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GWの予定

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GWは、特に何の予定もなかった。
いや、正確に言えば、行きたくもない義実家訪問くらいだ。
子は当然、クラスメイトや習い事での友達同士の会話で、魅力的な予定を羨ましがる。
私に頼んだところで拉致が明かないと思ったのか、夫に甘える。女の子特有の男親に対してのそれだ。


「皆、ディズニーランドとか行くんだって。いいないいな~OOも行きたいよ。だって、パパはいっつも土日に家にいないからつまんない。」


「パパだって遊んでるわけじゃないんだぞ。でも、そうだな。じゃあー海にでも行くか?」


「え!本当!?」


ーえ?本当?


子が叫んだのと私が心の中で叫んだのはほぼ同時だった。


「ばあば達にも聞いてみよう。おばちゃん家族も一緒だったらバーベキューとかもいいかもな。」


ー・・・・・


一瞬でも喜んだ私が馬鹿だった。家族水入らずを夫は避ける。子供相手を一日フルでするのが面倒なのだ。従妹達と遊ばせれば、自分は義兄弟と飲んでられるし、例え車で海に行くことになり酒は無理であっても、私と子だけのレジャーよりも気楽なのだ。言い方を変えれば、「楽しい」のだ。そこに、嫁であろう私の気持ちなどなく、それを慮ることなど一ミリもない。

子は、一人っ子ということもあり、やはり家族だけで海に行くよりも、従妹達ー同じ年頃の子供達も含めて行く方が楽しいに決まっている。はしゃいでいる子の姿を見たら、もう私が我慢するしかなかった。ここでごねて水を差すのはナンセンスな気がした。

1年でも、数回あるかないかのうちの1つのレジャー。その貴重なレジャーに、気の遣う人間が何人もいるかと思うと気分は塞がる。私は夫に対しても気を遣っているが、しかし義実家はその何倍も違う種類の気遣いが必要で、それはかなりの労力を要するのだ。




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5分足らずの家庭訪問

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小学校に上がり、もう3度目となる家庭訪問。しかし一向に慣れる気がしないのは、普段から人を家に招き入れる習慣がないからなのだろうと思う。
クールで気難しい印象の男性担任。教師というものが昔から苦手だが、それは生徒という立場だからだと思っていた。しかし、そうではないらしい。大人になり、学校という枠組みから外れても、いまだ教育者を目の前にすると、身構えてしまう。まるで、安全運転をしているというのに、後ろにパトカーがついていると落ち着かないようなー、免許も持っていないのに、例えるとしたらそんな気持ちだ。

先日の懇談会で赤っ恥をかいてから、二度目ましてだ。合わす顔がない。しかし、向こうは私のそんな失態などとうに忘れているに違いない。日々、慌ただしくも充実している人間にとったら、取るに足りないことー
いつもより、念入りに化粧をしたら、妙に顔が白くなり過ぎて違和感。普段つけない口紅も、うっすらだが塗ってみた。夫以外の男性と話す機会がない専業主婦にとっては、いくら我が子の担任であっても、心浮き立つものなのかもしれない。そう思ったのは、実母がそうだったからだ。明らかに、私の担任を「男」として意識していた。鼻歌混じりで鏡台に向かって化粧をしていた後ろ姿をふと思い出す。


ーピンポン


チャイムが鳴る。
時間前から玄関で待機していたのだが、すぐに出るのも待ってましたと言わんばかりで恥ずかしく、数秒間を置いてからドアを開けた。


「こんにちは。」


「こんにちは、今日はよろしくお願いします。」


はっと気が付いた時には遅かった。私としたことが、スリッパを出すのをうっかり忘れていた。担任が、几帳面に脱いだ靴を揃える後ろ姿を見た瞬間にそれに気づいたのだから、もう手遅れだった。
気を取り直し、椅子を勧めてから急いでお茶を淹れた。


ーなんでだろう?緊張感が半端ない・・


重苦しい沈黙。
担任は、一言でいえば、愛想が悪かった。それまでの担任は、多少なりともこちらを気遣うようなー、作り笑顔だったり腰の低さだったりがあったのだが、今度の担任にはそれがなかった。


「えっと、何か聞かれたいこととかありますか?」


いきなりの質問だった。
まずあちらから学校での様子を話して聞かせてくれ、それからこちらが話す順を想定していたので、そのシナリオが崩れただけで頭はパニックになり、予め話そうと準備していたことすらどこかへすっ飛んでしまっていた。


「・・・・・・」


沈黙が流れる。うまく言葉が繋がらない。しばらくして、淡々とした表情で担任から子の学校での様子を聞かされた。至って事務的なー、感情のない話し方に、なんだか自分が見下されているような、母として落第点を押されたような、そんな気がして動悸が止まらなかった。


「で、授業などはよく聞いてくれています。学習面でも問題はないでしょう。ただ、自分の感情を表に出すのが苦手なようですね。あまり、喜怒哀楽が見られないというかー」


「あの、休み時間とかはどうですか?」


「・・・・それは、OOさんばかりを見ているわけではないので分かりませんが、まあそれなりに楽しくやっているのではないですかね。」


ーなんだそれ?それなりって何?




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子が言われたこと、そっくりそのまま彼に返してやりたい気分だった。能面のような、何を考えているのか分からないその表情は、言い換えれば威圧的でもあり脅威すら感じる。子も、同じ様に感じていなければ良いのだが。不安が募る。


「3年生になってから、元気がないんです。2年生の頃は、毎日楽しそうに学校生活を送っていたように思います。でも、最近学校から帰っても笑顔がないんです。」


フッっと、鼻で笑われた気がした。


「まだ、学年が変わってまもないですからね。他の子供達も同じですよ。直に慣れてくると思います。」


まるで、私が必要以上に子供のことを気にする過保護で視野の狭い母親のような、そんなあしらわれ方だ。気の弱い私は、もうこれで何も言えなくなった。

15分は取っていた家庭訪問だが、ものの5分で終わってしまった。これが長いのか短いのか、ママ友がいないので情報もなく分からない。ただ、盛り上がらなかったことは確かだ。


「あの、これ良かったら持って行って下さい!」


どうにか子の印象を良くしたい思いが、突飛な行動を取っていた。担任が手を付けなかった茶菓子を玄関先まで持って行って手渡そうとしたのだ。
彼は、戸惑ったような表情をした後、


「いや、甘いものが苦手なので・・」


きっぱり断られた。
あぁ、要するに、私のような女が嫌いなのだ。ウズウズした、口下手で挙動不審、地味で不細工、神経質で不安症で気が小さいくせに妙なプライドめいたものがあるー
茶菓子は私、そのものだった。


上げ膳食わぬは男の恥だろうがー


そんな言葉を、心の中つぶやくのが、精一杯の自分を保つ術だった。




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人望あるなし

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昨夜も夫は飲み会。最近の夫はいかに自分に人望があるかを、人望がない妻に向かって自慢気に語るのが飲みすぎた翌朝の日課だ。今年も昇進の話が出なかったことで、彼なりに私に対して格好の付かないところがあるのだろう。せめてもと、職場の人間関係において自分がキーパーソンであることを必要以上に誇張する。
私は、そんな夫の得意そうな顔を見ながらも、心は氷のように冷めている。
二日酔いに効くしじみの味噌汁だって、一応食わせて貰っている身分だから作っているが、正直夫のこういったこだわりにも嫌気がさしている。飲んだ次の日はこれーというこだわり。キャベジンでも飲んでおけという気分にもなる。
そう、私は夫を嫌悪している。目玉焼きを咀嚼している音にイラつき、また鮭に醤油を掛ける際、テーブルに飛び散るシミにもため息が出る。そして毎回茶碗に残す一口分の白米。何故、この最後の一口を口に運ぶことが出来ないのだろう?夫の親のしつけの悪さを思い、げんなりするのは毎度のこと。


「俺、色々期待されてるみたいなんだよ。今の部署の奴らは、俺に異動されたら困るって。だから今年もこのままでアイツら大喜びしてるんだわ。」


ーそれは、部下なら昇進が叶わなかった上司に対してそう言うしかないのではないか?下手に励ましたりすれば、それこそ彼のプライドを傷つける。そうさせていることに気付かないのか?恐らく夫は私に対してするように、自分より弱い立場に対しては圧倒的な威圧感を与えているのだろうと思う。しかし案外単純なところもあるので、それを見抜いた賢い部下達はそうやって夫を気持ち良くさせようと持ち上げる。 昇進出来なかったー、しかも後輩に追い抜かれた、そして上司になったのが後輩という事実に、ただ目を背けているだけだ。




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「アイツなんて、誰からも昼飯誘われないし、飲みにも誘われないよ。誰からも慕われてないのにこれからどうなることやら。」


人事の下した辞令に、いまだ難癖を付ける夫は正直言って女々しく情けない。


「あなたがいるから課は回ってるんだね。人事もどうかしてるね。なんか裏工作とかあったのかもね。」


思ってもないことを、洗濯物を干しながら無表情に口にする。淡々と、これも私の中ではルーティンワーク。嘘を付くのは得意だ。


「やっぱりあなたもそう思う?皆、俺に会う度にそう言うんだよ。職場のことなんてなんも知らないあなたまでそう思うんだから、そうだな。そうかもしれない。」


ただのお手伝いさんーそんな位置づけの妻を、夫は普段見下げているくせに、こういう意見はすんなり取り入れる。それもまたうざったかった。子は、そんな表向きの両親の会話を、どう思って聞いているのだろう?
黙々と、朝のニュースに視線を向けてベーコンを口に運んでいるその様子からは分からなかった。

満足そうに食事を終え席を立ち歯磨きをすると、夫は大きな欠伸を一つして玄関を出て行った。続いて子を見送る。
いつの間に、あんなに大きく思えたランドセルが丁度良くなっていることに驚く。子の成長は早い。それは、体だけではなく心も。それに比べて夫は・・そしてその妻である私は・・
夫婦は合わせ鏡ー昔からあるこの言葉に、納得せざるを得ない心境に陥る朝だった。




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お隣さんの懐事情

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買い物帰り、お隣さんの家のドアが開いており、セールスマンと思われる男性とやり取りしているのが目に入った。一応、会釈だけする。彼女の方は、私に気付くこともなく、男性にあれこれ尋ねているようだった。
玄関を締め、鍵穴から覗く。


「でもね~、今果物がたくさんあって。冷蔵庫に入りきりませんよ。」


「いや!本当に一度食べてみて下さいよ。糖度はそこらで売ってるものより断然高いから!」


「まだ子供も小さいし、そんな食べれないです。」


遠回しに断っているようだが、押しの強いセールスマンは、グイグイ彼女に迫っている。


「皮は手で剥けるんですか?」


ー質問したら、もう買うこと前提になっちゃうよ。


声にならない声を彼女に向けるが、セールスマンはそこで更にトークに熱を入れる。


「勿論!えっと、お子さんまだ1歳?2歳くらい?お嬢ちゃんにも簡単に剥けるよ~果物を食べる練習にもなるよ。本当に、選りすぐりの、三ツ星レストランが契約してる果樹園のだから。絶対損はないし、一度食べたらもう他のとこのなんて食べられないよ!」


「分かりました、じゃあ買います。いくら?」


「えっとね、10個からなんだけどね、2500円のところ2000円でいいですよ!」


「うわぁ!安い!ありがとうございます。」


玄関越しに、価格を聞いてえらく高いと感じたが、お隣さんにとってはお得な買い物だったらしい。1個200円のオレンジ。我が家は一袋398円のアメリカ産オレンジを、普段は200円代のお勤め品に下がってから買うことが殆ど。
同じ団地に住んでいるというのに、この違いは何か?彼女は普段からの装いも、素敵ママに劣ることがなく、何気なく玄関先に置いてあるベビーカーも高価そうだった。
そういえば、子が好物のオレンジを今日は買わなかったな。冷蔵庫にはひとつも果物がない。


ーピンポーン




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隣のセールスが終わり、今度は我が家のチャイムを鳴らすセールスマン。しかし、居留守を使う。買い物帰りで自宅にいることは、先程すれ違ってばればれだというのに。
お隣さんのように、余裕のある懐だったのなら、冷蔵庫に果物が切れている時点で、玄関ドアを迷わず開けるだろう。10個と言わず、20個買うかもしれない。おやつ代わりにもなる果物。「食」の豊かさは、心も豊かにする。そしてそれは、「育ち」を作る。普段から良いものを口に入れていれば、大人になった時にそれが「育ち」として表れる。日々の節約に躍起になり、見切り品ばかり食べて育った子は、大人になった時に目には見えない品格を欠くことになるかもしれない。
そんなことを思いながらも、しかし玄関ドアを開けられない私がいるのだった。




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咲かないカーネーション

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また、実母が夢に出て来た。

音信不通の日々は、心を搔き乱されることがないはずなのに、やはり気を抜くとすぐに罪悪感が私を襲う。

ネットサーフィンをしていて見つけた、残りの人生であとどれだけ親に会えるのかを計算するサイト。親の年齢を打ち込み、そして今年会った回数を入力する。実質ゼロ回の今現在、エラーとなってしまったが、それまで定期的に会っていた頃の平均回数を入力したら、思うよりもだいぶ少なくて唖然とした。


ー人生で、親と会える回数「45回」-


その45回、1回あたり5時間会ったとしたら225時間。この時間を24で割る。すると出て来た数字は9.375.つまり、日数にしたら、繰り上げたとしてもたったの10日間だ。

頑張って会ったとして、たったの10日。

10日間なんてあっという間だ。10日前のことを思えば、本当に瞬きをしているうちに経過してしまう程の時間。夫や子と、こうして共に日々過ごしている現実すらかけがえのないものに思える。どんなに憎んでも、血を分けた親。育ててくれた親、衣食住、不自由なく養ってくれたし、また思えば学生時代、毎朝早起きして弁当を作ってくれた。

心は傷付けられても、果たして全く愛情がなかったのかといえばそうではないことくらい分かる。ただ、こちらが求める愛情の形と向こうが与えるそれが違っただけのこと。彼女が「理想のお母さん」ではなかっただけのこと。

悶々としている。
きっぱり決別を誓ったはずなのに、ここに来てまた揺れる思い。
徐々に迫り来る母の日が、そのナーバスな気持ちに拍車を掛ける。



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体調不良

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週末は、風邪を引き寝込んでいた。子が小学生だから許されるが、しかし、夫は朝からあれこれうるさかった。具合が悪い日に限って、弁当を持っていくと言い出したり、こちらの体調を気遣う言葉の一つもない。咳をしながら卵焼きを作っていたら、菌が入るからマスクをしろと言われたところで、何かがぷつりと切れた。定期的に訪れる―、私ではない何者かが乗り移ったような感覚。
思い切り、出来上がった卵焼きを三角コーナーの中に叩きつけた。


「おい!!どういうつもりだ!!!」


夫の怒鳴り声が背中を追い掛けて来たが、無視して寝室に入り鍵を掛けた。夫が怒り狂って、何かをドアに叩きつけた。私も感情を抑えきれず、部屋にあった雑誌をドア目掛けて放り投げる。


「何!?どうしたの?何??」 子の声がドア越しに聞こえる。怒り狂っていたはずの夫は、


「いや、何でもない。朝飯食うか?」


子には父親として、優しい声を掛ける。


「ママ、昨日から具合悪いって言ってたからまだ寝てるのかな?OOがお弁当作ってあげようか?」


まだ、10歳にもならない子にさえ気遣いの心があるというのに、その何倍も生きている夫は何故こうなのだろう?一言でいい、「大丈夫?」の言葉があれば、頑張れる。
風邪薬が効いたのか、その後は10時過ぎまで二度寝してしまっていた。再び起きると、キッチンはぐちゃぐちゃだったが、ラップで覆われた朝食(スクランブルエッグらしきものと、焼いたウインナー)がテーブルの上に置かれてあった。
バルコニーに人影があったので、出てみると、子が不器用ながらも洗濯を干しているところだった。


「ママ、寝てて。今日はOOがやるから。」


胸の奥から言いようのない感情ー、嬉しさと温かさ、そして申し訳なさがせり上がり、涙がこぼれた。子がまだ幼い頃に発熱し、一晩中看病していた頃を思い出す。それはまだ数年前のことなのに、遙か昔のことのように思えた。


ー私の育てた子は、まともだ。


それだけが救い。そして、ひとつの希望なのだ。




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仲良しこよし

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気分が落ちている。
いつものことだけれど、特に今日は。
朝、いつものようにゴミ出しを終えてエレベーターを待っていると、降りて来たのは素敵ママだ。


「あ、おはよ~。ねえ、スイミング、辞めちゃったの~?」


S ちゃんの小さな手を引きながら、尋ねる彼女。スネ夫ママが乱入してから殆ど、スイミングで彼女と会う機会もないまま辞めてしまったのだ。


「うん、うちの子飽きちゃったみたいで。」


「そうなんだー。」


気付くと、エレベーターは閉まり、上階へ再び上がってしまったので、なんとなくだが素敵ママも話を続ける。共通の話題ー、彼女とは学校関連のそれしかない。


「去年は役員、お疲れさまでした。もうこれで免除だよね?」


「うん、これでノルマ達成!肩の荷降りた~Sもちょろちょろ動き出して来たから、ここ数年はそういうの無理だしね。だからといって引き延ばしてたら6年でやらないとならなくなっても困るし~塾のこととかもそろそろ考えないとだし、面倒なことは早め早めにね。」


「え、R君、受験とかするの?」


「いやいや~まだ分からないけど、本人が通塾したいって言い出したの。お友達に誘われたんだって。ほら、K君。あの子、優秀でしょう?」


スネ夫ママの子、K君は優秀だ。大人の前と子供の前とでは態度が違う、小賢しさがある。朝からアイツ絡みの話なんてしたくないーと思い、話題を戻す。


「私もそろそろ何かしないとならないって思って、立候補しても毎回外れちゃう。」


「図書ボ楽しいよ~1年の頃からやってるけど、好きな曜日に出れるし。お茶飲みながら、適当にしゃべってると時間なんて経つのあっという間だけどね。K君ママが委員長だから、アットホームでいいよ。Fさんもいるし、DママやAママもいるよ。OOさんも一緒にやろうよ。」


誘われたのは嬉しかった。しかし、その面子はFさん以外はどれもこれも私のやる気を削ぐもので、そんなことは露知らずの彼女は、無邪気に笑う。




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「小学校上がったら、幼稚園ママ同士でどうしても固まっちゃうかなーって思ってたけど、図書ボはそんな雰囲気じゃなくって皆仲良しなの。Mちゃんー、あ、K君ママね。K君ママがまとめるの上手くって。今は、時々飲み会なんかもあるんだよ~」


目に浮かぶ。
自分の気に入りだけを手中に収め、ほくそ笑んでいる彼女の様が。そして、ボスママ達だけでなく、私が唯一話せる素敵ママやその仲間までもがアイツ色に染まっていくのだ。素敵ママがスネ夫ママのことを「ちゃん付け」で親しみを込めて呼んでいる事実が分かり、更に落ち込む。 ー私との方が、長い付き合いなのに・・・いまだにさん付け。
一定の距離感は保たれたまま。遠ざけもせず近づきもせず。寄せては返す波のようにー
エレベーターが降りて来て、彼女とSちゃんに手を振り乗り込んだ。
気持ちとは裏腹に、上昇していくエレベーター。


「飲み会だってさ。バッカみたい。」


虚しい強がりを、一人ごちる。はっと、防犯カメラに気付き口を噤んだ。馬鹿みたいなのは、私だ。それを一番良く分かっているからこそ、こうして群れを下に見ることで自分を保つことしか出来ないでいる。




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数ミリの自己満足

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震災のことをブログで何度も書きつつ消していたのは、所詮、私は当事者ではないからだ。
文字だけだからこそ、自分の思いをそのままクリアに伝えることは難しく、また読み手が10人いれば、10通りの受け取られ方をする覚悟を持たなくてはならない。その覚悟がなかなか持てなかった。
テレビを付けると、緊急地震速報がいつ鳴るのかとびくびくする。こちらに揺れはないものの、それでも心臓はキュッと縮む。
何か出来ることー思い立ち、募金をした。微々たるものだが、何かせずにはいられなかった。
そして、その善意の中に、数ミリの自己満足を思う。こうして、ブログに「募金した」ことを書くことで、免罪符を得たような気になっている。
日々の、被災地の方々からしたらくだらない悩みや思いを綴ること。
こうして何事もなかったかのように、安全な場所でブログを書いていることの免罪符だ。


ー募金しました!
ーアンテナショップ行きました!
ー自分に出来ること、考えてます!


多くの人々が、発信している。そして、それは拡散されたり共感されたり、助け合い精神を呼んだりもする。勿論、何事もなかったかのように、一言も震災に触れない人もいると思うが、だからといってそれは「何も感じていない」ということにはならない。


「私、寄付する。」


子が、自分の小遣いから100円玉を取り出し、募金箱に入れた。
100円では何の足しにもならないかもしれないけれど、それでも私がした募金よりずっと、清らかで正しいものに思えた。




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転送

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実母に誕生日プレゼントを送り、2か月が過ぎた。
お礼の電話も手紙もなく、しかし送付した際、ネットで宅配会社の追跡番号をチェックしたら「お届け済み」となっていたので、物はきちんと届いているはず。

日に何度か、あの日のやりとりを思い出しては暗い気持ちになる。私の人生を全否定されたー、いくら親子であっても言って許されることとそうでないことがあるのだ。

買い物から帰宅し、いつものようにダイレクトメールや不動産広告をポストから取り出す。そして、その色とりどりの中に1通の見慣れない封筒があるのを確認し、胸がドクンと波打つ。
それは、見慣れた筆跡だったからだ。独特なー、字は性格を表すというのが頷ける、どこか余所行きな回りくどさと隙を与えない緊張感を持ったプライドの高い字。
母からだった。
はやる気持ちで玄関ドアを開け、しかし、心を落ち着かせる為に、あえて買い物袋から食材を冷蔵庫に移す。目の端にある桃色の封筒に心奪われながら。
そして、冷めた作り置きのコーヒーをレンジで温める。その間、色々と妄想する。


ー今更だが、お礼の手紙だろうか?母もよくよく言い過ぎだと反省したのかもしれない。


ーもしかしたら、謝罪の手紙かもしれない。面と向かって謝れない、しかし、いつもすぐ折れるはずの娘からは、一向に電話がない。寂しさに耐え切れなくなり、ようやく行動に出たのか?

この2通り、それ以外に思い浮かぶはずもなかった。そして後者だった場合は、すぐさま電話を掛け直す心積もりでいた。なんてことはないー、いつも通りのご機嫌伺い。弱くなった母に対する同情心がそうさせるだろう、こちらが優位に立った上でのご機嫌伺いは、それだけで気持ちを搔き乱されることなどないはずだ。それは、冷静さを伴う。




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ソファーに腰掛け、温めたコーヒーを一口啜ってから、慎重に封筒を開ける。中身まで破らないように・・すると、予想に反して中身は葉書が1枚。それを見て、愕然とした。
それは、同窓会の案内だった。先日、電話があった幹事の旧友からの・・そう言えば、彼女に結婚してからの住所を知らせていなかった。なので古い名簿から住所録を引っ張って来たのか?それにしても、分からないのならまた電話で聞けば良いものを・・いや、もしかしたら数人の幹事で作業分担をしているのかもしれなかった。

封筒の中身をさぐる。しかし、それ以上何も出て来なかった。手紙どころかメモさえない。本当の意味での「転送」だ。そして、何とも言えない喪失感が私を襲う。苛立ちとは違う、不快さと息苦しさを連れてー。

母は、どんな気持ちでこの葉書を寄越したのだろう。電話の1本も掛けずに、そして近況のメモなどを入れることもなく「用件」のみ果たした母の心の中が知りたかった。
沈黙の時間が積もれば積もる程、私達は拗れて行く。そして、それを願っていたはずなのに、私はまだこうして母に期待をしてしまう。


―お母さん!お母さん!気付いてよ!

ーお母さん!私を見てよ!本当の私を見て!

ーお母さん!私、お母さんに愛されたい。ただ、黙って抱き締めて欲しいんだ。


いつから私達親子の間に「損得勘定」「駆け引き」「勝ち負け」が生まれてしまったのだろう。それは、子供の頃からのような気もするし、結婚してからのような気もする。
そもそも、私が母と同じく「女」に性を受けたその瞬間から、それは宿命とされているのかもしれなかった。




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無所属決定

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図書ボランティア募集の用紙が回って来た。今年も役員は駄目だったので、せめて何かの形で学校と関わろうと考えていたところの知らせだったので、勢いで申し込もうと名前を書いた。
しかし、申し込み表の一番下に、取りまとめ代表者の名前ースネ夫ママだ。電話番号もご丁寧に記してある。どうやら、図書ボランティアの長をしているようだった。もう、その時点で持っていた用紙をびりびりに破ってごみ箱に捨てた。


ーこの先も、アイツにこうして邪魔されるの?


スイミングを辞めて、穏やかな気持ちになったのも束の間。こうして見えない影に怯えて暮らしている。彼女と直接関わることはないが、しかしいつどこでまた交差するか分からない互いの線。

うんざりだった。
また今年も「無所属」の日々が始まるのかー、いや、もうこれは働けということなのだろう。ネットで求人を眺めながらも、心は別の何かを追っていた。




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懇談会での赤っ恥

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懇談会ー

ただただ疲れた。結果から言うと、今年も役員に選出されなかった。あんなにシミュレーションしていた流れは無駄に終わった。何故なら、とうに決定された用紙が配布されたからだ。
事後報告ーいつからこのようなシステムになったのか?そして、どのようにして彼女らは選出されたのか?投票もなければ、希望アンケートを提出しただけ。本部が好みの人材をピックアップしたのだろうか?
頭の中は???で一杯だった。しかし、そんな私を置いて、担任は淡々と今後の予定だったり今年の学習目標だったりを報告していく。ようやく、気持ちを取り戻せたと思った時、


「では、時間もまだありますので・・ご父兄の方から自己紹介をお願い出来ませんか?お子さんの家での様子なども教えていただけると助かります。」


ー!


役員決めのシミュレーションはしていた。もし、仲良し同士が私と同じ役をやりたがっていたら、軽やかに辞退しようと。笑顔の練習までしていた。鏡の前で、何度も何度も。それに、もし校外に決まったとしたら、その時の挨拶も考えていた。携帯メモに保存し、何度も何度も声に出して練習していた。


「この度、校外を引き受けさせていただくことになりました、OOと申します。小学校のPTA役員は初めてで不慣れですが、精一杯務めさせていただきます。至らない点もあるかと思いますが、1年間よろしくお願い致します。」


ソラで暗記しても、緊張感が高まると声が裏返ったり、また妙なイントネーションになってしまったりする。だから、何度も日中一人でいる時に練習したのだ。傍から見たら気持ち悪いであろう、携帯のボイスメモまで使って、客観的に自分の喋りを確認したりもしていた。
しかし、普通の自己紹介は考えていなかった。というか、頭に微塵もなかったのだ。

トップバッターに振られた母親。よくもまあ、急な振りだというのに、ぺらぺらと滑らかに口が回っている。形式上の挨拶から子供の性格、兄弟ありなし、これでもう終わりかと思いきや、もうひと山エピソードを交えた子供の特徴、それにちょっとした心配事まで口にする。
トップバッターは、ある意味「基準」となる。その基準より話時間が少なければ「口下手」、多ければ「会話上手」と振り分けられる。
このカウントダウンが大嫌いだ。私の出番は中盤。トリでないだけまだマシだが、それでも心臓のバクバクはこの教室中に聞こえているのではないかと思う程。頭は次第にぼーっとなり、他の人の話など耳に入って来ない。しかし、何を話すかまとめられるだけの集中力もない。


ーもう、頭に浮かんだことを話すしかない。いつも、ブログをしているように・・


「では、OOさん。」


震える足で、席を立つ。




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「OOの母です。1年間、よろしくお願いします。私はこのような場が苦手でして、必要以上に緊張してしまい何を喋ったら良いのか分からなくなってしまいます。今も、頭が真っ白です。」


ー何を言ってるんだ?もう一人の私が警笛を鳴らす。これ以上、喋らない方がいい!


「昨夜も眠れない程でした。こうして人前で話すことが、本当に苦手でして。娘も私に似たのか、今日の授業参観でも発言する勇気もなく、先生に質問されても全く受け答えが出来ませんでした。親として、自分を見ているようで恥ずかしくもあり悲しくもあり、でも、克服して欲しい気持ちがあります。3年生では、時間は掛かるかもしれませんが、なんとか自分の意見を言える子になって欲しいと思います。」


実際は、途切れ途切れ、おかしなイントネーション、無駄に早口だったりどもったりの台詞だったが、話し終えて一礼し着席すると、一人の父親が拍手をし出した。それにつられるかのように、他の保護者達からも拍手。 何が起こったのか分からず、しかし、お礼の意味を込めてもう一度一礼すると、途端に顔から火を吹くのではないかという思い。


ーえ?拍手?どういう意味?コミュ障がスピーチ頑張ったねっていうこと?


負の感情が湧く。しかし、続く自己紹介に耳を傾ける彼らは私のそんな思いに気付かず、会は滞りなく進んで行く。そしてー例の、父親の番。

その苗字を聞いた時、駅前の地主経営の不動産会社が脳裏に浮かんだ。彼は、豪快に笑い、息子のあれこれを語り、女ばかりの輪の中、物怖じすることもなく、しかも能面のような担任からも笑いを買い、仕舞いには教室中を沸かせていた。

後に、配布されたプリントを見て知る。
彼は、一見女のような名前だからかその時は気付かなかったが、今年度のPTA会長だった。




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授業参観と子の個性

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子の授業参観ー


毎度のことだが、憂鬱である。自分のことに加えて、子のことも気になっている。あれから友達は出来たのだろうか?聞きたいが、プレッシャーになってもいけないと思い、聞けないでいる。

時間前に行けば、廊下で雑談に花を咲かせる母親達が目に入り、余計に憂鬱な気分になるので、今回は時間より数分遅れて行った。それが正解だった。珍しく、廊下でお喋りしているような保護者は子のクラスにはおらず、教室内に皆おさまっている。授業が始まっており、担任の声と共に数人の子供達の声もちらほら聞こえて来る。

3年生だからか?2年生の頃とは違い、明らかに教室の後ろで参観する親の数が少ない。ざっと、10人程度。たまたまこのクラスがそういうクラスなのか?それとも、他学年の参観との掛け持ちー即ち兄弟持ち親が多いのか?それでも、なんとなくこの雰囲気ならーとリラックスした気分で廊下側の壁に静かに立った。

子が、こちらを見てほっとしたような表情をした。笑顔こそないが、時間になっても来ないので不安だったのだろうと思う。私の勝手で子にそんな思いをさせてしまったことを、心の中で詫びる。

その日の授業は、国語だった。担任は、今回は男性。少々とっつき難そうなー、細身で眼鏡を掛けたインテリな雰囲気を醸し出した風。鈴木先生という。淡々とした表情で子供達に対して質問する。
今回も、手を挙げる子供は決まっている。やじを飛ばす子供も。一目で賢いと分かるような回答を堂々と答える子供も。そして、子のように置物さながらただ座っている子供もー

担任は、親の前だからということもあるのか?毎回手を挙げる子供よりもむしろ、そうでない子供に対してどうにか発言させようと躍起になっているようだった。


「OOさんは、ノートに綺麗に色々書いているけれど、それを皆にも教えてあげたらどうかな?」




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突如、子が名指しされた。私の方の心臓が飛び上がり、まるで私自身が発言をしなければならない・・教室中の視線を浴びているような錯覚に陥る。誰も、私が子の母親だとは知らないというのに・・


「・・・・・」


沈黙が流れる。手に汗を握る。子の無防備だが、極度に緊張した後ろ姿が可哀想になり、この場から連れ出したい衝動に駆られる。10分にも感じた1分程度の時間だが、担任は少し待って諦めたのか、違う子を名指しした。子の後ろ姿が、安堵したと共に私に対しての申し訳なさと恥ずかしさの入り混じった思いでいるようで、なんだか辛かった。もう少し、子に対して客観的に見守ることが出来ればいいのにー


ーみんな違って、みんないいー


なんて詩があるけれど、それでもやはりこういう場では、元気に挙手し、模範解答の出来る子供が「正解」なのだろうと思う。子のように、ろくに返事も出来ず、発言することも出来ない子供は、「不正解」なのだ。
それでも、元気な子供もいれば、大人しい子供もいる。自信満々な子供もいれば、恥ずかしがりやの子供もいる。様々な性格の子供達が集合し、こうして小さな教室の中でも一つの社会を作っているのだ。
マイナス面は誰しもが持っている。そのマイナスをどう変換すればプラスになるのか、大人にだって難しい。それが出来た時に、それは一つの「個性」と呼ばれるのだろう。




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このたびの熊本県熊本地方を震源とする地震による被害につきまして、謹んでお見舞い申し上げます。


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寝不足

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トータル3時間は寝ただろうか?気が付けば、外が白んでいた。夢見が悪く、何度も何度も目を覚ました。緊張で眠れないからと、ワインを飲んでから床についたはずなのに、それでも深夜2時半過ぎまで眠れなかった。
自分の気の小ささに反吐が出る。もっとおおらかになりたい。学校へ出向くのは午後ー、昼を食べてからなので、時間の猶予はある。しかし、既にカウントダウンが始まっている。

10時間後には、全てが決まっているのだ。いつかはやらなくてはならない役員。それでも、いざアンケートで立候補してしまったことを後悔する気持ちが湧く。勝てない試合に出されるようなー、見物客は皆、私を見て笑いものにするのではないかという不毛な妄想。
いざ、決まったとして、共に同じ仕事をする人は誰だろうという危惧もある。スネ夫ママやボスママだったら?想像しただけで、鳥肌が立つ思いだ。彼女らとは絶対に関わりたくない。
しかし、逆引き寄せをしてしまうー、それが私。

もう、流れに身を任せるしかない。腹をくくろう。昨夜、飲み残したワインを昼にあおってから学校に出向こう。酒臭さは、マスクで誤魔化そう。




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懇談シュミレーション

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明日は授業参観と懇談会だ。
参観は迷わず出るが、懇談会の方は欠席したいのが本音。しかし、役員決めがあるからおちおち休む訳にいかない。予め欠席する場合は、委任状の提出をしなくてはならない。どんなに自分に嫌な役が回って来ようが、委任した以上断ることは出来ない。
去年の役員決めでは、とんだ赤っ恥を掻いた。今度もそうなるだろうか?

何度も何度もシュミレーションをする。今年、選ばれなかったら次年度ーそれも無理だったら更に次年度ー学年が上がるにつれ、委員長のような大役につかなくてはならない無言の圧力がある。それはなんとしてでも避けたい。私は、リーダーシップなど取れる人間ではない。地味で目立たない、人が面倒臭がる仕事なら進んで引き受ける。しかし、複雑な人間関係の輪の中で指揮を執り、率先して行動し、指示することなど到底無理だ。正直、そんな役が当たれば病気になること必然。

目を閉じる。
昇降口から校内に入るー、ざわざわした母親達の楽しそうな群れを横目に、子のクラスへ向かう。スネ夫ママやボスママの大笑いがどこからか聞こえる。その他にも、のっぺらぼうだが、楽しそうないくつもの輪が、教室内の子供達の様子を井戸端会議をしながら見守っている。私は、誰とも挨拶をせずに下を向き歩く。うかつに顔を上げれば、顔見知りと目が合ってしまうかもしれない。笑って挨拶出来るような相手なら良いけれど、そんな相手は片手程。その片手程ー(素敵ママや孤高の人)の母親達だって、誰かしらと会話に花を咲かせているはず。それを見て、また一人落ち込むのだ。 授業参観をすっ飛ばして、妄想は続く。嫌な空気の懇談会。4月特有の重苦しい空気。探り合ういくつもの目達。仲良し達は裏でタッグを組む。園時代と同じ。そして、その中に割って入ってしまった私は、彼女らから疎ましく思われる。嫌な妄想は、しかし当たることが多い。それが私という人間なのだ。

今夜は眠れそうにもない。




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もう一つの顔

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温かい春の日差しを浴びて、図書館に向かう。4月も中盤。花粉は酷いし正直気分は最悪だけれど、出来る限り外に出る用事を作るよう心掛けている。
人間、太陽の光を浴びないと病気になるというのは強ち嘘ではない。特に今日のようなぽかぽか陽気に家の中でじっとしていると余計に気分が滅入る。
ランニングハイではない、サイクリングハイ。自転車を漕いでいるうちに、もっともっと走りたい欲求に駆られる。いつもは通らない道を遠回りし、信号待ちで喉が渇いたので水筒を取り出そうとし、それを忘れたことに気付く。
目に付いた、寂れたスーパーに寄り道。外観に反し、中は以外に多くの客でごったがえしていた。ここら近所では馴染みの店なのかもしれない。狭い店内、レジはたったの2台。どちらもそれなりに列をなしており、どちらに並ぼうか迷いながらも、かごを持たず素手で商品を持っている女性の後方に並ぶことにした。
並びながら、ぼーっと隣のレジの店員を眺める。


ーえ?あの人・・・


どこかで見たような、しかしなかなか思い出せない。口元はマスクで覆われているし、そして眼鏡。私の視線を感じたのか、彼女がふとこちらを見た。そして、すぐに反らされた。それと同時に気が付いた。




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ー千葉ママだ!


しかし、いつもの彼女は付けまつげに濃いアイライン、眼鏡など掛けていないし化粧は3割増し濃い。とてもじゃないが、同一人物とすぐに気付く訳もなかった。列は進み、私の番になる。目の前の店員を通り越して、隣のレジに立つ彼女を見る。胸元の値札を見て、やはり千葉ママだと確信した。
なんとなくー、なんとなくだがバツの悪そうな表情をしていた。なので、私も気が付いていない体を装った。テープの貼られたペットボトルを手に、振り返ることなく店の外に出た。

見てはいけないものを見てしまったー、そんな偏見めいた気分になるのは、千葉ママの普段の振舞いとのギャップがあったから。まいこちゃんママらの群れ中にいる時、彼女らに競うかのようにいつでも仕立ての良い服やバッグ、アクセサリーを身に着け、またディズニーランドの年間パスポートに留まらず、あちこち旅行や買い物など湯水のように金を使っていたからだ。プライドも高そうだったし、まいこちゃんママがセールスする化粧品も、気前良く率先して大量に購入していた。ハンドクリームなどのコスメはセレブ御用達の物、さり気なく金持ちアピールをしている、そんな印象があったから。


ー見なかったことにしよう。


彼女があの店で働いている理由は、単に暇つぶしなのかもしれない。無理があるけれどそう思い込む。まるで、何かのドラマのよう・・本当にあるんだ、と他人事のように思った。そして、見られたのが「私」で良かったと彼女も思っているかもしれない。だって、私には、その事実を共有するような仲間がいないのだからー。




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スポーツ万能という武器

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新年度になり、習い事も断捨離。
結局、スイミングは辞めることにした。子もダンスと違い、上達しなければ同じフォームで何度も何度も往復するレッスンに、少々飽きが来ていたことも確か。その代わりのピアノだが、これも熱が冷めたのか、こちらから聞かない限りやりたいと言い出すこともなくなった。
子供のやる気なんてそんなものー、とは思いつつ、どこか後ろめたい気持ちがあるのも事実。スネ夫ママと会わないで済むこと、それは思っていた以上のストレス軽減となった。自分が楽になったことで、それでも、果たしてこれで良かったのか?もしかしたら、もう少し続けていたら何かしらの芽が出ていたかも?とぐるぐる非生産的なことばかり考えては憂鬱になっている。

子は女子なので、男子のように低学年から地域で活動している野球やサッカーチームなどはこれまでなかった。しかし3年生になり、中学年から入会する子が多いというバスケやバレー、またドッチボールクラブの体験に応募する女子生徒達が出て来たことを子から聞いた。いつ、「私もやりたい」と言い出しはしないかとドギマギしている。夫が聞けば、即背中を押すに決まっている。ピアノやバレエのように金も掛からなければ、また土日出勤の多い父を持つ子にとって、それは格好の暇つぶしになるからだ。




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入会に後ろ向きな私だが、それに反して、子にはスポーツ万能になって欲しいと思っている。学生時代、キラキラした日々を送っている子達は、大抵運動部に入っていた。多少見た目が悪くても、球技が上手かったり走るのが速かったりすれば、それだけでクラスの中心を陣取れた。どんなに控えめな子であっても、運動神経が良いだけで、一目置かれる存在となる。男女共にもてるのは勉強が出来る子でもなければ、真面目な子でもない、少しくらい可愛くても運動音痴だとそれだけで大幅にクラス中での存在感という得点は減点される。活発で目立つのはいつだってスポーツ好きの子。
なので、子には運動好きになって欲しいと思っている。しかし、今のところ中の下といった程度。学年末の成績表やスポーツテストの結果は、私の期待を下回っていてがっくりしたのが本音だ。それは、親の自慢の子になって欲しいという思いからではなく、子の立ち位置を慮ることで生まれる感情からだった。とにかく楽しく、いじめられず、生き生きとした学生生活を送って欲しいのだ。出来れば日陰ではなく、陽を浴びる場所で笑っていて欲しい。スポットライトが当たる幸せそうな友人を妬むようなー、私のような人間になって欲しくはないのだ。

矛盾している。
なので、ここで自分に誓うことにした。子がやりたいと言い出したらー、受け入れる。絶対に、受け入れる。子の輝かしい人生は、親の「面倒」だという感情で潰してはならない。






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同窓会

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私の携帯は、もう10年以上もそのままの番号で。それでも昔の友人から掛かって来ることなど殆どなく、結婚や出産などの節目に葉書きでこちらから知らせても、それに対するレスポンスなどない。

結婚したら、こんなもん。

独身時代の友人とは、互いに話も合わなくなるし、またたまにあったとしても宗教勧誘目的の友人くらい。そんなくすぶった思いを抱えてもう何年経つだろうか?

ーそれは、突然の出来事だった。見覚えの無い番号から私の携帯に着信があり、取るのを一瞬躊躇する。いたずらかもしれないー、しかしそれに勝る好奇心が勝ち、通話ボタンを押した。


「-もしもし?山田だけど。山田かおり。覚えてる?中高で一緒だった。」


覚えているも何もー、彼女は中学の同級生で、家も近所だった為、よく遊んだ子。しかし、高校進学と共に、彼女は新体操部に入った為デビューし、私は相変わらずの地味なままに、気が付けば疎遠になっていた仲。
高校卒業してから、私のバイト先に彼女が偶然訪れる機会があり、そこから何度か遊んだが、やはりいつの間に疎遠になり現在に至る。


「元気!?まだこの番号だったんだね。ダメもとで掛けてみたんだけど良かった!!」


はつらつとした声。中学の時はあんなに大人しかったのに、デビューしてからの彼女はそれが本質だったのだろう、見た目もどんどん派手になって行き、手の届かない存在になっていた。社会人になり偶然出会ってからは、また地味な感じになっていたのは、彼女が銀行に勤めたからだろうと思う。

中学3年と高校3年で同じクラスになった彼女は、中学の頃はあんなに仲良く毎日のように遊んでいたのに、高校ではまるで私に見向きもしなくなった。彼女はクラスで今で言うカースト上位。私は下位だったので、同類と思われるのが嫌だったのだろうと思う。
そして、今回の電話の要件は、高校時代の教師が還暦を迎えるというのでそのお祝い兼ねての同窓会開催の知らせだったのだ。どうやら彼女はその幹事らしかった。




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誘われた時点で、私の心は既に「欠席」と決まっていたが、しかしすぐにそう答えるのは余りにもぶっきらぼうな気がしたので猶予を貰うことになった。
そして、少しの近況報告。
かおりは、同じく銀行勤めの同期と結婚し、今は子供が3人。そして仕事はまた再開しているとのことだった。


「OOは?お子さんいるの?」


「うん。女の子1人、小学3年生。」


「へえ!そうなんだ。じゃあ手も離れて楽になった頃だね。で、何の仕事してるの?」


仕事していること前提での会話に戸惑いながら、また私の悪い癖が出てしまった。


「えっとね。一応化粧品のセールスしてる。ノルマとかあって大変だけど、ママ友とか買ってくれるし売れば売るだけ給料に反映するからなかなかいいよ。」


まいこちゃんママがいつしか乗り移っていた。と、同時に冷静にもう一人の自分がその会話を聞いている。


ーなんて馬鹿なんだろう。嘘までついて、見栄張って・・私はまいこちゃんママになりたいのか?


「へえ!すごいね!営業してるんだ~昔のOOからは想像出来ないけど・・社員?」


「うん・・一応ね・・。ブランクあったけど、運良くね。」


「すごい!才能あるんだね。営業って、案外ぐいぐい来られるよりOOみたいに控えめな人の方が成績良いって聞くし。でもすごーい!」


私の咄嗟の嘘に、素直に感心するかおりに罪悪感が湧く。そして、もう二度と彼女に会うことはない・・いや、会えなくなってしまった。嘘はいつかばれる。ばれないようにするには、もう会わないことだ。
こうして、私は私自身で人間関係を狭めて行くのだな、と思う。




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この時期の憂鬱ごと

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子が3年生となった今年は、PTA役員決めの激戦期。高学年になるにつれ、委員の中では責任の重い「委員長」になる確率が高くなり、「何も知らない」では済まされなくなる。さっさと終わらせたもの勝ちだということは、皆同じ思い。
役員&係決めのアンケートが回って来た。まずはそれぞれの希望を聞いて、それからそれを旧役員が集計したりするらしい。素敵ママが前年度役員だったので聞いた情報では、やはり「裏操作」があるという。学年が上がるにつれ、旧役員と仲良しならば希望が優遇されるというのだ。
私には、そんなツテなどない。素敵ママはママ友ではないし、彼女からしたら「同じ団地の人」ただそれだけ。それ以上でもなければそれ以下でもない私が、図々しく彼女にお願いなど出来るはずもない。
希望を出したところで、通る訳がない。このままだと、一番敬遠される、6年生で何かしらやらざるを得なくなってしまう。生徒一人に対して最低一回は何かの役をしなければならない、そんな風習がこの学校にはあるのだ。

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どれも気が進まないのが本音だが、絶対に何かをやらなくてはならないのなら・・・の思いで丸を付けたのが「校外委員」だ。それぞれの仕事内容を見ているとそれならなんとかやれそうな気がした。放課後パトロールなども、幼い子がいない私にはうってつけの仕事だ。
自治会で広報をした経験から、「広報委員」も考えたが、注意書きにある「フォトショップやパワーポイント必須」「楽しく取材&企画&チームワーク必須な仕事」「明るくフットワーク軽い方、皆でワイワイするのが好きな方歓迎!」という言葉に怖気づく。
他の役員も、大きな行事を取り仕切ったり運営したりと、規模が大きく、私の器では無理に決まっている。万が一、希望が通ってしまったことを考えて、とにかくやっぱり出来ませんでしたは通用しない。
熟考に熟考を重ねて丸を付けた。さて、どうなるのか?決まって欲しくない気持ちが正直大きいが、それはただ延期になるだけのこと。それが分かっているからこそ、もう神頼みの心境なのだ。




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グループ入り

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4月に入り、一気に春めいた気候。
冬眠していた動物達も活動を始め、土の中でじっと出番を待ちながら丸まっていた植物達も、我先にと色とりどりの花を咲かせ始めた。

新入社員ー
新学期ー
入園式や入学式ー

私とは関係ない場所で、人々は新しいスタートを切る。緊張を抱えながらも期待する。他人行儀だった「一つの社会」も、彼らを受け入れ、そして日が経つにつれひとつとなる。

季節も関係しているのか、家庭以外の居場所ー私を広い社会の歯車の一員として受け入れてくれる、そんな場所。
求人をネットでチェックするも、毎朝のそれは本気度の低いルーティン作業。めぼしい求人があっても何かと理由を付けてはチェックを外す。しかし、子の春休みも終わったことで、働かなくても良い理由の一つー、つまり最大の理由の一つは消去された。そろそろ動かなくては。
夫も見えない「圧」を掛けて来る。コンビニの空き袋を見つけただけで、何を買ったのか根掘り葉掘り聞かれる生活は息苦しく窮屈だ。




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働くのなら、今度は自転車で通える距離が良いなと思う。電車を乗り継ぐのは、前回の経験からもOLになったような新鮮な気持ちではあるが、やはりその通勤時間で夕飯の1品を増やすことが出来るし、子の宿題を見てやることも出来る。また、大きな街だと稼いだ分、いい気になって無駄な物を仕事帰りに買ってしまうこともある。

買い物や図書館へ行く道すがら、小さな商店やコンビニ、飲食店の窓に、求人募集の貼り紙はないかとチェックしている。なるべくなら「個人」で出来る接客が気楽そうでいい。例えば、クリーニング。スーパーやコンビニでは、客だけではない、共に働くメンツのことも気にしなくてはならないし、万が一苦手な人と組むことにでもなれば、また仕事以外の余計な心労が増えてしまう。
社会に加わりたいーそんな思いに矛盾するかのように、やはり私は自ら「一人」を選択する癖が抜けない。

貯金も底をついて来た。本腰を入れる時が来た。




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ママ友が~顔の広さアピール

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ダンス教室で、レッスン終わりの子が出て来るのを待っていると、いつの間に背後にいたのか、野田さんが私の肩を叩く。気配を感じなかったので必要以上に驚くと、そんな私のリアクションに歯茎を思い切りむき出して大笑い。私も歯並びにコンプレックスがあるので、彼女のように気にせず笑える勇気が、ある種羨ましく感じてしまう。
ここでは、どうやら彼女が話せる相手は私だけのようで。そもそも日々の生活の中で、彼女が気楽に話せる相手はどれだけいるのだろう?それまで無関心だったことが気になるようになったのは、彼女がしきりに話途中で入れる「ママ友がね」の言葉。


「そうそう、幼稚園のママ友がね、すっごいよさげな公園教えてくれてさ~」


「近所のママ友がね、駅前スーパーの隣にある美容院がなかなか良いっていうから行ってみたんだけどね~」


「この間、ママ友に聞いた話なんだけど~」


何でだろう?彼女が口にする「ママ友」にはハナが付く。同じくその言葉を、素敵ママやまいこちゃんママから聞いたらどうだろう?野田さんの定義付ける「ママ友」とは、一体どこまでの範疇なのか?もしかしたらー、この私のことも、他では「ママ友」としているのではなかろうか?

それでも、ほぼ私が話す5倍以上口が回っている彼女からは、常に私の見知らぬ「ママ友」の話題が出て来る。勿論、それは会話ネタの情報元としての「ママ友」であり、噂話や悪口、相談ごとでもない。しかし、野田さんが口にするのっぺらぼうの「ママ友」の多さは、次第に私を劣等感の渦に引き込ませる。ぐるぐると渦巻くそのブラックホールは、自分の存在価値のなさを更に誇張させる。心の奥底で、


ー彼女にすら、気軽に会う友達に不足していない。


その事実は、私を痛めつける。彼女の身なりや物言いから、勝手に自分の物差しでわが身と比較し、それより上か下かを決定付ける。下方であれば安心し、今回のように上方であれば不安に陥る。
失礼な話だが、言い換えればこれがマウンティングというやつなのか。




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子が乳幼児時期も、特定のママ友がいるにも関わらず、このような思いに捉われることが多かった。明らかに自分より上の人間ではない、少し上か同じくらいの人間と比較すること、またはそれより少し下。そしてその結果、自分が「下」の人間だと気付くと同時に、いつも焦りと不安感に苛まれていた。
専業になり、時間がたっぷりある母親達は、目の前にいるママ友に向かってその場にいないママ友達との関わりをアピールする。「ママ友がね~」の言葉は、つまり自分の顔の広さのアピールであり、そして、自分は価値ある人間なのだ。誰からも引っ張りだこの人気者なのだ。あなたは今、その人気者と一緒にランチをしているのだと遠回しに伝えることで、相手に引けを取らない自分を演じる。
また、ここまでいかなくとも、社会的認知度が低い専業主婦は、唯一自分を受け入れてくれるママ社会の中で「人気のない、誰からも相手にされない自分」を露呈し、折角歩み寄ってくれた人々を遠ざけてしまう恐怖心から逃れるが為の虚勢として、この言葉を多用する傾向があるのかもしれない。


ー社会から必要とされなくても、家族や友人には必要とされている自分ー


それを心の支えに、非生産的なショーヒするだけの毎日に、折り合いを付けているのだ。


「でね!ママ友が教えてくれたケーキ屋のモンブランがさ~」


ぼんやり頭の中でそんなことを考えていると、野田さんは語気を荒げながらモンブランの批評をする。美味しかったという肯定ならまだしも、高いうえにまずかったという文句。私に言われても困る。そのママ友とやらか、もしくはケーキ屋にクレームをすればよいのにとげんなりする。

ぼんやりまいこちゃんママらの群れを眺めていたら、仕事終わりなのかスーツ姿のまいこちゃんママがこちらをチラッと見た気がした。マスク越しだが、笑顔で会釈をしようとした瞬間、目を反らされた。まいこちゃんママは、そういう人なのだ。分かっているのに、つい媚びを売りそうになる自分にもげんなりする。

その日だけで、野田さんにママ友が5人はいることが分かった。しかし、心のどこかでそれが架空であることを望んでいる私は、だから本当のママ友が出来ないのだと思う。




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リセット

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折角、苦労して築き上げた人間関係がリセットされる4月。クラス替えは子供時代から嫌なものだった。春休み最終日、新学期の前日は、毎回緊張で眠れず、なんとか眠れたとしても夢見が悪かった。仲良しと離れ離れー、そして顔見知り程度の殆ど挨拶すら交わしたことのない同級生の輪に放り込まれる。そして、それは実際正夢となることが多かった。

子のクラス発表。子より、親の私の方が緊張し眠れずにいた。折角うまいこと友人関係が出来上がって来たこの頃。1年の終わりには覚えのない言いがかりをつけられたり、登校仲間からはぶられたりと散々な思いをした子だったが、ようやく自分の力で手に入れた居場所。それがまっさらになる日ー。


ーどうか、みこちゃんと一緒のクラスになれますように・・


子以上に願う。一人でも、気心知れた仲間がいれば心強い。勿論、担任がどうなるのかも気がかりだったが、やはり、楽しい学校生活は教師よりも友人との関わりがウェイトを占めていると思う。


「ただいまー」


始業式で早めの帰宅をした子。大急ぎで玄関に走る。その表情に、不安は的中。


「みこちゃんと一緒になれなかったよ・・」


子は、半べそ。私まで胸が苦しくなる。大急ぎでクラス表を見せて貰う。子から度々出るお友達の名前ー探すがどの子も他のクラス。そしてAちゃんやDちゃんやEちゃんがまたしても同じクラスなことにイライラする。どこまでべったりすれば気が済むのか?学校側が決定したことだというのに、それでもまるで裏で彼女らが細工をしたような、そんな感覚に陥ってしまう。それに、1年の頃にトラブルがあった、被害妄想気味のHちゃんとまた一緒だ。もうあの親とは関わりたくはないー、そんな私の気持ちをよそに、クラス表の前後に仲良く名を連ねる子供達。思わず、舌打ちが出てしまった。
それ程、このクラス替えは子にとって不利であり、不公平なものに思えた。


ー私と同じ、ここぞと言う時の運の悪さ・・可哀相に・・


どうか、せめて新しく打ち解ける仲間が出来ますように。子なら大丈夫、そう信じるしかない。




***

Nさん

今は夫婦別財布が当たり前の世の中、しかし、専業主婦にしたらその風潮は身の縮む思いですよね。プレゼンする時は毎回緊張します。リアクションが怖くて、結局欲しい物を我慢してしまいます。言えばおろしてくれますし、生活費も子の習い事が増えたり、また食費がアップしたことで多くなったはずなのに、もうそれが当たり前となり今はまた足りていない状況です。やはり、一番の解決策は、働くことに尽きるのだと思います。

selinee

***






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新学期あれこれ

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新学期の準備ー
ちびた鉛筆や消しゴム、古くなった筆箱やファイル、それにきつくなった上履きや運動靴、それに体操服の上着。
子供に掛かる費用は、教育費だけではない。こういった消耗品も馬鹿にならない程高くつく。
夫から預かっている生活費ー、8万足らず。今月も足りそうもない。先月も何度か追加の催促をして嫌な顔をされた。


「ちょっと建て替えといて。」


私にわずかだが、パート代があることを知る夫。今はまた専業だが、これから働くことになればそういった台詞は「お決まり」のそれとなり、その後、私が稼ぐ10万に満たないパート代は、大方生活費として使用することが義務づけられるのも時間の問題なのかもしれない。
言えば、金はおろして来てくれる。
しかし言い辛い。まず、その日の夫の顔色を窺う必要があるし、また少しでもタイミングを間違えれば、「プレゼン」を求められる。何にどれだけの費用が掛かるのか、そしてそれは本当に必要なものなのか?
良好な夫婦関係ならば、そのプレゼンはそこまで負担なものではないと思う。殆どが子供用品ー、しかも学用品であるし、また自治会や子供会費の更新費用だったり、自分の贅沢に使っているわけでもない。
ならば、堂々としていれば良いものを、なぜ出来ないのだろう?
いつまで経っても、自己肯定感が弱い自分だからなのか?

子が使う、新学期準備の費用は大体1万は掛かった。広告であれこれリサーチし、なるべく安く済むよう頭で電卓を叩きながら買い物をした。3年生ともなると、好みのものが出て来る。先日の服選びもそうだったが、運動靴一つにしたって、このメーカーが可愛いうえに走りやすいだとかの口コミは、友達同士の会話の中で生まれるのだ。


「みんな、ここの靴だから走るの速いんだよ~」


私が勧める、量販店のプライベートブランドの2500円の靴に目もくれず、その2倍以上の価格帯である運動靴を指さして言う子。傍に夫がいれば、ポケットマネーから出してくれたかもしれない。
しかし、財布の中は3000円しかなく、その日は切れていた卵1パックも買いたかったのでぎりぎりだった。




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「ちょっとお金が足りないんだよ。じゃあ、後日にしようか?」


「えー!お金ないの?」


その物言いにカチンと来る。そして、夫の顔が子に重なる。


「じゃあ、今日は卵買えないから、OOが夕飯にリクエストしてるオムライスはなしね。」


卵を諦めるも何も、どっちにせよその運動靴は買えないのだが、子を納得させる為にそんな言い方をする。もっと別の言い方があるのかもしれないが、酷く疲れていたし、それ以上やりとりする元気もなかった。つまり、面倒だったのだ。


「分かったよ、じゃあそれでいいよ。」


しぶしぶ私が手にしている、何の変哲もないピンクのスニーカーを一瞥し、子は諦めた。確かに、子が欲しがっているブランドの運動靴はお洒落な春らしいパステルカラーで、またドットとさり気なくデコられているリボンは可愛かった。何より、とても軽かった。


ーこの間の、私のニット。あれを我慢していれば買えたよね。


結局、上質なニットを買ったはいいが、まだ一度も袖を通していない。宝の持ち腐れだ。そもそもそれを着てどこに行くのか?参観日くらいか。どうせ誰とも喋らず、壁の花となるだけの数時間の為の物に貴重な金を使ってしまった。その分、毎日それを履けば気分が上がるだろう、子の運動靴を買ってやれば良かった・・

後日、欲しがっているそれを買ってやろうか、最後まで悩んだが、今月はまた矯正費用が高くつく予定だ。歯のレントゲンを取ると聞いている。その費用の捻出もしなければならないことを思うと、あれこれむやみに子の言うがままを聞いてはいられなかった。


ーまた、仕事しよう。


自由な金。夫に干渉されることもあるかもしれないが、それでもそれは無いよりあった方が良い。新しい季節到来なのだ。






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桜並木

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桜開花と共に、今年もやって来た花見の季節。
子は、みこちゃん含めた数人の女子と共に、近所の公園で弁当を広げ楽しんだようだった。子が生き生きと外に遊びに行く様子を見送ることは、嬉しい反面寂しい気持ちもある。だが、やはり嬉しさの方が勝る。それまでは、私のせいで天気が良くても家に引きこもっている方が多かったからー
子供が外で元気に走り回る姿は、健全で美しい。

また、夫は夫で職場の仲間何人かと夜桜を見に行ったらしい。連日の歓送迎会で悪酔いしながら帰宅する夫だが、夜桜を見た日に限ってはほろ酔い程度の、なんとなく「雄」を感じさせるフェロモンを放出させた風だった。勿論、それが私にどう影響するものでもなかったが。

本当なら、家族で行きたい花見。まだ子が幼い頃は、忙しい夫もなんとか都合を付けて時間を作ってくれた。今は休みとくれば、ツーリング仲間と賑やかに過ごす方を優先させる。子は子で、段々と外の社会での関わりを優先させるようになって行く。




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子が児童館に行ってしまった平日の午前中ー、買い物がてらふらっと桜を見に行った。少し足を延ばしたところに、美しい桜並木があるのだ。ただ、時間帯によっては人が多く、特にママ友親子の団体がレジャーシートを広げ、場を独占しているとしたら、それはそれで花見気分も萎えてしまう。
あくまでもー、寄り道。自転車でふらっと。
居辛い雰囲気なら、そのまま何事もなかったように、スル―してスーパーへ向かうだけのこと。

多少の緊張を抱えて、桜並木に向かった。ちらほらとスマホを片手にうろうろする老人や、女子高生、それに若いカップルが見えた。その世代バラバラな雑多な空気に安心する。勿論、私のように一人で桜を見に来ている者もいた。
取り越し苦労ー、ふっと肩の力が抜け、自転車を道路脇に止めて天を仰ぎながら桜並木をゆっくり歩く。

まだ、芽吹いたばかりの小さな蕾にカメラを向けた。枝と枝の隙間にちょこんと生えた、赤ちゃんのような可愛い蕾。開いた桜も綺麗だけれど、これから咲く準備をしているような、静かにパワーをためているような、小さな命に力を貰えるような気がする。

彼らが注目されるのは、1年のうちにこの時期だけ。至る所でカメラを向けられ、それに応えるかのように期待を裏切らない美しさを見せる。そんな健気さに、自分の欲望の我儘さを思う。慎ましやかさー、それが私には足りない。自然の美しさは見返りを求めない、そこに在り続けることもない、はかなく惜しみないもの。
だからこそ、人はそれに魅了されるのだろう。




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パンケーキと桜

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一生のうち、気持ち良く出会い、また気持ち良く別れられる人がどれだけいることかー
大概、出会いが良くても別れは辛いものだったり、モヤモヤした思いを抱えるものだったりする。
Yさんと、笑顔で別れて来た。
寂しくないといえば、嘘になる。唯一、この地に来て心から信頼、そして尊敬出来た人だった。彼女のポジティブさは、私のネガティブを誘発し過ぎることもなかったし、また憧れが劣等感に変化することもなかった。
親しくなっても、彼女と私の間にはきちんとした「境目」があり、その一線があるからこそ彼女を好きなまま見送ることが出来たのだと思う。
最後のランチは、例のパンケーキの店。Yさんも何度か来たことがあり、お気に入りの店だと聞いて嬉しくなった。少し奮発して、ワンコインモーニングではないパンケーキを注文した。瑞々しいフルーツがふんだんに使われたカラフルなパンケーキ。見ているだけで人を元気付ける。Yさんみたいだな、と思った。


「本当、寂しくなります。Yさんに、いつも元気を貰っていたので・・」


本音だった。


「私も、ここ長かったし、いざ引っ越すとなったら寂しくなって来てね。皆、親切な人ばかりだったし、本当に楽しい思い出しかないんだ。」


ーYさん、それはあなたの人柄がそうさせたんです。


声にならない言葉、今思えば、声に出せば良かったと思う。

Yさんの笑顔を見ているうちに、なんとなくー、最後だからと彼女にあれこれ自分をさらけ出したい欲求に駆られた。

夫とうまくいかないこと、
人付き合いが下手なこと、
子育ての悩み、
実母とのいざこざー、

彼女だったら、どんなアドバイスをくれるのか、聞いてみたかった。意を決し、口を開こうとした時だった、突然彼女の方から思い掛けない「告白」があったのだ。




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「実は私、去年から病気になってね、なかなか良くならなくて・・その専門医が関西にいることも引っ越しの一つのきっかけになったの。」


その病名は、さらりと言葉にするには重すぎるものだった。重すぎて、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。そして、その底抜けの明るさはー、Yさんが自分を保つ為に必要だったのだと気付く。


「・・・・・」


言葉を失い、ただただ彼女の話に耳を傾ける。私が彼女だったら、耐えられそうもない。そして、それまでそれを知らせない程に、彼女は私に微塵の陰りも見せなかったのだ。彼女は明るいだけではないー、強い女性だったのだ。
すっかり冷え切ったパンケーキ。先程までカラフルに思えたそれは、まるでショーケースの中のサンプル品のように無機質に見えた。彼女に対し、どんな励ましの言葉も薄っぺらなものになる気がして口を噤んでしまう。そんな私に気を遣ったのか、彼女は突然自分の注文したパンケーキを一口私に差し出し、


「ねえ、これ美味しいよ。一口食べてみて!その代わり、OOさんのフルーツのも一口頂戴。」


子供のように、無邪気な笑顔で言う彼女に、胸の奥に渦巻く言葉にならない悲しみが瞳からこぼれそうになり、ぐっと耐えるのに必死だった。


ー私が泣いてはならない、一番泣きたいYさんを差し置いて泣くだなんて、おこがましい。


「美味しい!」


「うん、美味しい!」


私も、彼女を真似て、無邪気な笑顔を作る。すっかり冷え切ったパンケーキだったが、Yさんから貰った一口に、多くの数えきれない感情が混じっている気がして、だから、大事に大事にそれを味わった。
それからは、最近見たドラマの話、関西に行くからか、お笑いの話、お勧めの手抜き料理レシピなど、当たり障りのない、しかし楽しい会話をし続けた。
店を出て、桜の木が目に入った。彼女はスマホを持ち、何枚か撮影していた。私も共に、携帯カメラを花に向けた。その圧倒的な美しさを前に、しかし人間にはどうにも出来ない宿命があるのだと思い知り、胸が苦しくなる。

結局、彼女に気の利いた励ましの言葉を掛けることも出来ないままに、手を振り合い別れることになった。非力な自分自身が情けなく、だから私はいつまで経っても「その人のナンバーワン」になれない、「その他大勢のうちの一人」なのだと思う。
一歩踏み込むこと、それは拒絶されるかもしれない勇気の要る行為。しかし、それをすることによって人との距離感はぐっと縮まることもある。それを分かっていながら、臆病な私は一歩引くことで、自分を守ることを選んでしまうのだ。




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