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子供の世界

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子は習い事のない日の放課後は、毎日のようにみこちゃんと遊び回っている。
最近では、みこちゃんの仲良しのクラスメイトも混じっているようで、3年生になってから親が働いていてもかぎっ子で学童に入っていなかったりする子供達が多く、子が遊んでいる友達もその殆どがそういった種の子ばかり。
疲れて帰宅すると、宿題をするのが一杯で、もう他のことに頭が回らなくなる。最近返却されたテストの点数も正直いまいち。


「ただいまー!」


「遊びに行ってくるー!」


息を付く間もなく、早々に水筒に麦茶を注いで外に出ようとする子に、言いようのない感情が湧く。
そして、自分が同じく子供の頃、母に叱られていたことを思い出す。あの頃は、勉強をせずに遊んでばかりの娘に対して苛ついていたのだと思っていたが、今自分が母と同じ立場に立って、それだけではなかったのかもしれないと思うようになった。
それは、親として幼稚な思いだが、一言で言えば寂しさだった。
子がどんどん自ら外との関わりを広げて行く一方で、母である私は置いてきぼりをくらったような、子にも見捨てられるのではないかという不安感。
乳幼児、あんなにも一人の時間が欲しかった。付きまとう子のことをうっとおしく思うこともあった。
それなのに、こうしてやっと一人の時間が出来たと思ったら、暇を持て余している。




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母は私と違って社交的だったが、それでも子供会やなんやらのいざこざで 、一時一番仲が良かった今でいうママ友と喧嘩し、それを発端に孤立した時があった。
私に遊びに行くなと口うるさくわめいていた頃とその頃が一致していたことに気付いた時、今私が子に向けている感情と同一のそれを抱いていたのではないかと思うのだ。
丸一日、誰とも会話をしなければ、どんなに健康体の人間でも精神を病んでしまうと思う。
私がなんとか保っているのは、夫に期待せずとも子が私の「誰かと会話をしたい欲求」を満たしているからだ。
しかし、この感情に支配されないようにぐっと堪える。
あくまでも、子の為を思っての説教なのだ。子を家に縛り付ける為のものではない。


「せめて、宿題を終えてから遊びに行きなさい。」


ルールを作り、それが出来れば5時まで遊んでもよいことにした。それまでは帰宅してからの宿題だったのだが、疲れた頭でそれをしても効率が悪い。


「あー、終わらないよ。もうみこちゃん達遊んでるよ。」


結局、集中出来ずに頭を掻きむしりながら宿題をする子を見ていたら、腹が立った。


ー毎日毎日学校でも会ってるのに、放課後まで会って、まるでレズじゃないの!?気持ちが悪い!!ー


心に浮かんだのは、私が昔、母から投げつけられた言葉だった。
一瞬でもそれが浮かんだ自分に、嫌悪感が湧く。子に嫉妬しているのか?気持ちが悪いのは子ではない、私自身じゃないか・・・


なりたくない実母と自分が、時を経るにつれて重なり合う。


「約束は約束だよ。それが出来たら、5時まで遊んでいいから。ほら、これ皆で食べる分のおやつも持って行っていいから。」


ファミリーパックの菓子は、子供なら誰しもが好きなチョコレートスナック。子は、それを目にして大喜び。


「え!?それ全部持ってっていいの!?皆にあげてもいいの?」


「うん、おやつは外で食べてもいいから。だからちゃんと約束は守ってね。」


「分かった!」


学校から帰宅した子と一緒に、おやつを取りながらの団欒は奪われてしまった。癒しの時間でもあったそれを、しかし私の勝手な感情で子に押し付けることは出来ない。
今、子に必要なのは、母とべったりの時間ではない。友達との関係を深めることなのだ。外との関わりをぐんと広げることなのだ。

大急ぎで宿題を終え、水筒とお菓子を手に外に飛び出して行く子を見送る。最近では、近くの公園には送迎も必要とされなくなった。
お隣から赤ちゃんの泣き声が聞こえる。それをあやす母親の声も。
渦中にいた頃は、あの泣き声から逃げ出したくなったものだけれど、今こうして一人ぽつんと家の中に佇んでいると、体全体で自分を必要だとしてくれるあの時間は、何物にも代えがたい、かけがえのないものだったことに気付くのだ。




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