曲者上司のお宅訪問。
玄関から顔を覗かせたのは、恰幅の良い、そして既に引退したある力士を思わせる顔立ちの男性。
これが、夫が頭の上がらない上司だ。
「いらっしゃい。」
私と子は、夫の文字通り、三歩後ろに。招かれるまま、ドアの奥に進む。すると、上司夫人がエプロンを装着したまま挨拶に出て来た。
「あらあら、いらっしゃい。いつも主人がお世話になっています。」
早速、先を越された挨拶。夫がチラリと私の方を見た気がしたので、慌てて同じ台詞をこちらも返した。
夫人は、年配だがスラリとした雰囲気美人。家の中でもバッチリ化粧をし、仕立ての良い服を着て、常日頃家の中を整えているのだろう。玄関先で相手が分かるというが、そんなイメージ。
リビングに通されると、想像以上の広さとセンスの良いインテリア。だが、最近流行りの北欧インテリアというよりも、昔ながらのお洒落な家具や絵画などを、彼女のスタイルにアレンジさせたオリジナリティ溢れるものだった。
恐縮しながら、勧められるままに広々とした椅子に腰掛ける。
既に、大きなダイニングテーブルには、豪華な料理がずらりと並べられていた。
覚えているだけでも、ローストビーフにラザニア、いちじくやチーズを使ったサラダや、豆のスープ、シーフードのマリネやバケットにパテ。世代も上だし、てっきり和食だと思っていたが、なんとお洒落な洋風料理だった。
夫は、よりによって日本酒を菓子折りと共にと用意していたことを、しくじったと思ったのだろう。汗を掻きつつ、言い訳がましく「上司が好きだと以前聞いていた酒」だと主張しながら、手土産を渡した。
こういう時は、シャンパンだろうーそんな曲者上司の心の声が、私にまで届いた気がした。
子は、大人しかいないその空間に、どうしたら良いのか戸惑っている様子。取り敢えずと乾杯。夫が上司に愛想笑いを浮かべつつ、夫人に向かっての褒め言葉を述べる。
「料理上手な奥様で、羨ましい限りです。」
すると、
「いえいえ!!私、温めただけなのよ。これ、主人が殆ど作ったの!」
その言葉に、驚く。その風貌からは、亭主関白で家のことなど何一つしないように見えたが、人は見掛けによらない。
「料理が趣味でね。」
夫は、言葉を失っていた。夫からしても、職場で見せる上司の顔とまったくもって掛け離れていたのだろう。
「君は、しないのか?」
「私も、時々しますよ。さすがにこんな洒落たものは作れませんが。生姜焼きとか餃子とか、肉じゃがくらいなら。」
私も子も、夫のその嘘っぱち発言に絶句した。しかし、ここは耐えるところ。そこから男同士は休日の趣味の話になり、奥さんは、私と子に気を遣って、こちらが話しやすい話題を提供してくれた。
「今、何年生?」
「5年・・です。」
スポンサーリンク
ぎくしゃくしつつ、人見知りの子だが、質問に答える。柔らかな笑顔を向け、こちらがリラックスするようにと、夫人は学校のことだとか習い事のピアノのあれこれを尋ねてくれた。
正直、緊張が邪魔をし、美味しいだろう料理の味はあまり覚えていない。夫は酒が回り、気が付くと饒舌になっており、いつ何かマズイことを口にしないかとこちらがひやひやする。
私も酒を勧められたが、たしなむ程度にいただくだけに留めて置いた。
夫人は、てっきり専業主婦かと思っていたがそうではなく、ネイルサロンを経営しているとのこと。確かに、指先には美しいネイルが施されていた。そして、なかなかのやり手らしく、彼女には曲者上司も頭が上がらない様子だった。
腹八分目になった頃には、夫と上司はリビングソファーに移動し、年代物らしいウイスキーを開け始めた。取り残された私達女性陣は、夫人を中心とした会話を繰り広げる。
私や子は、話題提供に頭を悩まさずに済む。夫人は、話題豊富な楽しい人だった。適度に間のある会話。しかし、こちらが困り果てない程度の間なので、気付いたら彼女主導で次の話題へ。
その殆どは、当たり障りのない会話だが、ふと、夫のことーつまりは、彼女の夫、曲者上司のことだが、彼について意見を求めて来た。
「うちの夫、あんなでしょう?ご主人、困ってはいないかしら?」
まさか、家で酔っぱらうと毎度の如く愚痴ってますよ~、あなたのご主人に振り回されっぱなしですーだなんて、口が裂けても言える訳がない。
だが、何も知らない振りを通すのも不自然。
「いえ、本当によくしていただいて。今回も、お招き頂いて、主人も私も嬉しく思っています。」
無難に答える。若干、詰まらない回答だが、それ以外にどう答えるのが正解か・・
気付けば、夫と上司は何やらコソコソと深刻な会話をしているように見えた。胸騒ぎがした。嫌な予感が走る。これが、気のせいならばいいのだけれど。
結局、その日はなんだかんだと夕方過ぎまでお邪魔した。夫は相当飲まされたようで、最寄り駅までタクシーを呼ぶ羽目になった。その酔い方に、更に嫌な予感が走る。
一体、上司とどんな会話をしていたのか?
「これ、持って行ってね。」
店で出しているという、高そうなハンドクリームをいただく。タダより高いものは無いーそれを受け取った瞬間、何故だかその言葉がすぐに浮かんだ。
スポンサーリンク
- 関連記事
-