一無二の作品になる。」


女性が急に鼻歌を歌い始めた。土に向かってなのだろうか?


「いいねいいね~、その歌声は土に届くから。楽 しい気分で触れば楽しい作品が出来るし、勿論悲しい時には悲しい作品が出来る。そしてそのどちらもそれは自分自身の鏡だからね、ありのままなんだよ。嘘さえつかなければね。」


いくらか自己陶酔しているように見える先生だが、彼と生徒をパシャパシャ撮ることに集中する。ファインダーから子の姿を覗くと、あれほどやりたいと騒いでいたというのに、どうして良いか分からず困惑しているようだった。周囲はアートな雰囲気漂う大人や子供ばかりで、それぞれが自分の世界に入っており、またその世界を恥じることもなく堂々としたものだ。既に形を作り始めている子供もちらほら出始めた。そんな周囲の様子に 、どうやら怖気づいているようだった。




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「OOは?土と会話してる?」


突然話し掛けられた子は、ビクっと肩を震わせる。


ー会話も何も・・ちゃんとどうするのか指示して貰わないと動けないんですよ・・


子の気持ちを代弁するも、小心者の私は心の中でつぶやくだけだ。抽象的 な言い回しではなく、きちんとした指示でないと子は動けない。いや、大体の子供達はそうではないか?ここに来ている子供達は、そもそもこういう場に慣れていることもあるのかもしれない。

先生が、他の子供の作品に口を挟んでいるのを確認し、カメラを撮る振りをして子に近づく。


「土をこねるんだよ。柔らかくして、丸とか四角とかに出来るようにするの。とりあえず叩いたりこねたり、周りの子達みたいに!」


こそっと耳打ちすると、ようやく子は土に触れ、手を動かし始めたのだ。周囲は先生に指示されなくても、どんどん土を形に変えて行く。母親達も、好き勝手に独特な壺や茶碗などを創っているようだ。ファッションも独特で、美大系というのか?太いターバンを頭に巻いて、大振りのピアスにアジアン風なフリンジカットソーにロングスカートだ。もう1人の女性もヘアスタイルが刈り上げで独特な雰囲気を持っている。幸い、どちらも友達同士で来ている風ではなかったので、そこは安心したところ。
子供達は、それぞれが兄弟で来ているようだったのが子には不憫に思えたがー

レクチャー は、正直凡人には良く分からない内容だったが、手書きで書かれた「こね方」や「土の扱い方」「手びねり」「ろくろの使い方」「ヘラの使い方」などは、きちんと子供にも分かりやすく、イラスト付きで解説されていたのでそれを見ながら子もなんとかお皿のような物を作り始めた。ようやく軌道に乗って来たと思ったその時、


ガシャーン!!!


突如、何かが倒れる音がした。場の空気は、和やかなそれから一気に凍り付いた。


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似非ミニマリスト

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最近、夫はテレビなどの影響なのか?断捨離を始めた。始めたーといっても、自分でするのは「仕訳」のみ。不要物を段ボールやポリ袋に入れて、後はそのまま私にバトンタッチ。その後の処理は、全て私任せだ。
仕訳されているのは、「要るもの」「要らないもの」のみで、ゴミの分別まではしていないからたちが悪い。結局、袋の中からひとつひとつそれらが何に分類されるのか選別しなければならず、その作業に思いのほか時間と手間を取られている。夫からしたら、再び専業に戻った私は「暇なニート妻」であって、これくらいの作業などやって当然だと思っているのだろう。

よれよれになった衣類、ツンーと黴臭く、しかし洗濯してアイロンすれば十分まだ着られる服。驚くことに、値札が付いたままの衣類も何着かあり、だったら何故購入したのかと問いただしたくなる。しかし、私にそんな権利はない。夫が稼いだ金に関して「意見」することなど許される訳がない。
苛々しながら選別していたのだが、次第に盛りだくさんのまだ使えそうなそれらを見ているうちに、「宝の山」に見えて来た。これらをリサイクルショップに売れば、一体いくらになるだろう?シミがついていたり虫が食って穴が開いているものは除き、それ以外を綺麗にして売りに出すことにした。
衣類の他にも、様々な雑貨が盛りだくさん。結局、夫が出した不要物は、一時別部屋に保管となった。


「おいおい、これ要るか?」




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リビングで寝転んでいた夫が、結婚した時から使っているチェストやカラーボックス、また座椅子やクッションを指して言う。


「クッションなんて、埃やダニがたまるだけだし、枕で代用出来るから捨てた方がいい。」


「カラーボックスの中のこれ、全部ガラクタじゃないか。箱があるから要らないものがどんどん増えるんだよ。箱がなけりゃ、中身だって入れる場所がないんだからこれ以上増えないだろう。」


夫は取りつかれたように、次々とゴミ袋にそれらを入れて行く。そしてついに子にまで口を出した。


「もうこんなおもちゃ使わないよな?小学生だもんな、捨てていいよな?」


リカちゃん人形を手に、夫が子に問いかける。しかし、子は首を振る。


「また遊ぶかもしれないから、取っておいて。」


「じゃあ、こことここのスペースに入るだけのおもちゃは取っておいて、それ以外は今度の休みに捨てるからまとめておきなさい。」


「・・・・・」


夫は、モデルルームのような家にしたいのだろうか?無機質で、温かみのない家。断捨離で部屋をすっきりさせることは、風水的に良さそうだが、しかしそれが行き過ぎても我が家らしさがなくなるのではーと思う。
ガラクタはガラクタでも、それらには「思い出」がある。楽しかったテーマパークでのお土産や、大事な友達から貰った手紙、残しておきたい過去の産物達ーそれを人は「愛着」と呼ぶが、それさえミニマリストからしたら「余分なゴミ」に過ぎないのかもしれないけれど。


夫のミニマリストはいつまで続くのだろう?しばらくは、新しい物を購入するのは控えた方が良さそうだ。


「1日3つは物を捨てて。捨てたものは写真に撮ってメールで報告して。」


こう告げられ、ぎょっとした。新たに課せられたこのノルマ、一体いつまで続くのだろうか。また一つ、ストレスの元が増えた。




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時に、身の丈以上

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無印良品が好きだ。特に用事がなくてもふらりと寄ってしまう。日々のストレスがたまるとつい、菓子や雑貨などを衝動買いしてしまうことも。
毎月夫から決められた生活費を渡されるが、そこから金を出すことはない。勿論、自分の財布から出すのだが、それでも最近使い過ぎだな、と思う。

休みになり、子が友達と約束をしていない時は、一緒に駅前まで買い物に行くのが恒例。雪予報が外れたこの週末も、子と共に特に必要なものもないがウィンドーショッピングへ。
パート代が入ったことで、気が大きくなっている私。しかし、実際手元に入った金は10万にも満たない。それは、歯科矯正や陶芸教室、それから化粧品の買い足しで殆どが消える算段だ。夫が私の稼いだ金額を聞いて来るかと身構えていたが、いまだ聞いて来ない。たかがパート代と思っている彼にとって、私の手にした金などはした金に過ぎないのだろう。それを良いことに、子が欲しそうにしている雑貨や漫画本などをついつい買ってしまうバカ親だ。

無印に併設されているカフェー、お洒落な親子がスイーツなどを食べているのが目に入る。私達もその雰囲気に浸かりたくなり、気が付くと子を連れてソファー席を陣取った。
真冬だというのに、子はソフトクリーム。私はホットドリンクを頼む。本当なら、スイーツも頼みたかったが、しかし1000円超えてしまう。思い付きで入ったカフェに、1000円は高い。しかし、隣の席の親子は、まだ子供が未就園児くらいだというのに、それぞれがドリンクとスイーツを頼んでいた。
本当なら、子はドリンクもー私はスイーツも頼みたかった。しかし、そこまでの余裕がない。しかし、店内に入らずUターンする程の潔さを私は持ち合わせていなかった。
ケチにもなれず、かといって大盤振る舞いも出来ずー中途半端な私のことを、子が母になりこの日のことを思い出した時、どう思うのだろうか?




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ソフトクリームのコーンの先っぽから、ポタポタとクリームが落ちる。子は慌ててそれを指ですくって口に運ぶが間に合わない。


「下から吸えばいいよ!」


咄嗟に、勿体ないと思い出た言葉ー隣の母親が、余裕な表情で私達親子を見るのが分かる。


「もういいの?じゃあ行こうか~」


のんびりした声で子どもに声を掛ける母親。彼女の子は、注文したプリンを数口食べて、三分の二以上は残している。私だったら、残りは全て食べるだろう。しかし、彼女は残ったプリンに一ミリも未練はないらしく、さっさとコートを着込んで店を出て行った。そんな彼女のドリンクも、半分は残っていた。

優雅なカフェタイムを味わうつもりで入った店。しかし、貧乏性の私には敷居が高い店。悔しいが、嘘は付けない。


「おいしかったー!」


満足げな子の顔が目の前にある、それだけでもいいじゃないか。また来よう、その為にも頑張ろう。
840円のレシートは、私の身の丈を気付かせつつ、しかし今週も頑張る活力を与えてくれた。




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